幕末に生まれた一人の男性医師を取り巻く江戸時代から令和に繋がる京都-福岡-熊本-長崎-愛媛、日本女子のキャリアデザイン
令和2年、
11月だというのにまだ暖かく鳥のさえずりや笹の葉のすれる音が風に乗って心地よいある水曜日の午後。
コロナで不要不急の外出ができなくなっているうえに仕事自体かなり減ってしまったことも重なり一日中自宅に居る日も増え、
もう何年も前から仲睦まじいとは言えなくなっていたレイコと夫のカズヤが二人並んで母屋から離れた庭先で、
午前中に生豆を焙煎してもらったばかりの挽きたてのゲイシャを一滴も余すことなく味わいたいとそれぞれ自分のペースで愉しんで飲んでいた。
この界隈は新幹線が停まる地方都市の主要駅からタクシーで半時間以上かかる地価の安い緑地保存指定地区であり、
令和の現在も1,000平米クラスの庭のある戸建ても少なくなく、
毎年春になると筍を取らなければいかにも厄介なことになる小振りの竹林と陽当たりにムラがある栄養不足気味の桜や紅葉の木を何本も備えるレイコの家も例外ではなかった。
部屋にスマホを置いて庭に出てしまうと母屋の電話の小さい呼び出し音は届かないし外部との連絡はすっかり取れないところ、
テスト期間なので自室で勉強しているはずの中1になる次男のタクオが、
まだ声変わりの途中のかすれ気味な声でなにやら叫びながら両親に走り寄っていく。
タクオは、
母親のレイコが医院の院長をしているため、
まだまだヒトとしての抵抗力が培われていないような生後数ヵ月の頃から保育園とベビーシッター頼りで集団感染症にも度々さらされるような環境であったこともあって長男のハルマよりずっと病気がちな幼少時を送ったものの、
幼稚園からは健康を取り戻して近頃はずいぶん背も伸びて骨と筋肉のあまりの急激な成長から自発痛を度々うったえるほどで、
着るものや履くものがあっという間にサイズアップして親としては驚かされる日々だったため、
実のところはかなり慌てて目についたサンダルか何かをつっかけてきたかのようなぎこちなさそうな小走りで向かってきたタクオを見て、
大きくなったもんだなぁ、
などと一応夫婦の共通認識として感心していた。
「ママ!!ボクのスマホに叔母ちゃんから電話がきた!早く自分のスマホ見て!!」
タクオが取ってきて手渡してくれたスマホには妹のヨシエからの、
絵文字もクッション言葉も感情表現もなにもない、
「お母さんが死んだ」とだけ書かれたメールが送られてきていた。
今年88歳になった母にその日がくるかもしれない事がうすうすわかっていながらも、
年末年始のまとまった休日に一緒にゆっくり過ごせれば良いなどと、
夏ごろから次第に体調が弱ってきている母よりも自分の予定を優先していることを少し気にし始めていた矢先のことだった。
自分も含め生きるもの全てに平等に訪れる「死」が母にも訪れる時が来てしまっただけのことなのかもしれない。
この世に生きて世の中の歯車として機能することは仏教では修行と言われるが、
女子的には子供を産み育てることで次世代に新たな社会相合扶助納税要員を残す役割を果たすこととも言える。
救急搬送後の死亡確認事務を担当してくれた病院では人の死が日常業務の一環となっており、
葬儀社の引き取り車を待つ間に勤務シフトの交代が始まって母の遺体のカーテン1枚のすぐ横で看護師が笑い声をあげて夕食の話をしていたり若い当番医師が看護師に挨拶をしているのがよく聞こえた。
母の死亡から半日はかかったころ葬儀社との契約事務手続きが終わって、
ようやく自分を産み育ててくれたただ一人の人物がその役割を終えて消滅してしまったことを理解したことと、
生き残ったものがさらに生き続けられるようにメンタルカウンセラーの代わりに日頃会うこともない親戚を中心とする宗教儀式がこの国に存在してきたことに感動と感謝を初めて感じるレイコの前に、
パンパンに剥くんで足首がなくなるほど膨らんだままでスムーズな歩行を阻んでいた膝から下の浮腫がすっかり取れて若々しくほっそりとした綺麗な脚をしている母の身体が2人の女性湯灌師の手でシャワーを浴びていた。
納棺前の身体を丁寧に扱う湯灌師という職業が存在してこのように仕事をしてくれることを知り、
学生時代に献体ご遺体を解剖したとき以来であった人間の生と死を崇高なものと受け入れるような感覚がレイコの全身をすっぽりとつつみ込んでいた。
母は70歳を過ぎてからは、
自分が2歳ぐらいで父が死に12歳のとき自分の母は49歳で心臓脚気で死んだからわたしはよく生きている方だと言ったりしていた。
母にその後はどうしていたのかと尋ねると女学校や習い事の踊りのお稽古の古い写真などを見せて、
戦争のための学徒動員や槍の練習の話なども織りまぜてポツポツと思い出したまま口にしていた。
家族の末っ子であった母の若い頃の話はすでに時系列が不明で、
父、母、祖父、伯父、伯母、姉、兄の呼称も親しげにファーストネームだけだったりもして関係性が明確に分かりきれないところがあり、
親族の人数については増えたり減ったりややこしいものの、
愛してくれた親族の名前ははっきりと教えてくれつつも「ややこしい時代だから」と言って無邪気な表情で微笑んでいた。
60年余り専業主婦であったレイコの母には母らしい額である遺産があり、
銀行が死亡後に口座を凍結してしまったため相続人確認用の戸籍謄本が必要となった。