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隣の爺さんは運がよかったと言った

 隣の爺さんは、片目が潰れて無かった。

 隣の爺さんは、額に咎人の焼印があった。


 隣の爺さんは、あちこち凹んだ傷跡があった。

 隣の爺さんは、あれこれ好き嫌いが多かった。

 隣の爺さんは、俺が悪い事をすれば、性根入れて怒る。



 棒切れを振り回し、尻を叩くために追いかけ回す。


 隣の爺さんは、マーの街から流れて来た。という話。


 そんな爺さんが寝込んでいるらしい。小さな畑でほろほろ仕事をする爺さんの姿が見えなくなり、数日。


 ひとり住まいの爺さんを心配をした母親に、使いを頼まれた。


 蜜酒に香草と果物を入れ温めたものと、葉包みのパンを持って覗きに行ったのは、風が冬の匂いを混ぜ込み、ピュウヒュウと笛のような音を立て、枯れ葉をキリキリ舞いさせ始めた日のこと。



 ギィ、ギィ、…… 塗料がハゲハゲのガタピシの扉に手をかける。今度、うちの戸を塗る時、一緒に塗ってやろうと思いつつ、爺さんいるか?と声をかけつつ押す。


「ゴホッ!ゴホッ!」


 床の上に敷いた藁、その上で毛布に包まり転がる爺さん。咳で返事をされた。籠もった病のにおいが部屋の中にじくじくと、湿気て溜まっている。こりゃだめだ。扉を全開にしまま、ひとつある窓も開ける。


「爺さん!何度も言うが寝台ぐらいボロ市で買えよ!えっと、火。は?薪無いのかよ!しゃあねえ」


 幾日も火を起こして無いのか、火種も尽き冷えた暖炉。


 家の薪小屋から、一抱え運び、母親に頼み火種をひとすくい貰い、慎重に運ぶ。その時ふと気が付いて匙を一本、懐に突っ込む。


 パチパチ、チチ!跳ねる火の粉。そろそろと爺さんの家に運び入れた。


 焚き付けを外で拾い集め、火種の上に慎重に焚べた後、薪を組む。ボゥ!パチパチ、パチパチ、煙の色と匂いが変わり、ゆるゆると暖炉に息が吹きかえる。


 湯を湧かそうにも水瓶の姿は無い。爺さんは大きな水瓶が嫌いなのだ。水が怖いとか、前にほざいていた事を思い出す。


 ぐるりと見渡せば部屋の隅に手桶がひとつ。中にはホコリが浮いた水がちょろり。


「水汲んでくる。爺さん」


 嬉しいのか、爺さんが残った片目で笑い、桶に洗い物を突っ込み出ていく俺を見送る。


「はあ、困った爺さんだ!」


 戻ると賑やかに爆ぜる音、パチパチ。


 あらった小鍋に、持ってきた蜜酒を入れ、クルクルと匙でかき混ぜていると、甘い匂いが立ち昇る。嫌いな酒の香りを嗅ぎつけた爺さんが顔をしかめた。


「ああ、温めているの蜜酒だけど、火を入れたから酒気は抜けてる、風邪にはこれがイッチいい。ガキ頃から飲まされたし、甘いからこれ目当てにわざと風邪引く真似もしたし、仮病も使った」


 トポポコポコポ。器に注ぐ、湯気立つそれを爺さんに運ぶ。起き上がる事が苦しそうなので、薄汚れた床に座り込む。少しずつ匙にすくい口元へ運んでやった。


 ゆるゆる飲み込む。半分ほど進むと、蠟燭色した顔がほんのり赤みがさした。起き上がるというので手を貸す。


「爺さん、寝台作ってやろうか」

「いらん」


 しゃがれた声で答えた。葉包みのパンをそのままでは食べれそうにないので、器に残った蜜酒に千切って入れふやかす。


「なんで?」

「怖いからさあ」


 食えるか?差し出した器を覗き込むと、スンスン匂いを確かめる。


「心配ねえ、葉包みのパンを千切って入れただけさ。仮にスープだとしても、爺さんが嫌いな、魚の干物や肉なんか普段食うのに入れねえよ」


「そうか、食う」


 ぶるぶる震える爺さんは匙なんぞ持てない。仕方ないので、ひとすくいづつ食わせてやった。


「んで、怖いって?」

「……、聞きたいか?」


 ガクガクと震えだした爺さん。


「言わんでいい」

「いや。話す」


「爺さん、なんかやっちまったのに関係あるのか?」

「アレは、身代わりになれと言われたんだ。借銭の肩代わりをしてやると。慈悲の裁きをうけれる様にしてやると、だんな様に言われて」


「へえ、マーの街のルトの大聖堂に入ったのか?」


 ああ。入った。尼僧ばっかりの場所だった。何かを思い出し、俺の腕に枯れ枝の様な手のひらでしがみつく爺さん。


「それは綺麗なところだった、そこでな」


 コソコソとひしゃげる声。


「寝ちゃなんねえと言われるんだ」


「寝ちゃなんねえ?」


「そう。寝ちゃなんねえんだ。綺麗な部屋に通されてな、風呂に入れられ絹の寝間着を着せられ、食うものは、見たこともないご馳走が運ばれる」


 コソコソとひしゃげる声が小さくなっていく。


「んじゃ、爺さんはその罰を受けて無罪放免になったんさあ?」


 ガクガク、ぶるぶる。震えだした爺さん。ヒュウヒュウと喉を鳴らし始めたから、慌てて床に寝かす。薄い破れ毛布だけじゃ寒かろうと、火を大きくする為、暖炉に向う。


 パチパチ、チチッ パチパチ。


「わからん、わからん。ただ、運が良かった」


 ゴホゲホッ!背に爺さんの咳き込む音。ひとすくい水桶から小鍋に汲むと湯を沸かし始める。


「寝ちゃなんねえ、寝ちゃなんねえ。ゴホゴホッ」

「もういいさあ、爺さん寝てろ。薬草取りに帰るから、じっとしてろよ」



 ゴホゴホゴホッ! 



 苦しそうな爺さんに飲まそうと、家に薬草を取りに戻り、咳止めのそれをひと束握りしめ急いで戻ったのだが。


 隣の爺さん、そのまま目を覚まさなかった。



 枯れ木がポッキリと折れるように、ぽっくり死んじまった。

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