子連れのトミとタカ、 明治女性のキャリアデザイン 博多①
ウシが嫁ぎ先から離縁となって博多のゲンシンのうちに戻った頃、
トクの6人の子どもたちも成長し、
末っ子のマサコは3歳になっていた。
愛媛の広い屋敷と違って治療所や療養所が敷地内に建つ家は狭かった。
川之江の屋敷は工場もトクが亡くなってからすぐに機械化のための近代的な大工場に建て替えられることになり、
もう父ゲンシンが訪ねていくことも無かった。
元夫は外に子どもをつくったが、
ずっと夫の両親の面倒を見ていた37歳になったウシにとっては、
幼い子どもと暮らすのは久しぶりだ。
小さいヒデオやキクエはまだ会話が出来るが、
マサコは幼児でまだ発することばの意味も分からない頃で世話も疲れるし年が近い姉たちが見れば良いのだと思っていたが、
意外にも父は、
16歳のハナコは長崎に、
14歳のハツエは愛媛に、
10歳のキクエは近く博多に、
養子縁組を決めてしまい三人は家から引っ越していって居なくなった。
家に残った19歳のゲンショウは父の診療所を手伝っていて、
9歳のヒデオと3歳のマサコの育児はウシの仕事となったが、
元々しつけはよく出来ていたし特にヒデオは聞き分けが良く賢い男の子だったことがわかった。
半年ほどして、
いつどこでどのように知り合ってそうなったのか見当もつかなかったが、
68歳の父が49歳の子連れのトミと結婚してしまった。
トミは6歳のイワオを連れていて父は離れに2階を造って住まわせるようになり、
その子を実子として戸籍に入籍してしまったが、
トクのときのように自分の子どもが産まれたと、あらかじめ教えてくれていた記憶はなかった。
結婚して継母となってから2ヶ月して少しずつイワオがなれてきた頃、
ふっとトミがいなくなってしまった。
ウシは、
マサコ、イワオ、ヒデオの3人の子どもの世話をすることになり、
診療所でテキパキ働くことも生薬を調合する手伝いをすることもなく、
ただただ疲れる育児をこなす毎日を送っていた。
ところが70歳になる少し前の父ゲンシンは、
またもやミツルという25歳の娘を連れた46歳のタカと結婚した、といって離れの部屋を二つ空けるように言ってきた。
説明もなにもない父の結婚についてはもう、
ウシには意味が分からなかった。




