潜入
出勤する人たちの姿もまばらとなってきた官庁街の午前10時過ぎ。
農業技術総合試験センター。5階建てのビル。前面の片側三車線の道路に面した正面玄関には警備員二人が立っていた。
正面玄関前の歩道を一人の若い女性が鞄を右手に持って歩いていた。
その女性の背後から近づく自転車には、マスクで顔の半分を隠している若い男が二人乗りしていて、嫌な感じを抱かずにいられない。
自分の本来の職務と関係ないとしても、警備員たちの視線がそこに向かっていた。
予想通り女性の横を通り過ぎる時、後ろに座っていた男の手が伸び、女性の鞄に手をかけたと、同じタイミングで自転車が加速した。
「きゃっ」
持っていた鞄を引っ張られ、重心を崩した女性が前のめりに倒れ込むのを目撃した二人の警備員がほぼ同時に飛び出した。
「君、大丈夫か?」
一人は倒れ込んだ女性に近づき、声をかけた。
もう一人は走り去る自転車を追いかけはじめた。
「重要な書類が」
女性は悲壮な表情で立ち上がると、自転車を追いかけようとして、よろめいた。
「待っていろ」
女性に話しかけていた警備員も自転車を追いかけはじめた。
最初に自転車を追いかけた警備員と自転車の距離、追いつきそうで追いつかない。
二人乗りの負担からか、自転車本来の速度が出ていなかった。
警備員たちがいなくなった正面玄関に、5人の集団が近づいていた。
男性は二人。一人は中年、もう一人は聡史。
そして、私服姿の三人の少女たち。
正面玄関をくぐると、五人はそれぞれ鞄からネックプレートを取り出し、首からかけた。
ここの関係者。それを証明するネックプレート。
三人の女生徒のものは本物だが、聡史ともう一人の男のものは偽造したものだった。
五人は受付カウンターに座る女性ににこりとした笑顔を向けた。
女性たちも、にこりとした表情で軽く会釈を返してきた。
特に問題視されていない。第一関門突破。
聡史は少しの安堵感を抱きながら、ホールの中に足を踏み入れて、奥に進んで行った。
職員専用。そう書かれた鉄のドアを開けると、その先は6畳ほどのエレベーターホールだった。
エレベーターを呼ぶためのボタンの横に、セキュリティ装置が設置されていて、ネックプレートのICカードの中に記憶されたIDコードと照合され、関係者でなければエレベーターを操作できないようになっていた。
女生徒の一人、小柄で濃いブラウンのショートヘアをした明石愛佳がネックプレートではなく、鞄から取り出した別のICカードをセキュリティ装置に近づけた。
短い電子音と共に、OKと言う文字が表示された。
明石がエレベーターのボタンを押すと、ボタンのランプが点灯し、上層階に停止していたエレベーターが下降を始めた。
ここのセキュリティシステムのICカードの中には、持ち主のIDカードが記憶され、建物の中の入れる場所がコンピューターによって、個人ごとに管理されている。
システムの設定が変更されている可能性を考えると、すでに明石たちにはセキュリティシステムにロックされる恐れがある。
それだけでなく、柏木たちの仲間の少女たちが入って来た事を検知され、関連部門に通知が行くと言う可能性だってある。
本来のICカードは使わない方がよい。
そう桐谷は助言し、セキュリティシステムには鳥居の配下となっている少女たちのIDコードを使ったICカードの偽造を提案していた。
本物のICカードには、氏名だけでなく、本人の顔写真がプリントされているが、この偽造カードには何もプリントされていない無地ものだった。
エレベーターが到着し、静かにドアを開いた。
誰も乗っていない空間に、5人が乗り込んで行く。
ドアの横にある行き先階ボタンの横にも、セキュリティシステムが設けられていた。
明石が偽造したICカードを近づけると、小さな電子音がした。
明石が地下2階のボタンを押すと、ランプが点灯した。行き先が許可された証だ。
エレベーターのドアが閉じられると、静かに下降を始めた。
地下一階、地下二階。
停止したエレベーターのドアが開いた。
その先には数十畳ほどの広さのホールと閉ざされた二つのドアがあった。
どのドアの横にも、やはりセキュリティ装置が設けられていた。
この施設に当然詳しい明石たちは迷うことなく、正面にあるドアに向かって歩き始めた。
聡史と中年の男が続いて行く。
明石がICカードでドアを解錠した。
そのドアの向こうには廊下がずっとつながっていた。
廊下を進みながら、聡史が左右を確認する。
いくつかのドアが所々に設けられていて、やはりどのドアにもセキュリティシステムが設けられていた。
廊下を歩く数人の職員。
聡史が自分たちに向かってくる職員に身構えながら、歩いて行く。
3、2、1。聡史が心の中でカウントダウンする。
若い男性の職員は聡史たちに何の興味も、反応も示さずすれ違って行った。
ネックプレートをしているせいか、明石たちに見覚えがあったからなのか知らないが、とにかく無事にやり過ごした。
廊下の中ほどにあるドアの前で、明石が立ちどまった。
ICカードを当てている背後をまた別の職員が通り過ぎて行った。
どうやら、自分が気にしているほど、向こうは気にしていない。聡史はそう思った。
明石が開いたドアの向こうは広い空間だった。
パーティションで区切られたいつくもの区画。
その区画の中にはいくつかの机が置かれていた。
通路のための空間を通って、明石たちが進んで行く。
パーティションの中ではパソコンに向かい、何か作業をしていた。
数人の職員がちらりと、聡史たちに視線を向けたが、特に何の反応も示さなかった。
やはり全く自分たちの事を気にしていないらしい。
聡史は安堵感に包まれた。
通路の突き当たった先に、大きめのドアがあった。
セキュリティシステムはなく、明石がそのまま手で押して開いた。
そこは広い空間ではなく、細い廊下。
その左右にはガラス張りの部屋が配置されていて、その中では白衣をまとった職員たちが、何かの実験をしていた。
たぶん、姉貴がこのどこかにいる。
そう感じた聡史も目を凝らして、歩いて行く。
「ここよ」
明石がそう言って、聡史に振り返った。




