表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Pandora(改稿版)  作者: あすか@お休み中
第1.5章:希望のかけら
37/107

苦い想い出

 深夜の住宅街の道を歩く桐谷真弓の心中には、ほんの少しの寂しさが沸き起こっていた。



 かつての婚約者、小田悟志。そんな過去を引きずっている訳じゃない。

 結婚せず、一人でいるのも、過去に囚われている訳じゃない。


 暗い闇の中、街灯が所々ぽつりぽつりと灯りを灯す中を一人で歩く今の私の姿は、人生を表している気がしてしまう。駅を降りた時、周りにいた多くの人々は歩みを進める内に、一人、また一人と減り、やがて自分一人となってしまう。子供の頃、周りにいた多くの友達たちも、一人、また一人と減り、気が付くと自分一人。

 そんな風に思うと、ほんの少し寂しく感じてしまうのは事実。こんな感情を思い出させたのは河原真。 どこで、そんな昔の悟志との事を聞きつけたのかは知らないけど、女は昔の男に未練など微塵も無いと言う事を知らない坊やの発想。

 そもそも、悟志を振ったのは私の方。いや、正確には振ったのではなく、勝負に出て負けただけだったけど。




 悟志にとっておめでたいあの日、私の心も弾んでいて、そんな結末になるなんて思ってもいなかった。

 白いテーブルクロスがかけられたテーブルを挟んだ向こう側で、スーツ姿の悟志は嬉しそうだった。そして、そんな悟志の横顔を大きなガラスの窓が、都市の夜景の中にほんのりと浮かび上がらせていた。


 チン。

「おめでとう」


 そう言いながら、私は悟志とワインが注がれたグラスを重ねた。


「ありがとう」


 ちょっと照れくさそうな悟志の顔には、夢と自信が浮かんでいて、その顔を見ているだけで、私もうれしくなった。


「スポンサーが付くなんて、研究の成果が認められたって事だよね。

 しかも、それが多くの企業グループを所有するあの大西家だなんて、凄いわ」

「ははは。

 今までは家のお金を使って細々とやって来た訳だが、成果を広げていくには多くの人と時間をかける必要があってね。

 この先、どうしようかと、ちょっと悩んでいたところだっただけに、助かったよ」

「そうなんだ。

 そう言えば、研究している事、めどが立つまでは教えられないって言ってたじゃない。

 もう教えてくれてももいいんじゃないかな?」

「そうだね。

 理論的にはいける自信があったんだが、何しろ人間の体に適用するんだから、本当に安全に、効果が発揮できるのかと言う点で、確証が持てていなかったんだ」


 悟志は、そこで一旦言葉を止めて、ワインをくいっと一口飲んだ。


「僕が研究していたのは、あるファージを利用したものなんだよ。

 あるファージが細胞に感染すると、そのDNAが元の細胞のDNAに組み込まれる現象がある事は知っていると思う」


 同じ分野を学んだ私には、それは基本であって、その先の事が知りたい。知的好奇心と悟志への想いが、その先を早く聞きたくさせていた。


「その現象を発展させたもので、生きた人間のDNAを組み替えると言うものなんだよ」


 その言葉は私の顔を曇らせた。

 人の遺伝子を意図的に操作する。それは神の領域に人が踏み込むと言う事であって、やってはならない事。たとえ、それが遺伝子治療であったとしても、自然と言う神に逆らうもの。それが私がこの分野に手を染めてから出した結論。

 悟志は、私の表情に気づかないほど、気分が高揚しているらしく、話は止まらない。


「遺伝子が起因の難病がある訳だが、それを治癒できる。

 いやそれ以上に、色んな生き物の遺伝子情報を解析し、新たな遺伝子と組み替える事で、人間の能力をさらに飛躍することができるんだ。

 夢のようだろ?」


 大げさに両手を広げて喋っていて、完全に悟志は自分の世界にのめり込み、有頂天になっている。


「それって、許されることだと思ってるの?」


 悟志に私の気持ちをぶつけてみたけど、悟志には私の気持ちを理解できていなかった。


「何を言っているんだよ。

 当り前じゃないか。

 遺伝子に起因する病気を治せるようになるだけじゃないんだ。

 今まで以上の能力を人間は手にできるんだ。

 素晴らしいじゃないか」

「悟志は間違っている」


 一線を越えてしまいそうな聡志に分かってもらおうと、私の語気は強まり、テーブルまで大きく叩いてしまっていた。

 夜のディナーを楽しんでいたお客さんたちが、会話を中断し、私たちに目を向けた。


「こほん」


 私はバツが悪くなり、一度咳払いをして、ワインの入ったグラスに手を伸ばすと、軽く一口だけ飲んで声を静めて、話を続けた。


「遺伝子なんかに、人間が手を出したらだめよ。

 そこは神の領域だわ。

 人間の思い上がり、神への冒涜だわ」

「残念だけど、僕はそうは思わない。

 そもそも神なんてものは存在しない。

 世界を、未来を、切り開くのは人の知恵、技術なんだ。

 科学こそが全てだ。

 人類の未来は科学技術の先にあるものだ。

 だろ?」

「違うわ。

 人が手を触れていいものとだめなものがあるのよ」


 私たち二人の考えは食い違ったままだった。


 円錐を横から眺める者はそれを三角だと言う。

 底から眺める者は円だと言う。

 立場を変えさせない限り、自分の考えこそが正しいのである。

 そして、二人は立場を変える事はできなかった。


「じゃあ、はっきりさせましょ」


 自分の考えを納得してもらえないもどかしさから、私の口調は少しきつかった。


「私はそんな研究を続けると言うなら、一緒に暮らす事はできない」

「婚約を解消すると言うのか?」


 私は自分の真剣さを伝えるため、悟志をしっかりと見つめながら言った。

 そして、その真剣さが少なくとも、この場では悟志を「考えてみる」と言わせれると信じていた。


「分かった」


 悟志は悩む素振りも無く、すぐに答えた。


「ちょっと考えさせてくれ」

 私の頭の中では、そう言う悟志の姿が浮かんでいた。

 とりあえず、それでこの場は収まる。

 そして、悟志だけでなく、自分ももう一度冷静になって考えてみる事で、悟志の考えを受け入れられるかも知れない。

 そう思っていた。

 が、悟志が続けた言葉と態度は私の予想とは完全に違っていた。


 突然、むすっとした表情のまま立ち上がった悟志は、私を見下ろしながら言った。


「残念だけど、僕とは考えが合わないようだね。

 僕は研究を続ける道を選ぶよ。

 さようなら」


 突然の別れを告げる言葉に、私の顔が強張った。

 そんな私の事などお構いなしに、私に背を向けて悟志は席を離れて行く。

 楽しげなひと時を過ごす客があふれる中、私の視界の中で、後姿の悟志はどんどん小さくなって行った。

 その光景全てが、歪んで行き、温かな物が私の頬を伝った。

 



 懐かしく、苦い思い出。



 河原君はその超人と言う技術の封印を持ちかけて来た。

 だけど、今の私には興味の無い話。政府や反政府勢力たちが入り乱れている危険な争いに、私が身を投じる理由など無い。

 即、拒否の私に聡志の過ちを消し去るのは私しかいない。なんて事を言って、私の心をかき乱したけれど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