愛の挨拶
卵の黄身が液体に蕩けるような黄金の、天使の階梯を伴う朝日が、墨絵にも似た黒雲から顔を覗かせた。眩しさと神々しさに奈津は目を細める。美しいものには懐疑的だ。傷を負っている現状からして。けれど、それでも圧倒される自然の美に、彼女は打たれていた。自然と涙が零れる。その涙さえ、日光を弾いて宝石のように輝く。失った、遠い過去を思い出す。祖母がくれた飴。中でも鼈甲飴はこの朝日のような色をしてはいなかったか。少なくとも自分にとっては。
仕事が苦しくて仕方ない。夫は辞めても良いと言うが、奈津にも矜持があった。けれど去年の秋、妊娠したのが判り、奈津は産休を取ることにした。上司には君も女だったんだねえなどとセクハラに抵触するような嫌味を言われた。妊娠してから奈津の生活は変わった。食べ物を余り受け付けなくなり、些細なことに苛々する。やたらと眠くなる時間が増え、家事を疎かにしてしまっている。夫の青磁はそれでも構わないと、欠けた部分を補い頑張ってくれている。ごめんねと奈津が謝ると、怒る。謝るようなことじゃないよ、夫婦は助け合うものだろうと言って。
奈津は、結婚した相手が青磁で良かったと心底から思った。
ほら、と言ってにこにこ笑いながら、青磁が奈津に見せたのはベビーカーだ。気が早いと言う奈津に、そんなことないよと間延びした声で返す。身体の変化、気持ちの変化による不安が少し和らぐ。凪いでくる。ご飯を炊く匂いだけは耐え切れなくて、何度か戻してしまった。けれどそれまで興味なかったロールパンはバターをつけて食べる。妊娠するとは、命が宿るとは不思議なものだ。生まれ直すことに似ているようにも思う。
元号が変わった翌年、初めて見る太陽は、始めは不機嫌だった。
けれどそれも時が経つ内に見せる顔を変える。
何という荘厳な天使の階梯だろう。
マンションのベランダに夫婦揃って立つ奈津たちを照らす。どちらからともなく手を繋ぎ合う。温もりを分け合う。
奈津の実家は千葉県にあり、去年の災害で被害を受けた。両親を亡くした。変わり果てた両親の遺体に縋って泣く奈津の肩を、青磁はずっと抱いていた。実家近くにいた妹は無事で、奈津はそれを不幸中の幸いと思った。悲嘆を分け合える姉妹の存在は心を慰めた。
新しい年の始まり。
握ってないほうの奈津の手は、お腹に当てられている。
ぽこん。
胎内の我が子から、年始の挨拶が来た。
素晴らしいお写真は空乃千尋さんにいただいたものです。
ありがとうございます。