第0話「全てが始まる瞬間」
──金色の髪に青い瞳を持って産まれた才女。
レナ・シャルロットは生まれながらに非凡であった。
教えられた事は完璧にこなし、間違いのひとつも起こすことは無い。
勉学では教えられた事を覚えるだけでなく、自身で考え結論を見出し、それが相手の望む最良の答えと合致する意見を述べて見せる。
訓練では幼き身でありながら柔軟な身体強化に取り組み、一度見た体術を模倣してしまうほどに規格外。
そんな彼女はたった4歳で未来の神童と謳われた期待ある存在、常識の範囲内で天才と言う枠組みに入る稀代の才能を秘めていたのだ。
対して彼女の妹、リア・シャルロットは何一つ才能に恵まれていなかった。
勉学はおろか身体共に影響があり、幼い頃から上手く声が出せない肺の難病に苛まれていたのだ。
ここは死の西暦、最後の乱世。女子供でさえ戦争に参加する時代、そんな慈しみの欠片もないこの時代に病弱虚弱な軍の娘など何の価値も無い、精々人身売買として扱われれば良い方だろう。誰もがそう思っていた。
──しかし、そこで名乗りを上げたのが姉であるレナだった。
レナはこの当時10歳になる。既に幾千もの戦争に参加し戦果を掲げ、小隊の隊長すら任されるほどの天才的逸材として評される程に成長していた。
その中でも随一指揮に長けていた彼女は、幼い身ながら未来の軍師候補を確約し、『天才軍師』の二つ名を将来の名義として喝采されるだろうと各所で噂されていた。
そんな帝国の希望として生まれ賛美された彼女が妹の為に申し出た内容は、今後一切戦果による報酬の拒否、一定の戦果を毎度上げること、そして戦場で身を終えるまで戦い続けることを対価に、自身の妹リアを戦争とは無縁にすること、病気を抑える薬を手配すること、安全な施設に保護することだ。
彼女は自分と言う国の駒を最大限に活用して帝国と言う一つの国に対して交渉を行ったのだ。
そして帝国側はこれを即承認、優秀な人材がたった一人の民を保護する代わりに自分を好きに使っていいと言ったのだ、拒否する理由がない。
交渉は円滑に進み、レナは上記の内容と共に軍の上層部と取り決めを行ったのだった。
──しかしレナもまた、この病を患っていた。
通称PTSD……Post Traumatic Stress Disorder.──心的外傷後ストレス障害。
物心付く前から戦場へ身を落とし、数年間死体と死臭を嗅ぎ続けた彼女の精神はボロボロに廃れ、血を見るだけで嘔吐を促してしまう程に重症となっていた。
一生分の戦果を上げ、後は安全な後方支援だけで一生遊んで暮らせるだけの地位と名誉を築きあげてきた彼女は当然、この病気が発覚した時もすぐさま安全な施設への送迎が許されていた。
だが、レナはこれを僅か一年で蹴り、翌年11歳から再び戦場へ帰還することとなった。
全てはリアのため、リアが幸せに安全に暮らすため、たったそれだけの為に自分自身すら犠牲にしていったのだ。
金色の髪を靡かせ、すれ違う兵士に引き攣った笑顔で挨拶を交わす。
可憐で、清楚で、美しく、儚げなく、それでいて指揮も実力も秀でた彼女に嫉妬こそすれど罵声を浴びせるものなど誰一人としているはずもない。
士気は最高潮を維持し続け、兵士達の活気は増すばかりだった。
……だがレナは違った。
再び戦場へ帰ってきた彼女はすぐさま物陰に隠れて膝を着き、岩場に向けて嘔吐した。
血を見るだけで止まらない吐き気、死体を見るだけで膝が震える、死臭を嗅げば嘔吐と共に涙が溢れてくる。
乗り越えなければならない壁、何度も何度も立ち塞がる自分と言う障壁。
それでも彼女は立ち上がり、蘇るトラウマを踏み潰し、誰にも悟られぬよう"天才レナ・シャルロット"を演じ切る。
血を見れば食欲が唆られるように、死体を見れば安心して眠れるように、死臭を嗅げば気分が落ち着くように。
自分を偽り、自分を変え、あまつさえそれが本物であるかのように。ずっと、ずっと……永劫を見据えて長い間、誰にも気づかれることなく続けていったのだ。
──そんな日々から早くも数年、気が付けば稀代の天才と謳われていた彼女の面影は何処にも無い。
死体を踏み潰し、死臭の中でパンを食べ、血の海と共に四六時中寝ている。
敵も味方も含めて何もかもを壊滅させ、何故か彼女だけは無傷で生存。
それでいて戦争では必ず戦果を上げて帰還してくる。
最初は運が良いとも言われていた、軍の采配がめちゃくちゃで、指揮さえまともに取れていない。
だが、彼女は何度出向いても絶対に帝国の利益となる戦果を築き上げて帰還するのだ。
10の援軍を送り込めば、10の犠牲と共に20の殲滅を達成する。
負けることは一切無く、味方の全滅と共に敵を一掃して行く。
そんな理解し難い戦術を取っているのだ。
自軍を死なせるなど本来あってはならない事だが、彼女はそれ以上の戦果をもたらすため軍部も頭を抱えていた。
そんな異常たる彼女の存在は、今や知らない者などいない。
