封印
車が余裕で対向できる生活道路に、私以外の人気はない。
道路に沿って立ち並ぶ家々も大きな邸宅が多く、道路には庭が面していて、家々の中から道路の気配は感じにくく、かっかっとヒールの音を立て、私が足早に歩いていることに気付いている者はいないはず。
生き物の気配と言えば、夜の街を照らし出す街灯に群がっている夏の虫くらい。
基本、この国の治安は回復したとは言え、変質者がいない訳ではない。平和な時代だって、そんな犯罪はそれなりにあった。
誰もいない夜ともなれば、早く家にたどり着くに越したことはない。
悟志の事も、河原君の事も、超人の事も、頭の中から振り落とし、さらに足を速めた。
家もすぐそこ。と、思った時だった。
誰もいないはずだった目の前に、突然人影が現れた。
闇に隠れていた人物が、光に照らし出されて現れたのではない。
突然、視界に覆面をした男が現れたのだ。
びっくりし、一瞬思考停止した私の目の前から、その男は消えた。
人間離れした移動速度。
「超人?」
私の思考がそこにたどり着いた時、背後から腕で首を締め上げられていた。
一瞬の内に、私の背後に回り込んでいたらしい。
声も出せない。
息も満足にできない。
「どうして、超人がこんな事を?」
そんな思いを抱きながら、死を覚悟した。
「お前、桐谷真弓。小田悟志の元カノだな?」
がさがさのしゃがれ声で囁かれた。
誰でもよかった訳じゃない。
襲ってきた相手が超人なところから、そんな予感はしていたけど、それが確定的になった。
河原君の超人たちを抹殺し、技術を封印する計画。
どこから漏れたのか分からないけど、その話に乗ったと誤解されたと考えるのが妥当かも。だとしたら、どうせ殺されるなら、あの話に乗って、一人でも超人を殺しておけばよかった。そんな思いが脳裏を過る。
「お前、小田から何か超人の遺伝子に関する情報を貰っていないか?」
首を締め付けている腕の力が緩んだ。
超人の言葉は、私にとって予想外の言葉だった。
なんで、そんな事を聞くために、私を襲ったのか?
「どうなんだ?
政府は俺たちより強力な超人を開発してしまった。
早川結希の力を俺たちは欲しているんだ」
早川結希。その素性も名も、河原君から聞いて知っている。
悟志の姪で、超人を超えた力”希望”を持つ少女。
河原君が超人たちを抹殺し、その技術をこの世から葬り去る目的は、その彼女を守るため。
でも、超人より強い彼女を守るため、彼女より弱い超人たちを河原君が抹殺すると言うそこのところが理解できない。
「あれは希望なんかじゃない。
希望の裏には、絶望、悲嘆、狂気があったんだ」
と、意味不明の言葉だけしか発しなかった。
私には、この超人に対する答えは、首を横に振る以外の選択肢を持ち合わせていない。
「本当だろうな?
俺たちの情報を持っているんなら、素直に渡した方が身のためだぞ」
「な、な、何も知らない。
だって、私が悟志と別れたのは、まだその技術が開発され始めた時なんだから」
完全に緩められてはいなかったが、首を絞めつける腕の力は喋れる程度には緩められていた。
「ちっ、使えない奴。
だが、俺たちの邪魔な存在かも知れない。
殺しておこうか?」
しゃがれた声で、超人がそう言った時だった。
ワン、ワンと鳴き声が聞こえてきて、人気のない夜の道路を見慣れた犬が走り寄って来ていた。
チョビ。
私の家で飼っている犬だ。
引きちぎったと思われる鎖を引きずりながら、まっしぐらに向かって来ていた。
主人の危機。
それを敏感に嗅ぎ取り、駆けつける忠犬。
でも、超人が相手では勝てない。
「だめ、チョビ。来ないで」
「ふん。まあいい。俺たちに逆らうんじゃねぇぞ」
耳元でしゃがれ声が聞こえたかと思うと、首に巻き付いていた腕が消えた。
命の危機。
それがこんなに怖いものだなんて、初めて知った。
全身から力が抜け、膝から崩れ落ちた私を、駆けつけたチョビが励まそうと、ぺろぺろと舐めはじめた。
「ありがとう、チョビ」
そう言って、チョビに抱き着いた。
恐怖から、体の震えは止まらなかった。
そして、その後の杉本中将からの働きかけもあって、私は超人と言う存在を封印する事を決意した。
そこに悟志への想いなど、微塵も無かった。




