わな
照明は消されていると言うのに、白っぽい校庭が反射する日差しで、十分な明るさの中、下足箱に上履きをしまい、靴を床にポンと落とし、結希は足をつま先から入れると、校庭に目を向けた。校舎と校庭を仕切る大きなガラスのドアは開いたままで、ドアの向こうに見える校庭は、熱い日差しに熱せられて、ゆらゆらと揺らめいていた。
よくない事を心の奥底に浮かべた結希は辺りにぐるりと視線を向け、監視カメラの類の死角にいる事を確かめた。
ドア開いていて、誰も見ていない。
一刻も早く家に帰るのはあの力を使うにかぎる。
今使っても、ばれやしない。
そんな誘惑を理性が制止しようとしていたが、祖父が心配で早く帰りたいと言う感情の前には無力だった。
にこりと結希が微笑んだ瞬間、結希の姿は無くなっていた。
校門を飛び越えると道路に飛び出した。
路肩に止まっている車はもちろん、車道上の車も動いていない。
目の前に見える交差点の信号は赤。みんな立ち止まって、青になるのを待っている。青の側の車は交差点に進入してはいても、ぴくりと動いていない。
「ごめんね」
心の中で、そう言いながら赤信号も無視して横断していく。
車の前を通り過ぎても、運転手さんは身動き一つしやしない。
音も聞こえない静けさと、他に動くものもない時が止まったかのような結希だけの世界を一人駆け続け、自宅の前までたどり着いた。
閉ざされた門扉の向こうに見える自宅は何事もないかのような静けさの中に佇んでいる。自宅の敷地に足を踏み入れ、いつもと変わりない光景の中、玄関を目指す。
玄関の鍵は開いていて、その先には見慣れない男の靴が増えていた。
病院の先生の靴にしては、その数が多い気がした結希だったが、祖父の容態の方が気になり、靴を脱いで駆けあがって行った。
「ただいまぁ。
おじいちゃん、どこ?」
タタタッと廊下を駆け抜け、結希がまず目指したのはリビングだった。リビングの横には和室があって、祖父は和室に寝るのが一番好きだったからだ。
木目のちょっと重いドアの上に設けられている小さなガラス窓から、人工っぽい白い光が漏れて来ていて、人の気配を感じながら、結希がドアを開いた。
カーテンが引かれ、外の光と遮断された白い蛍光灯の光だけが照らし出す空間に、椅子に座っている祖父の姿を見つけた。
「おじいちゃん!」
結希が動揺した少し高めの声を上げた。
結希の祖父は椅子に座らされ、椅子の背もたれに後ろ手にして縄で縛られていた。
「おっと、お嬢ちゃんの到着か。
やけに早いな」
そんな声と共に、結希の横に見知らぬ屈強な男がやって来て、首筋にナイフを突きつけた。
「結希!」
「おじいちゃん、これはどう言う事?」
「私の方から説明しよう」
祖父の横に立つ二人の男の内の一人が結希に視線を、祖父にピストルの銃口を向けながら言った。
「私たちが欲しいのは、お前の叔父、つまりこの男の息子 悟志が開発した超人を生み出す技術だ」
「そんなのは無いと言っているだろ!」
男の横で結希の祖父が叫んだが、男は視線を向ける事なく、ずっと結希に視線を向けたまま、言葉を続けた。
「この男はそう言うんだが、息子の悟志はこの技術をどこかに隠したと取れる言葉を最後に残している。
それがどこに隠されているのか? 知っている可能性が一番高いのは君たち親族だ。
あの時、君が小さかった事を考えれば、知っているとしたら、この男しかいないんだが、何も話してくれなくてね。
で、君を人質にすれば、何か話してくれるんじゃないかとね」
男はそこまで言ってから、視線を結希から祖父に移した。
「さあ、あの子を助けたかったら、言うんだな」
「無い」
「ほらな。こう強情なんだよ。
君も知っているなら、教えてくれないか?」
「知らない」
「だよなぁ。
だったら、君からもおじいちゃんに頼んでみてくれよ。
君も死にたくないし、かわいい顔に傷なんて嫌だろ?」
結希の首筋に当てていたナイフを頬に移し、ぺしぺしと結希の頬をナイフで叩きながら男が言った。その男にきつい視線を向けながら、結希が言った。
「で、あんたたちは何なの?」
女の子の頬にナイフをあてがうと言う最高の脅しのつもりだっただろうが、ピストルの弾も大丈夫、もし傷ついてもすぐに治ってしまうと、自分が持つ力の知識を得ていた結希は平常心でしかなかった。それどころか、力を解放し、ほとんど止まってしまった時間の世界でこの男たちを退治すると言う選択肢も、結希の頭の中に浮かんでいた。
そんな結希の心の中を知る由もないナイフを手にしている男は、動揺を全く見せないばかりか、敵意すら漂わせる鋭い視線を向ける結希の態度に苛立ちを覚え始めていた。
「お前なあ、なんで平然としてんだ?
泣き叫べよ」
ナイフを手にしている男は結希の正面に回り込むと、結希の胸倉を掴むと、ナイフの切っ先を結希の鼻先に向けた。