ノブオ、49年のキャリアデザイン(明治26年~昭和17年)福岡-前編
ノブオは、
父の晩年義理の母となるジュミと同じ明治26年に、
28歳で山口県玖珂郡岩国町(今の岩国市)から嫁いだミヨが30歳の春、
博多の天神にある広い診療所の奥の部屋で父によって3女としてこの世に生を受けた。
日本ではまだ江戸時代のまま、
成人の年齢は20歳ではなく男子15歳女子14歳であった頃のことである。
女の子でも男の子でもいいように何ヵ月も前から名前も決まっていて、
診療所中の皆から産まれてくるのを楽しみにされていた子であった。
42歳になる父ゲンシンの信の字をとって信に生きると書いてノブオと名づけられ、
金銭的には不自由のない暮らしのなかで育ったが、
街中の診療所には正月も盆もない忙しさでもちろん土日のような決まった休みもなく、
起きているときはいつも働いているような誰にでも親切で優しく穏やかな父に、
頭を撫でてもらったり抱きあげてもらったり遊んでもらったりといった記憶がまるで無い幼少期を過ごした。
母のミヨは良く気がつく方であり、つい先走ることもあったがゲンシンを良く助け、
ある日同時にいくつものことを手早く片付けようとして血や膿まみれの外科用医療器具を沸騰した湯にいれる前に落としかけて素手でしっかりと掴んでしまい深い傷をつくり、
より奏功スペクトルの合う抗生剤を選ぶことも強い消炎剤も無かった当時、
何日か高熱を出したままお粥も受け付けなくなり看護も虚しく34歳の若さでノブオを残して死んでしまった。
母のミヨは、
5歳になった頃からノブオをお行儀や品の良いしぐさを教えてもらえる日本舞踊のお稽古に連れていくとき以外は、
住み込みの診療所の手伝いの男たちの分も入れて9人分の食事と着るものの洗濯に従事する毎日でとにかく忙しくしていたので、
我が子とのんびりと笑って過ごしたりすることもほとんど無かった。
いつもノブオのそばにいてくれたのは親ではなく通いの手伝いの女の子であったが、
熱を出した時だけは、
父のゲンシンが寝ているところを気にかけて長い時間そばに居てくれ、漢方を側で調合して飲ませてくれたり脈を取ってくれたりしたので、
7歳になった頃はわざと熱が出るように倒れるまで走り続けたり冬のお風呂上がりに寒気がするまで外にいたり着物のまま川で泳いで濡れたり、
より効率よく熱が出る方法を模索してシッター役の女の子を困らせてばかりいる娘だった。
江戸時代の祖父の代からの診療所はますます忙しく、
医者志望の住み込みの男たちや診療補助の女たちも増えていき、
母を無くした医療現場などに決して関わりたくなかったノブオには居場所が無くなっていた。
父が55歳のとき、
診療所への出入りさえ嫌う13歳のノブオに糟屋郡箱崎町(今の福岡市東区)の子供が居ない豪商から養子縁組の話が持ちかけられ、
ノブオもそれで良いと望んだのですぐに話がまとまって養母となるヨネについてさっさと診療所を去ってしまった。
養父母の家は、
1587年に秀吉が開いた九州平定記念の茶会で千利休が鎖を吊るして雲龍の小釜をかけたと伝えられる松(今は九州大学医学部キャンパス敷地内)の近くで、
品の良いノブオはよく親の仕事の顧客をもてなす担当をすることがあり、
誉められることも多くて自身も愉しさを感じていた。
箱崎町の家では家族でゆっくりとご飯を食べながら養父からいろいろな話を聞くのが日課であったので、
ノブオにはいつも病んだ患者がたくさんいて血がついた白衣でバタバタと動き回り患者が押し掛けてくれば閉めている夜中でも拒まずに治療する実家の父たちのことが、
遠い別世界のことであったように思えた。
日本舞踊を習って行儀作法も知っていたノブオはここが自分の本当の居場所だと思い込もうとしていたが、15歳になった12月、
熊本県飽託郡春日町(今の熊本市)の料亭の長男マゴヘイとの婚姻を決められてしまった。
マゴヘイはまだ18歳であったが、
13歳から板前修行に出されていたのでしっかりした厳しい男であろうと懸命で、
妻のノブオにもなかなか打ち解けるような素振りはなく、
朝早くから起きて女中と一緒に拭き掃除を済ませてから朝食の仕度をするノブオの居場所は、
なりたくもない将来の料亭女将のための修行場としか思えなかった。
綺麗な着物を着てゆっくりと時間が流れる躍りやお茶のお稽古がとても懐かしく、
後継ぎをと望まれながらも言葉がきつい姑が何事にもいちいち事細かにダメ出しをしてくるのでまったく受け付けられず、
好きになれない男の子どもを産んで生涯ここに居なければならないことが本当に幸せなわけはないと天国の母のミヨにだけは涙を隠さずに告白する日々だった。
20歳なって実家の診療所に顔を出すことが許されるようになってからは女が妊娠しない日があることを聞き、
相変わらず好きになれない夫に自分の身体を許す日をコントロールするようにうまく努めていた。