ハナコ、明治女性のキャリアデザイン 愛媛、博多、長崎②
養母サトは、
自分も長崎の小さい島からきた養女だったがハナコと違い貧しい暮らしの口減らし同然で10歳でここに来た女だった。
サトはオランダ人のハーフでクリスチャンとして清貧に暮らす母が死んだことで親戚に養女に出され、
サト自身の美貌でこれまでこの小さな料亭を流行らせてきていたが、
夕陽の美しい静かな島に帰りたい気持ちは消えなかった。
厳しい養父と養母と共に休みなく働き続けたサトも30歳をとうに過ぎ、
自分の容姿の衰えが目立ちはじめたのを自覚して、
スポンサーや養父から提示されていた若い養女受け入れを覚悟した。
主人である養父母は別に家があり、もうたまにしか顔を出さなくなっていてずっと料亭に住み込んでいるのはサトだけで、
自分がこれまで身を粉にして守ってきたもの全てがいよいよ血縁のない娘のものになるのだという、
自分がラッキーだと勘違いして頑張ってきたことの本当の仕組みに気がついた。
サトの売りは飛び抜けた美貌であったが、
養女ハナコの売りは若いのに上品な立ち居振舞いと知的な会話で、
料亭の客層は目立って変わってきていた。
サトの頃の、
仲居を売春婦扱いするような言動を取る男客らが極端に減り、
料亭は政界や財界人とその取り巻き達や富裕層婦人客の御用達になりつつあり、
芸者を呼ぶような金に糸目をつけない宴席も増えていった。
立場は養母でありこれまでの功績を自負するサトは面白くなくて、
客が居ないところでは仲居らが心配するほどあからさまにハナコに暴言を吐いたり嫌がらせをしていた。
顔立ち美人のサトは、
自分自身で居場所を無くしていることに気がつくほど知的な女でも無かった。
社会的地位や金があれば外見に関わりなく老人になっても権益を持てる男と違い、
女の外見だけの美貌が30代半ばで脆く崩れ去ることなど、
太古の昔から分かっていることだった。
ハナコは料亭の仕事の合間に琴や笛、詩吟の稽古にも足を運ぶようになっていたが、
いくら誘ってもサトが興味を示すことは無かった。
ハナコが養女に入って10年程したある朝、
2階の客間に花を生けに階段をあがる途中で急に呼吸困難になって壁や天井が回り身体が倒れていくのを、
血の気が引いていきながらも冷静に受け止めている自分を不思議に思いながらはっきりと感じていた。
もう来る日も来る日も頑張らなくてもいいのかな、
と。




