嘘
結希の家はオレンジ色のろうそくの炎が揺れる中、線香の香りに包まれていた。
広い和室の真ん中に敷かれた布団の上で、ひっそりと呼吸もせず眠っているのは結希の祖父 小田哲也であった。祖父の亡骸を、結希と真の二人が取り囲むように座っていた。
時折嗚咽する結希にかける言葉なく、真はただ黙って見守る事しかできないまま、すでに何時間もが経ち、時刻は深夜に近づいていた。秋の気配を奏でる虫の音だけの空間が、はかなさを結希だけでなく、真の心にも訴えていた。
「ねぇ、真。
おじいちゃんも、遺伝子操作していたら、こんな事にならなかったのかな?」
結希がぽそりと言った。
「それはそうだろうけど」
「私が轢かれればよかった。
だったら、何んともなかったのに。
大体、人を轢いておいて、逃げるって何なのよ」
「結希ちゃん」
真は結希の心が闇に染まってしまうんじゃないかと不安になり、結希の横に場所を移して、軽く肩を抱いた。
「真ぉ」
そのまま自分の胸の中に飛び込み、大きな声を上げて泣き始めた結希を真は、ゆっくりと、そして強く抱きしめた。自分の腕の中にいる結希の中に自分への愛と言うものが無い事に、少し寂しさを覚えながら、そのまま結希と共に眠りについてしまっていた。
カーテンの隙間から差し込む光が部屋を暗闇から解き放ちはじめ、チチチチチと小鳥たちのさえずりが部屋の中に朝の気配を満たしていく。
「うーん」
結希が手を伸ばして、胸の中から離れて行く様を見ながら、もう一度だけ、そんな思いで真はぎゅっと抱きしめた。
「なに?」
真の腕の中で、寝ぼけ眼の結希が顔を上げて、真を見上げた。
「あ、いや」
そう言って、結希をリリースすると、真は時計に目を向けた。時計の針は6時を回ったばかり。今から支度をすれば、学校には十分間に合う。
目の前に横たわる結希の祖父の亡骸をおいて、そして傷心の結希を一人にして登校すると言うのは気が引けはするものの、一緒に学校を休むと言う訳にいかないと考えた真はすくっと立ち上がった。
「どこ行くの?」
結希の顔は寂し気で、一人にしないでと訴えている風であった。結希に必要とされている。たとえ、それが恋愛的な感情でなかったとしても。それは真としてはそれなりにうれしい事ではあり、心に迷いを生じさせずにはいられず、疑問形で返してみる。
「あー、学校?」
「なんで、私を一人にするの?」
普段よりちょっと高めの声で叫び気味なのは、結希の精神がやはり不安定なんだろうと、感じた真は悩み始めた。
「二人、一緒に休むのはまずくないか?」
「おじいちゃんは真にとっても、おじいちゃんでしょっ!?」
立ち上がった真のズボンにすがりつくようにして、見上げながらそう言われて真が断れるはずはない。
「分かったよ」
その一言で二人の欠席が確定した。
クラスメートの何人かが怪しんでいた結希と真、揃っての欠席とは言え、結希は忌引きと言う理由であり、由依を除き真が結希の家で暮らしている事を知らないクラスメートたちにとって、二人の欠席がつながっていると確信する材料はなかったものの、卓也がその不安を感じていたのは動物的な勘だったかも知れなかった。
クラスメートたちが授業を受けている最中、結希の家を素性を偽った高山が訪れていた。事前に調べた情報により、両親を治安維持部隊の武力行使で亡くした結希に国家権力側の人間と名乗るのを避けようと言う賢明な判断の下、高山が騙った素性は大西光輝の秘書だった。祖父へのお悔やみを申し上げ終えた高山を、リビングのテーブルに真と結希が案内した。
「で、大西さんの秘書さんが何の用ですか?」
リビングのテーブルを挟んだ向こう側に座る高山に、真がたずねた。真の横に座る結希は黙って、うつむいたまま高山に目線向けていない。
「ご存じだと追いますが、私の主、大西光輝が鋼鬼に殺されました」
「なに?」
「えっ?」
うつむいたままだった結希も顔を上げて、驚きの声を上げた。
「ご存じなかったんですか?」
高山の方までもが、今度は驚きの声を上げた。
「鋼鬼に襲われたんですよ。
あと、長男夫婦とその子供たちも」
「理乃の事っ?」
結希が椅子から立ち上がって叫んだかと思うと、高山の返事も待たず駆け出して行った。
「昨晩はずっとじっちゃんの傍にいたもので」
「でしたか」
高山がそう言い終えた時、朝刊を取り込んだ結希が涙を流しながら、戻って来たかと思うと、フローリングの床の上に力なく座り込んだ。
「真ぉぉぉ」
目からは流れ出た涙は顎を伝い、広げた新聞紙にぽたぽたと落ち続けている。
「結希ちゃん」
駆け寄った真は、結希の足元に広げられた新聞に大西光輝や理乃が鋼鬼によって殺害されたと言う見出しに目を向けながら、結希を抱きしめた。
「これはどう言う事なんだ?
