ノブオ、49年のキャリアデザイン(明治26年~昭和17年)福岡-後編
父ゲンシンに用意してもらった銀閣寺の料亭「三勝」を娘三人でなんとか続けて数年になる。
10歳年下の妹ハツエと15歳年下の妹キクエらの母トクはたまには京都観光でもしに来たいと言っていたそうなのだが、
60歳を過ぎてからは曲がった腰が痛くて列車に乗りたがらず愛媛から出かけなくなっていた。
料亭の方は、
遠方からの京都観光客も来てくれるようになったが、
もともと店に来る客は父の知人から広まった知り合いと彼らに連れてこられて出自を知った人間や著名人、芸能人ばかりで、
「博多の医者の三人娘の料亭」として応援してくれるお得意さんも現れ
いわゆる一見さんお断り、で閉じて小さくそれなりに続いていた。
ノブオたちを何かと気にかけバックアップしてくれていた父も70代の高齢で、
数年前から天神の周りだけでのんびり過ごすようになったようで、
古参の二人の医者が取り仕切っている診療所には30代になっているトクとの息子ゲンショウがもう10年以上も働いていた。
亡くなった父ゲンシンの遺産をどのように分け合うことになるのかまだよく分からないが、
戸籍を整理していた実家の異母姉のウシから手紙が届いた。
父の今の妻はジュミで子どもはいないが、
父ゲンシンは60代の頃ノブオが熊本春日町の料亭に嫁いでいた間に、
イワオという息子を連れてその後ゲンシンと離婚したあと亡くなった当時52歳のトミと数ヵ月夫婦だったこと、
またその後再び結婚してたった2ヶ月で診療所内で病で死んでしまったミツルという娘を連れた46歳の病弱なタカのこと、
そしていまだその時の2人の連れ子は戸籍では実子でありノブオの弟と妹となっていること、
ゲンショウをはじめとするトクの子どもが6人も非嫡出子となっていること、
などが書かれていた。
つまり戸籍での家族は、
妻のジュミと、
ずっと実家の診療所を手伝っている50代後半になる異母姉のウシとイワオ、ミツル、戸籍では父ゲンシンの実子として届け出あるノブオの産んだツネオとノノコが内の子、
ゲンショウをはじめとする愛媛のトクの子どもたち6人がゲンシンの非嫡出子となっていたのでここまでで兄弟姉妹12人ということになる。
嫁に行かず50年以上ずっとゲンシンと暮らしてきたウシの言うには、
ウシの母の前にも女が何人かいたはずで、
戸籍に書かれてはいないがさらに4人の子どもを認知しているかもしれないと言うのであった。
遺産相続も何も、
まず我が家の戸籍を知って、
祖父の頃から医業の元で生きてきた父が病気や貧しさと闘っている婦女子をほおっておけなかったのだろうと理解しながらも、
何を思ってそこまで多くの連れ子を認知したり実子にしたり妻にしたりしてきたのか、
勝手な考えを巡らせていた。
ノブオの料亭三勝では、
金庫のお金を持ち逃げして居なくなった板前の代わりに入った京都右京区の寿司屋の息子ヤマニシとハツエが結婚して蹴上に住んでおり、
離れで一緒に暮らしている独身のキクエは仕事をしながらも小学生のツネオやノノコの面倒を良く見てくれるが、
近頃は横浜の男と結婚するかどうか迷っているようである。
ゲンシンが亡くなったすぐあと、
戸籍では実子である後妻の連れ子のイワオが最後の後妻のジュミを相手に遺産相続の要求をしていたようで、
ジュミは彼女の兄ツガワに勧められて裁判を起こしイワオとジュミの間には親子関係は認められないという判決を勝ち取り、
イワオは我が家の戸籍からは除籍されてしまった。
そんな判決が出たあと、
無事に妻の分の相続を受け取れたのか、
ジュミは離縁してツガワ姓に戻り騒がしい天神の診療所の自宅を出て静かな熊本網津村の実家に帰ってしまった。
ウシによると、
ジュミも除籍となり男性でなければならない戸籍主は長男に繰り上がった京都にいる13歳のツネオとなった。
ノブオが女将をしている料亭は、
板前のヤマニシと妻のハツエが居てくれれば安心ではあるが、
2人の子どもを持つ自分が抜けるわけにはいかないし、
できれば遺産を運転資金にあてたいところだったので、
ツネオが家督を相続することは都合は良かった。
自分に良く懐いている娘のノノコには機会があるごとにいろいろ話して教え、
躍りだけでなくお茶やお花もと思うし、
先には女将にしたい、
とも思うのだったがまだ40代のノブオの体調が時おりすぐれず、
ハツエとキクエはよく何やら相談しているようであった。
ゲンシンが亡くなって3年、
ノブオが離れで床に付く日が増え娘のノノコがいつも心配で側にいたのだが、
とうとう呼吸も苦しくなり京大病院に運ばれた翌日、
ノブオはハツエと夫であり店の板前のヤマニシに見守られ病室で息を引き取った。
キクエは横浜に嫁ぐのを延期して離れでノノコと2人で暮らし、
料亭はヤマニシとハツエが経営することになり、
ツネオは紹介されていた祇園の店に板前修行に行くことになった。
まだ49歳の若さで亡くなったノブオの残された息子のツネオは13歳、
娘のノノコは12歳だったが、
2人の心の奥には、
これからは自分たちの力で生きていかなければならないのだ、
という覚悟が生まれはじめていた。
まだ子どものツネオが継いだ家督やゲンシンの遺産がどうなったのかなどは、
大人になった後もずっと、
ノノコには分からなかった…。