ノノコ、88年のキャリアデザイン(昭和7年~令和2年)京都-中編
本人も出自が分からないという戦災孤児のカツジは、
背丈は低く二重の優しい眼差しで大声でカラカラと良く笑う男だった。
幼い頃は裕福であったもののすでに両親が居なくて心底頼れる大人の居ない若いツネオが結婚するときも、
カツジが今でいうマリッジコーディネーターのように結婚式の全てを
戦後の日本でなにかと混乱した当時にできる範囲で「モノ、コト、ヒト」の全てをすっかり整え、
後々まで関係者から絶大な信用を得てたいそう感謝をされるようなイベントにしてしまった。
カツジはこの関係者の中にいた女性と再婚を果たして、すぐに父親になった。
いつの頃かノノコは兄のツネオに習ってカツジことをオニイサンと呼んで仲間内だけでなくても自慢気な感覚が沸き上がるほど信頼し慕うようになっていた。
母ノブオのお墓がある「清水さんでなく八坂さんの方」の大谷廟のすぐ近くにある、
ノノコが幼いキヨコと暮らしているアパート内の別の階で暮らすツネオの家庭にも子供が2人産まれ、
徒歩15分に家があるカツジのところの2人の子供と合わせて5人の幼子も5歳から7歳になり、いつも一緒に賑やかに過ごすようになっていた。
7歳のキヨコはノノコが小さい頃習っていた日本舞踊を習っているが、
その月謝や着物代はカツジが支払ってくれていたこともあり、
ノノコは兄2人に多少甘えながらの三人兄弟の末っ子としての居場所を楽しんでもいた。
ノノコの夫といえばこのアパートにはたまにしか寄らず恋人のうちを常宿にしているようであったが、
生活費はノノコが夫の実家に月に一度請求に行くと姑が仕方なく収支をつけたノートを精査して過不足無い程度の額を渡してくれたので、ノノコは働く必要はなかったが20代後半になると育児だけの生活に物足りなさを感じ始めていた。
ノノコのつける家計簿は大雑把ではあったが嘘はなく、
専業主婦のヘソクリのようなお金もアパートには無かったのだが、
カツジが時おりご馳走といえる食材を持って来てくれたり外食に連れていってくれたので不自由は感じなかった。
そんな暮らしは令和の現代であれば物足りなく質素であったが、
その頃の世間には戦争で親をなくした子供や家族を亡くして一人で生きるしかなくなった大人も居るもので、
戦災孤児の子供などは戸籍も無い状態でありながら孤児院の数も足りず養子縁組みもなかなか容易ではなく、
戦後の苦しさはまだまだいくらでも残っていた。
相対的に測るしかない幸福度は、
貧困に喘いでいる国民も少なくないのをノノコがじかに感じられていたことや、
元来のん気で物事に固執しない性格のノノコにとってはそうひどいものでも無いと信じて生きていた。
あるお天気の良い春の日、
皆でお弁当を持って知恩院まで遠足に出掛けてツネオの2人の子供、カツジの2人の子供、キヨコの5人が親から離れて駆け回っていたとき、
桜の花びらが風に乗って舞う中を急に泣き叫ぶ声が聞こえてきたので何事かとノノコら母親チームが慌てて駆け寄った。
一番年上のしっかりしたキヨコが泣きながら「脚にひっかかって、当たって…」と、指を指した。
いつからそこにあったのかは分からなかったが、
ちょうど子供たちの顔が当たるような位置に脚ごぶら下がるように男性が首を吊っている死体があり、
その後はもう大騒ぎになった。
ノノコはキヨコを抱きしめて目を背けながら、
死んだら終わり。
といういつかの言葉を思い出していた。
数日後の夜、
久しぶりに酒臭い夫のノリオが戻ってきてキヨコにキャラメルを渡して子供の機嫌を取ることには成功していたが、
数分も話さぬうちに喧嘩になってしまうノノコにとっては不要な存在としか映らなかった。
キヨコが小学校にいっている間、
ノノコは仕事を探すようになって2週間ほどで市電ですぐの呉服屋の事務を手伝うことになりパートというから辞めた正社員の代わりに正規社員になれたため、
夫の実家にもらいに行く生活費と同等の金額が入るようになった。
慣れない正社員となるとキヨコを一人で留守番させることも増え、
縁故採用でないノノコは職場で理不尽な扱いを受けることもあって精神的に追い詰められストレス解消もできないままキヨコへの笑顔も消えていった。
そんなキヨコの暮らしを気にした夫の実家との話し合いにより、
ノノコはすでに愛情を持てなくなって長い夫とようやく離縁できることになったがキヨコの親権は、
正社員で働くことで学校の行事にも顔を出せなくなってしまったノノコではなく、
専業主婦で時間がある姑が居ることで夫側に取られてしまった。
キヨコが居なくなったことで生活に張り合いが無くなってしまったノノコは、
正社員になってから貯めた貯金もあったので呉服屋を辞めてしまった。
雇用保険を取れることを知らなかったのかそもそも制度が整っていなかったのか、
年金制度はどうなっていたのかも気になるが、
カツジが金銭的な支援をしてくれたこともあって贅沢をしなければそう困らなかったが娘が居ないのが寂しくてキヨコの脚はすぐに元夫の実家に向いてしまっていた。
家の前でキヨコが恋しくて泣いていると近所の手前しぶしぶ元姑が中にいれてくれるのをわかっていたノノコは、
毎日キヨコが学校から帰ってから元夫が帰ってきそうな時間までの数時間をそこで過ごすようにしていた。
やがてノノコが来ない日にキヨコが泣くようになって困った元姑もいよいよあきらめて、
ノノコはキヨコの学校がない日は朝からずっと元夫の実家で昼御飯と早めの夕御飯まで食べて過ごすことが当たり前になっていた。
金銭的な援助は元姑からは一切無かったので、
次第に生活費も心許なくなっていたノノコは、
昼間いつでもキヨコと会えるように夕方からの仕事を探すようになり、
愛想は悪いもののFカップでスタイルが良いところから、
すぐに賃金の高い社交ダンスのパートナースタッフの仕事が決まった。
日本舞踊を習ったことはあってもまるで経験の無い社交ダンスは先輩からの練習が厳しく、
結果はさんざんであったがワルツ程度限定でなんとか週三回の勤務に慣れてきていた。
元姑はその職場が気に入らなかったが生活費を渡すいわれもないと考えていたので苦言を呈するだけであったが、
キヨコには「お母さんは夜のお仕事だから云々」と言葉にするようになったので、
ノノコはそろそろ仕事を辞めなければと考えていた。
そんな頃、
7歳年下の室町呉服屋の息子がノノコを目当てに毎日社交ダンスをしに来るようになっていて、
ものを知らない苦労知らずの年下の男と昼間も待ち合わせをして、
映画やカフェーに出かけるようになっていた。
まだ22歳の世間知らずの男は、
ノノコがイライラしてキツく当たってもニコニコとついて回り、
数日毎に自分の想いを綴った長い手紙を書いて来るようになっていた。