あんたはどうして、俺たちの所に来たんだ?」
真の言葉には苛立ちと不審を混ぜた敵意がほんのりと宿っていた。
「小田哲也さんの事故ですが、あれも大西を襲った者たちと関係があるのではないでしょうか?
何かご存じないですか?」
「それは本当なんですか?」
自分たちの仕業だと言うのに、他人に責任を擦り付け、平然とした顔で言った高山の言葉に、先に声を上げたのは結希だった。
「他に小出教授も殺害されております。
小田さんに大西さんたち、みなさん理乃お嬢様のお体を治すのに、協力してくださった方たちです」
「犯人は誰か、分かっているんですか?!」
「いいえ。ですから、何かご存じではないかと」
「誰なのかは分からないが、鋼鬼を作った奴らがじっちゃんたちを殺したと言うことか!」
「そんな奴ら殺してやりたい!」
真の言葉を受けて、低く唸るように言った結希の言葉に驚いた真が結希に目を向けた。しゃがみ込んだ膝の上に置いた拳をぷるぷると震わせている結希は、感情を抑えきれないでいるらしい。
「大丈夫だから。落ち着いて」
真が結希を横から抱きしめながら、そう言い終えると、視線を高山に戻した。
「理由は?」
「私どもでは分からないんです。
逆にそれもご存じないですか?
たとえば、何かの秘密を知っていたとか、何か大事なものを持っていたとか?」
高山の言葉の本音の部分である”大事なもの”の部分が少し強調された音量になってしまっていたが、真たちは気づかなかった。
「いえ。知らないですね。
とりあえず、悪いんですが、結希ちゃんを興奮させないために、場所を移しませんか?」
「そうですね。
おじいさまが亡くなられたところに押しかけて、申し訳ありませんでした」
そう言って高山が席を立つと、真も立ち上がった。
「結希ちゃん。ちょっとだけ話してくるから」
しゃがみ込んだままの結希を置いて、真は高山を連れて部屋を出て行った。
真たちが出て行ってほどなく、リビングの床にへたり込んでいる結希の耳に、チャイムの音が届いた。出る気になんかなれない結希は、そのまま無視を続けたが、チャイムは鳴りやまず、仕方なくふらりと立ちあがり、よろよろと玄関に向かって行った。
「はい」
そう言って、ドアを開いた結希の視界に卓也の姿が飛び込んできた。その表情はどこか固さを感じはしたが、結希にはその事に気づく心の余裕は無かった。
「卓也!」
「ごめん。大変な時に」
「あ、上がって」
「何もないんだけど、お線香だけでも」
そう言って卓也は上がって、結希の祖父に手を合わせた。
「学校は?」
「早退してきた。
落ち込んでるんじゃないかと、結希の事が心配だったし」
「ありがとう」
「あ、さっき、後ろ姿だったんだけど、河原に似た人がもう一人の男の人と出て来て、車に乗るところを見たんだけど、あれって河原?」
「えっ? 違うよ」
とっさに結希は否定してしまった。真と一緒にいたとしても、何もやましい事はしていないが、誤解や勘ぐられるのを避けようとした咄嗟の言葉だった。
「そうなの?」
「親戚の叔父さんが息子さんと一緒に来てたんだ。」
嘘を覆い隠すため、嘘を積み重ねる。そんな事になっていると言う自覚もないまま、結希は作り話を言った。この嘘がばれないようにするためには、真が戻って来る前に卓也を返さなければならない。
「もうじき、葬儀屋さんとか来るんだ」
そう言って、結希は卓也に帰るのを急かすように、立ち上がった。
「そっか。じゃあ、また」
「うん」
積み重ねた嘘がばれた時、そこに隠されていた真実は歪んで見られてしまう。そんな事に結希は気づいてはおらず、ただ変な誤解をされずに卓也を帰すことができる事を喜んでいた。




