鋼鬼殲滅
その日、大統領官邸からそれほど遠くなく、緑や豊かな広大な敷地を有する高杉公園は普段の静けさとは打って変わった喧騒と熱気に包まれていた。
密かに杉本の部下がネットに書き込んだ打倒松下の集会には多くの市民たちが集っていた。その数は数千。このような運動には治安維持部隊による鎮圧のリスクが高く、普段なら百人にも満たないものだが、今回は鋼鬼がいると言う安心感からだろう、今までにない人々が集まっていた。しかも、その表情には鋼鬼の出現を確信しているのか楽観的な笑みを浮かべてさえいた。
一方、治安維持部隊は大統領官邸を背にして、市民たちと向かい合っているが、こちらも鋼鬼に雪辱を果たすための戦いと位置付けているため、先制攻撃に打って出る様子はない。
そして、公園の外にも多くの人々が集まっている。この人たちは戦いの趨勢を見守っていると思われ、鋼鬼が現れ、一たび治安維持部隊側が崩れれば、反政府側の旗幟を鮮明にし、大統領官邸になだれ込むに違いない。
どちらも手を出さないばかりか、市民側は政府側を挑発するような口撃すら開始していない。あくまでも、集会開始時刻までには現れるであろう鋼鬼を待っている。
嵐の前の静けさ。そこに身を置くのは杉本も同じだった。大統領官邸の一室から、高杉公園に目を向けて、その時を待っている。
「杉本君、奴らの前面にでいるのは私の治安維持部隊であって、任せてくれと言った割には、君の部隊の姿が見えないようだが」
背後から杉本にそう声をかけたのは松下である。
「彼らは雪辱を果たそうとしているようですから、彼らの面子を立てて、我々は陰から応援と言う事です。
彼らも、鋼鬼の弱点が目だと言う可能性があると知ってるんでしょう?」
「なるほど、ものは言いようだ。
だが、この作戦、失敗は許されんぞ。
あの者どもをここにおびき寄せたのも君だろ?」
「ネットに煽られて集まっただけでしょ。
私は関与していませんよ」
杉本は背後に立つ松下に視線を向けることなく、外に広がる公園の光景に目を向けたままで言った。
「カウントダウンだ」
松下の言葉に杉本が右手の腕時計に目を向けると、集会の開始時刻14時があと一分に迫っていた。
どこから来る?
もし、鋼鬼が現れなかった場合、この群衆と治安維持部隊たちのにらみ合いは多数の一般人の死傷者を出すと言う最悪の結末を迎える事になるだろうが、杉本は鋼鬼たちが来ないと言うケースは全く考えていなかった。
その杉本の予想が正しかったことはすぐに証明された。集まる群衆の中から、歓声と拍手が沸き起こった。
「鋼鬼様だ」
「一気に大統領官邸を落とすぞ!」
そんな声が起き始めると共に、鋼鬼たちに道を開くため、群衆が二つに割れた。人々がいなくなり、見晴らしが開けた先から、ゆっくりと進んでくる赤銅色の肌をした二体の鋼鬼。
やがて、群衆の前まで進み出ると、大声で叫んだ。
「今日は松下が大統領の座から引きずり降ろされ、これまでの人々の恨みを背負い、地獄に落ちる日になるだろう」
「おぉぉぉぉ」
「やっちまえぇぇ」
「松下に死を!」
鋼鬼の言葉に呼応し、積もり積もったうっ憤を吐き出す言葉が群衆の中から沸き起こったと同時に、向き合う治安維持部隊の指揮官から命令が発せられた。
「構えぇっ」
治安維持部隊の隊員たちが、一歩進み出て銃器を構えた。後はトリガーを引くだけ。鋼鬼の近くにいた群衆たちの一部は銃撃の巻き添えを恐れ、慌てて引き下がって行く。
「ってぇぇぇぇ」