若き女性でありながら中佐という階級を得ており、軍師を担う帝国の切り札でもある。
天才などおこがましい、凱旋将軍など物足りない。
彼女の名はレナ・シャルロット。
またの名を──『天災軍師』。
◇◇◇
帝国は今日、彼女の限界を見極める。
帝国と並び行く大国、ルクセンライト王国を相手にあの『天災軍師』レナ・シャルロットを使用すると言うのだ。
相手は300万の軍勢を所有する大国、それも猛毒が蔓延るタナトス州に住む民族を相手にしなければならない。
対してこちらが用意する兵はたったの20万、十分の一以下だ。
絶対に勝てない相手に対し、何もかもをめちゃくちゃに壊滅させる彼女を送り込んだら一体どういう結果になるのか、帝国の上層部はその矛盾が非常に気になっていた。
敗北したのならそこまでの人物だったということが簡単に導き出せる。と言うよりも彼らは敗北以外の結末を予想していなかった。
だが仮にもしも、もしもだ。もしも彼女が自分の実力を引き出し、規格外の戦術を見出して勝利することが出来たというのなら、……それは革命にも劣らない史上の勝利として歴史に名を刻む事となる。
「二十万の軍をやる、それでルクセンライト王国を落として来い、それ以外の戦果は即刻処分とする」
レナ・シャルロットの上官を務めるのは今作戦の司令塔『グレイ・コーディ』。
彼はこの戦に勝利を求めていない。
前々から妬みの対象としていたレナ・シャルロット中佐を亡き者にするために今作戦の司令塔を名乗り出たのだ。
女の、それも子供の分際で自分に迫るほどの功績を上げる彼女が鬱陶しかった、ただでさえ自分の部隊より士気が高いのだ、これ以上つけあがらせると碌なことにならない。
だから今回はこの女を確実に殺すため、俺の障害となるものを合理的に排除するために今回の作戦に名乗り出たのだ。
「御意」
いつも通りの体で返事をするレナ。
そうだ、お前は優秀過ぎた。だが万能じゃなかった、俺がお前を殺そうとしている意図を読み取れない時点で実力では俺の方が上だったと、今証明されたのだ。
「……リアの安全と保護の件、よろしくお願いします」
「ああ分かってる分かってる、さっさと行ってこい」
リア?あー、そういえば帝国本土内の病院施設に放り投げられてるコイツの妹だったか?
どうせお前はこれから死ぬんだからそんな約束知ったことじゃないがな。
内心嘲笑うようにレナを一蹴し、魑魅魍魎の地へと送り込ませる。
今回の戦争は色んな意味でヴァンクール帝国全土の未来に関わるものだ。
かの軍師、レナシャルロットの実力、その本質。全てを見極め、見定める貴重な一戦。
勝敗は関係ない、どれくらいの被害で、どれくらいの戦果を上げてくるのか。はたまた予想打にしない結果を持ってくるのか。
その結果こそが今回の戦争における最重要項目となっていた。
「──それでは、行きます」
『行って"来ます"』とは言わない辺りにレナ自身の諦めがあったのかも知れない。
後ろへと振り向き、戦場への片道切符を手にする。
"天災軍師"の伝説もここまでか、彼女の本質は定められたのか、見解の相違は無いのか。
今にも消えてしまいそうな儚げない表情を見せるレナに対し、彼女を知る人物達は皆、敗北を悟っていた。
だが、その瞳には確かに淡い炎が揺れていて、抑えていた別の何かが、怪物の様な何かが今にも吐露してしまいそうな、そんな気配を醸し出していたのだ。
彼女はもう十分に怪物だと言うのに、一体、これ以上何を秘めているというのだろうか。
それともただの杞憂なのだろうか。
様々な思惑が交差する中、ルクセンライト王国との戦争が今──幕を開けた。
◇◇◇
地球はこの時泣いていた、戦争に対してではない。戦争は人類の歴史において摂理のようなもの、例え大地が焼け焦げ崩れ落ちようともそれが人類の選んだ答えならば共に朽ち果てる覚悟だ。
運命はこの時嗤っていた、彼ら人類の愚かしい行動に対してではない。これから起こる地獄のような未来を知っているからだ。
二つの概念は互いに感情を剥き出しにする。おぞましい未来に対し、今にもその雫を大地へ降らしてしまいそうになる青き星。それを陰から嘲笑する時の流れ。
運命は嗤っていた、嘲笑っていた。これから人類に起こる悲劇的な未来を知っていたからだ。
母なる大地は泣いていた。この大地が、人類全てが。人類以外の手で終わってしまうような気がしていたからだ。
二つの概念は一人の少女を注視する。常識外れの天災と言われし人の子。そう、彼女もまた、人なのだ。決して神などではない。
心が折れてしまっている。折れながらなおも努力し続けた、廃人など甘い話ではない。まるで意志だけが動き続けているような傀儡の愚物。
彼女がどれほど辛い人生を歩んできたのか、どれほど努力したのか、その努力した結果すらも幾度踏みにじられたことか。……そして、その道を歩ませたのすら運命の思うがままだったとしたら。
──地球は泣いていた、怒りに身を震わせそうになりながら。
……それでもまだ、雨を降らせずに耐えていた。