第7話「リア・シャルロット」
時代は変わらない、場所も変わらない。変わったのは雰囲気と、心だけ。
世界大戦の風が緩やかになった今でも外の紛争は止むことが無い。ただ、それだけの時代である。
「はい、あーん」
「あーん」
ヴァンクール帝国の首都、その大きな都市にある小さな小さな病院。
そんな小さな病院の小さな病室で、二人は戦争など消えてしまいそうな程に平和な雰囲気で辺りを包んでいた。
「ふふっ、お姉さまったら」
「あーん」
病室のベッドに寝ながら野菜スープを匙でゆっくりとかき混ぜているやつれた女の子。
容姿は金色の髪に青い瞳、そして愛おしい表情を時より見せるその子はまさにレナと瓜二つ。
「もう、普通逆ですよ。私が食べるものなのに、食べさせてどうするのですか」
「だってリアのあーん美味しいんだもん」
そう、彼女の名は『リア・シャルロット』。レナ・シャルロットの実の妹である。
リアは幼い頃から体が弱く、虚弱体質として生まれ育ったシャルロット家の失敗作。それ故にレナより待遇は酷く、あまつさえよく病気にかかるリアに対し薬の一つも処方はされなかった。
戦争の時代に女、それも病弱で覚えも悪い欠陥品のような子供が産まれてしまえば自然と扱いも雑になる。
女でありながら戦争の最前線で活躍を続けるレナとは正反対、戦いはおろか勉学も、家事すらも出来ない虚弱な体質を持つ子供。そんな子供に与えられる運命など決して良いものではない。
それでもリアを擁護する声は一つも上がらない。この戦時、帝国の為に死に逝く立派な軍人がいる中、その身を投じる事も無く帝国の食料を貪るだけの子供に擁護など難しいものだった。
親から見放され、周りから冷たい視線を送られ、帝国にとって邪魔でしかない存在となってしまったリア。
誰が好き好んでそうなったわけでもない、人は生まれる時代もその身さえも選ぶことはできない。だから誰が悪いわけでも無い。
──この世界は正義だけがあふれている、そんな正しい世界だ。
「ほらリア、あーん」
「ダメです、私の分が無くなってしまいます」
「うー」
そんなリアを唯一守り続けた存在、それは姉であるレナだった。レナだけは妹であるリアを決して見捨てなかった。
天才、天才、天才。聞き飽きれるほど同じ喝采を浴びてきたレナにそんな言葉は要らなかった。ただ一人、リアとこうして二人でいる時間だけが何よりも幸せだった。
「でも良かったよ、元気そうで」
前線で戦うレナにとって国に帰る日など年に1回あれば良い方だ。今回もリアに会うのは実に2年振り、そして今日しか会う事を許されていない。
「……また長い戦いに行ってしまわれるのですか、姉さま」
スープを口に運ぶも、姉の辛さが身に染みて喉を通らない。
こんな私の為にずっと戦ってきた姉に、一体どれほどの感謝をすればいいのだろう。
リアもまた、レナの事を誰よりも愛していた。
それは彼女が強いからとか、頭が良いからとか、容姿がいいからとか、自分を思ってくれてるからとか、そんな安い感情じゃない。
もし自分が姉と逆の立場だったら同じことをしていたに違いない、そう思えるほどに心の底からレナの本質が好きだった。
「大丈夫、私って以外と強いんだよ?百戦錬磨、怒涛の勢いで敵を次々と倒していく無敵の中佐!そう、レナ・シャルロットとはわたしのことだー!」
「ふふふっ、けほっけほっ……」
「あ、あぁごめんね……」
無邪気に元気を振りまくレナに思わず笑ってしまうリア。
「確かにこれだけ元気な姉さまが負ける姿なんて想像出来ません」
「元気だけ!?元気だけで私生き残ってきたの!?」
喜怒哀楽の様に感情を与えてくれるレナは毎日病室で窓を眺めているだけのリアにとって一番生き甲斐を感じる瞬間でもあった。
決して無理に励まそうとはせず、あくまでマイペースにいつも通りの自分を振りまいてくれる。そんな天才的な姉。
「冗談ですよ、ふふっ。 本当に、姉さまといると嫌でも笑ってしまいます」
「もー。……まっ私も今度から後方支援らしいからさ。次もちゃんと会えるよ」
それが嘘なのは百も承知だった。帝国の切り札とまでされている姉が後方支援なんてあり得ない。
それどころか私が今安全にこの病室で暮らせている事さえ、姉のおかげだと言うのに。
……それでも。
「それなら安心です。あ、でもアイスの食べ過ぎはいけませんよ?」
「そ、それは難しいかなぁ~?」
「ダメです」
「ぐぬぬ……」
それでも姉は絶対に帰ってくる。間違いなく生きて、帰ってくる。
それは私が誰よりも知っている事だ。だから心配はいらない、姉は私に言っているんだ。──「絶対に死なない」と。
天才の、いや、天才を越えた彼女ならそれを可能にする。可能にする努力を成しえてきた。
だから私も、次会う日まで安心して眠れるんだ。
「レナ・シャルロット様。お迎えです」
「ん」
時間は夕暮れ。姉の部下と思わしき軍人が病室の扉を叩き、呼び掛ける。
それが次会う時までさよならの合図だ。私は憂鬱に駆られそうな表情を噛み締め、笑顔で姉の頭を撫でる。
「頑張ってください、姉さまの活躍期待してますよ」
「……うん。大丈夫」
そう言って姉は立ち上がり、突然私の頭を包むように抱きしめた。
「大丈夫。いつか絶対、二人でずっといられるようにしてあげるから」
その言葉で私の想いが見透かされている事に気が付く。
──だめだ。この姉に隠し事なんて出来ない、全部バレてる。
本当は行ってほしくない、本当はもっといて欲しい。もっと話していたい、もっと笑っていたい。……全部、全部見透かされていたんだ。
先程まで姉の真似事をしていた私はすっかり消え、まるで立場が変わったように姉の胸へと縋りつく。
「大丈夫」
不思議とその一言で涙があふれてくる。
姉の辛さを分かち合えない自分、姉の優しさを分かち合えてしまう自分。凄く優しくて、こんな私に尽くしてくれて。……それでいて私は姉のために何かをしてあげることが出来ない。
戦場の辛さは一度も体験していないけれど。きっと凄く辛くて、私なんかでは耐えられない程の悲惨さを帯びているんだろう。姉はそんな所にずっと、ずっと居続けている。
そして帰っても私をこうして抱きしめてくれる。──世界一大好きな私の姉だ。
「だからそれまで待ってて、ね?」
「うん……うん……っ!」
あふれ出る涙を拭いながら、私は何度も返事をする。 私が唯一出来る事は姉の言った言葉を最後まで『信じる』事だ。
それが私に出来るたった一つの恩返し。姉が何を言っても、何を思っても、何をしても。私は絶対にその言葉を、行動を全てを肯定して信じる事だ。
溺愛と言えばそれまで、でも私は知っている。姉は本当は優しくて、気遣いも出来て、戦争なんかとは無縁の穏やかな性格だと言う事を。
だからこそ信じなきゃいけない。ずっと、彼女の味方をしてくれる人がいなくなっても。最後まで。
「……じゃあ、行ってくるね」
「はい、待ってます。姉さま」
最後に私の頭を優しく撫でて、病室を出て行った姉の勇姿。
……──次に会うのは5年後だ。