指揮官の命令に、治安維持部隊隊員たちの一斉射撃が始まった。
立ち込める硝煙と銃撃音の中、指揮官が隊員たちに言う。
「いいか。目を狙え!」
とは言え、鋼鬼たちは両腕をクロスした状態で、自分の顔面をかばいながら、突進を開始した。隊員たちの放った銃弾は鋼鬼の体に跳ね返されているらしく、地面をえぐりながら、虚しく地面の中に姿を消し続けている。前回の鋼鬼と治安維持部隊の戦いと何ら変わっていない。目を狙えと言われても、狙える訳もない。
鋼鬼たちの走る速度は特に速いと言う訳ではない。徐々に近づいてくる鋼鬼に隊員たちを恐怖と言う感情が襲い、狙いを定めるはずの手も震えだすと、銃弾が逸れはじめた。逸れた銃弾が向かう先は、鋼鬼の背後に群がる人々である。
「ぎゃぁぁ」
群衆の中の者たちにも被害がおよび始めると、われ先にと群衆が散らばり、逃げ出し始めた。それとは対照的に、降り注ぐ銃弾に怯んだ様子もなく、二体の鋼鬼は発砲を続ける治安維持部隊に突進し続け、ついに部隊の中に切り込んだ。隊員たちの懐に飛び込んでしまった鋼鬼を相手にするにも、仲間に銃弾が当たる可能性を考えれば発砲と言う選択肢は使えない。取れる手は肉弾戦。とは言え、銃弾で傷つけれない鋼鬼を相手に、人間が何をやっても無駄でしかない。それに対し、鋼鬼は隊員を一殴りするたびに、人命が消えて行く。
頭部を殴られた治安維持部隊の隊員は、頭部を陥没させながら吹き飛んで行き、胴体のあたりを蹴られた隊員は体を90度と言っていいほどの角度で体を折り曲げ、口から血を吐きながら、吹き飛んで行く。
銃撃が止み、治安維持部隊の隊員たちが次々に死に絶えて行く様に、逃げ始めていた群衆が再び集まりはじめ、治安維持部隊がやられる様を見て、歓声を上げている。
鋼鬼たちの前に注意すべきものはなく、もはや目の前の敵を殺戮していくだけだと勝利を確信した鋼鬼たちは無防備だった。そんな鋼鬼たちの目に照準を合わせる者たちがいた。杉本が率いてきた射撃の精鋭たちが大統領官邸の屋上から、その時を待っていた。
「ってぇぇぇ」
指揮官の命令と共に、発砲が始まった。
狙いを定めていた鋼鬼たちの目を銃弾が襲う。右目、左目、次々に銃弾が命中する。
筋肉隆々とした赤銅色の肌の部分とは違い、目に命中した銃弾は眼球を貫き、鋼鬼の頭部に姿を消していった。それは眼球を取り囲む骨を砕き、脳に到達すると、脳細胞を破壊していった。目から流れる赤い血。脳を破壊されて鋼鬼たちは銃撃を受けた目を手で覆う仕草を取る間もなく、地面に崩れ落ちた。
「鋼鬼は退治させていただきました」
「もっと、あんな大きな被害が出る前に何とかできなかったのか?
わざと遅らせたと言うわけじゃないだろうな!」
「わざとな訳ないじゃないですか」
そう杉本が言い終えた時、大きな損害を出していた治安維持部隊を包んでいた恐怖は安堵となり、続いて怒りに昇華し、その対象を群衆に定めた。
「反政府分子を駆逐しろ!」
隊員たちの中から起きたその言葉に、隊員たちが銃口を群衆に向け、発砲を始めた。
「行け、行け、私に逆らう者はやってしまえ!」
その光景に松下が興奮した声を上げた。
「高山さん。あの鋼鬼の遺体は遺伝子解析するのですか?」
松下の姿にうんざり気味の表情で、杉本が同じ部屋のソファにじっと座っていた高山にたずねた。
「ええ。それはしますよ」
「何か分かったら、教えてください。
私はこれで失礼する」
杉本はその言葉を残して、大統領官邸を後にした。