開いてしまったPandoraの箱
余裕で三人は座れる革張りのソファの真ん中に一人でどかっと座り、そのスペースを占拠しているのは小太りの大統領 松下である。手に握るリモコンを操作し、自分の直属の治安維持部隊が敗退する姿が映し出されていたTVの電源を切ると、不機嫌そうな視線を正面に立っている二人の男に向けた。
二人の男の内の一人は、松下のお気に入りの大統領補佐官 高山昌晃、もう一人は軍の首都の防衛を担当する第一師団の杉本少将である。
「こいつらは何だと思う?」
元々低めの声だが、機嫌が悪いためか、さらに低めで、しかもヴィブラートがかった声で松下が言った。
「人間だとは思っていますが」
「今のところ、お答えできる情報は持ち合わせていません」
二人が答えるのを聞き終えると、松下は立ち上がり、二人に背を向けて、言った。
「私には心当たりがある」
「本当ですか?」
「あれは何なんですか?」
驚きの声に、松下は再び体を反転させて、二人に向き直って語り始めた。
「10年ほど前だったかな。
遺伝子治療技術の一環として、小田悟志と言う研究者がファージとかなんとかと言うウイルスを使って、生きた人間の遺伝子を組み替える技術を開発した。
元々は治療目的だったんだが、組み替える遺伝子を特別な遺伝子とすることで、人を超えた力を与える事ができるようになった」
「それがあの鋼鬼なんですか?」
「彼が開発していた中には、超速再生や治癒系の医療目的から外れていないものもあったが、あの鋼鬼のように筋力増強や、銃弾への耐性を高めた肉体組織と言うものもあった」
「では、その小田があれを作ったんですか?」
「いや。
その技術に目を付けた私が小田の研究所を接収しようとした前日の夜、小田は所員を毒殺し、研究所に火を放ち、その技術をこの世から消し去った」
「では、あの鋼鬼は?」
「考えられるのは二つ。
あの日、小田は私に自分が生きていた証はPandoraの箱に詰めておいたよと言った。
つまり、この言葉の意味は研究の成果をどこかに置いたととれる。
その技術を使って作られたのが鋼鬼。
もう一つは、あの日焼け落ちた研究所から回収された遺体の数は一人分少なかった」
「小田は逃げていたんですか?」
高山が口を挟んだ。
「いや、小田の遺体は確認されている。
DNA照合で確認できなかったのは、副所長の山本と言う者だ。
この者が今になって、当時の技術で鋼鬼を作ったか」
「いずれにしても、そこに鍵があるんですね」
「では早速、小田の親族に当たってみましょう」
「待て」
今にも動き出しそうな高山に松下が待ったをかけ、その理由を続けた。
「小田は結婚していなかった。
親族は父親と姪っ子が一人。
父親を呼び出して調べてみたが、何も知らないの一点張りで、家の中にも捜索に入ったが、何も見つかっていない。今、再び当たっても同じ結果だろう。
正攻法ではだめだろうな」
「分かりました。
ちょっと考えさせてください」
「分かったが、山本の方も忘れるな」
「はい」
「で、杉本君、君の方は鋼鬼対応に関して、どう貢献してくれるのかね?」
「我々軍は市民には銃を向けませんが、対鋼鬼戦はお任せください」
「ほぉ。言うねぇ。
何か考えでも?」
「治安維持部隊との戦いで銃撃を受けている最中、奴らは顔をかばうかのように両腕を顔のあたりでクロスしています」
「なるほど、弱点は顔。
目と言う事か?」
松下の言葉に杉本が頷いた。
「としたら、奴らには超速再生の能力は無いと言う事になるが、奴らは君に任せよう」
「では」
そう言うと、杉本も部屋を出て行った。二人が出て行ったドアに視線を向けながら、松下が一人つぶやいた。
「Pandoraの箱は開けられるためにあるんだよ」
松下の下を去るとすぐに杉本は動いた。
衆目監視の下、治安維持部隊と戦いを演じた鋼鬼たちは松下大統領打倒を叫んでいた。鋼鬼たちを背後で操る者は自分たちの大義として、反松下を掲げている事は明らかである。権力掌握後、最長2期8年と言う制限だけでなく、大統領に対する選挙まで廃止する事で、実質的に終身大統領となった松下は反体制的な市民の動きを治安維持部隊の武力で弾圧し、すでに多くの国民の命が消えているだけに、鋼鬼たちの言葉は市民たちに共感を与えている。
もちろん、杉本は鋼鬼の背後にいる者が反松下だとしても、その思いが純粋なものなのか、自分の私利私欲からなのかまでは推測すらできていないが、いずれにしても、反松下と言う言葉は餌になると確信していた。
ネット上に反松下のための行動を呼びかけると、ネットは一気に熱くなった。
「きっと、鋼鬼様がやって来てくれるはずだ!」
「鋼鬼はわれらの味方だ!」
「鋼鬼様がいる限り、勝利は我々のものだ」
「ついに、松下を倒す時が来たぞ!」
ネットの盛り上がりに反応したのは市民だけではなかった。当然、治安維持部隊も反応し、ネットに書かれていた日時と場所に鋼鬼が現れる事を見込んだ体勢で、雪辱を果たすべく準備に入り、その事を確認した杉本がつぶやいた。
「役者は揃ったようだな。
市民の事を顧みない松下の取り巻きには、ピエロになって踊ってもらおうじゃないか」