あの時1(修と詩織編)
沢井、河原と俺で鋼鬼の壁に斬りこむ作戦は、うまくいった。殲滅とまではいかなかったが、少なくとも無害化に成功し、福原たちを乗せた車は鋼鬼の屍と、半壊した鋼鬼の体を踏みつけながら、鋼鬼の檻を脱出した。
再び桐谷の研究所を目指し、移動し始めた揺れる車の中で、沢井が俺が渡したレーザーソードを返して来た。
「ありがとう。
助かったわ」
「これは、持っていてくれ。
俺が二本持っていても、何の役にも立たない」
純粋な気持ちだ。
そして、俺は心の中で、詩織に言った。
「いいよな。
お前のレーザーソードをこの子に預けても」
「ありがとう。
絶対、この武器、有効に使わせてもらうから」
沢井はそう言いながら、差し出していたレーザーソードを戻した。
「でも、なんで、二本あったんだ?
あ、もしかして、それ詩織ちゃんの分か?」
武本が言った。
「詩織ちゃんって?」
「こいつの妹」
「その子は今はどうしているの?」
沢井の言葉が俺の胸に突き刺さった。答えを知っていても、口に出せない武本が俺に視線を向けた。
「鋼鬼になってしまって、もうこの世にはいない」
消え入りそうな声で、その答えを俺は口にした。
「その時はレーザーソードで、守ってやれなかったの?」
一番聞かれたくなかったところを土居が突いて来た。
「俺が悪かったんだ」
そう呟いた俺の脳裏に、あの日の出来事が蘇って来た。
一週間ほど前に、父親から渡されたレーザーソードは、クローゼットの奥に放り込んだままだった。鋼鬼騒動のおかげで、学校は休校になったのはうれしいが、家の中の食料も買い出しに行かなければ、減る一方だ。
冷蔵庫を開けた詩織も、その不安を口にした。
「ねぇ、お兄ちゃん。
冷蔵庫の中の食べ物がもう無くなるよ」
視線を向けると、詩織は冷蔵庫の扉を開き、中を見渡していた。
「買い出しに行った方がよくないかな?」
「そうだな」
そう答えながら、視線を窓の外に向けた。俺たちを外に誘い出しているかのような澄み切った青い空が、窓の向こうに広がっていた。
「この辺りで鋼鬼が出たなんて話はテレビでもやっていないし、今のうちに買い出しに行くか」
「うん。
そうだね、お兄ちゃん」
詩織はそう言い終えると、冷蔵庫の扉を閉じ、俺の前に立った。何か言いたげな表情のまま、詩織は黙り込んでいる。
「どうかしたのか?」
「お父さんから貰ったあれ、持って行った方がよくない?」
「あんなもの、俺たちが手にしてはだめだ。
あれは殺しの道具だぞ」
「そっか。分かった。
何かあったら、私を守ってね」
にこりとした詩織の表情が、窓から差し込む陽光で輝いていた。
「ああ」
そう答えはしてみたものの、もしも鋼鬼が襲ってきたら、守れる自信はない。が、そんな事に俺たちがなるなんて事も無いはずだと言う根拠の無い妙な自信だけは、俺にはあった。
とりあえず、詩織が作った買い物リストと、買い物バッグとお金を持って出かけたショッピングモールは、俺たちの家から徒歩で30分ほどの距離だった。
鋼鬼を恐れつつも、日常生活を営まなければ、人は生きてはいけない。特に鋼鬼がうろついていない俺たちの街では、人々は鋼鬼に警戒しながらも、家の中に閉じ籠ることなく、生活をしていた。とは言っても、その移動手段は車であり、俺たちのように徒歩で移動している人にはお目にかからない。
が、俺の予想通り、鋼鬼にも遭遇することなく、ショッピングモールに到着した。久しぶりに見たショッピングモールは、鋼鬼に備えてなんだろうが、敷地を取り囲むように設けられていたフェンスが、さらに頑丈に、そしてその高さを増していた。そして、出入りする人のために設けられた開口部には、頑丈なスライドドアが設けられ、そこに数人の警備員が立っていた。
「物々しいね」
詩織の言葉に頷いた。これは逆に言えば、この中は安全と言う事だ。その敷地に足を踏み入れた瞬間、そう確信した俺の心から警戒心は消え去った。そして、それが間違っていない事を示すかのように、モールの中はそれなりの人が買い物をしていた。
俺たちは、目的の食料と日用品を詩織が作ったリストを基にして、かごに詰め始めた。何も入っていなかったかごは瞬く間に物で溢れて行き、俺だけでなく、詩織も新しいかごを手にした。
「ちょっと多すぎないか?
買い物バッグにも入りきらないぞ」
買い物リストから、量を想像できなかった俺は、現物を目の前にして、その多さにたじろがずにいられなかった。
「でも、今度、いつ来れるか分からないんだよ。
溢れた分は、ビニール袋を買えばいいだけなんだし」
詩織の言葉はもっともだ。とは言え、帰りの道を俺だけが持って帰れる量を超えてしまっている。詩織にも、いくらかは持ってもらわなければと思いつつ、買い物を進める詩織の後について回った。
そして、買い物を終えた俺たちは、予想通り俺だけでなく、詩織にも買った物でいっぱいのビニールを渡すことになった。
「重くないか?」
両手にビニール袋を下げた詩織にたずねた。
「大丈夫」
にこりとした笑みをつけて、返事をくれた詩織に、俺も微笑みを返した。
「じゃあ、行こうか」
そう言って、一歩を踏み出した時、モールに館内放送が轟いた。
「職員に連絡します。
本館東口近辺で、見つかった財布は赤い可能性があるようです。
至急対応を進めてください」
「赤い財布?」
詩織が立ち止まり、怪訝な表情で、辺りを見渡し始めた。さっきまで、普通に業務についていた店員たちの表情は強張り、さっき俺たちが使ったレジも、並んでいるお客さんに頭を下げながら、次々に閉じ始めている。
職員だけに分かる何かの隠語で、何かの緊急事態らしい。赤と言うところから言って、火事なんじゃないのか? そんな思いで、東口の方向に目を向けた時、真っ青な表情で駆けてくる大勢の人たちの姿が目に入った。
そして、その隠語の意味はすぐ分かった。
「館内のお客様に申し上げます。
館内東口付近で、鋼鬼の疑いがある人物が見つかりました。
店員の誘導に従い、速やかに、落ち着いて、移動を始めて下さい」
赤い財布とは、赤銅色の鋼鬼の事だったらしい。
これだけ警戒しているのにか? と思った時、俺は大きな見落としをしていた事に気づいた。鋼鬼にかまれてから、鋼鬼になるまで数日のタイムラグがある。としたら、本人がかまれた事を明かさなければ、普通の人間と区別をつける手段がない。もっとも、服を脱がせて体中を調べると言う手をとれば別だが、そんな事を客商売の店舗ができる訳はなかった。この事態は起こるべくして起こった事と言えるだろう。
館内放送が流れる中、レジを閉鎖した店員たちが、俺たちを誘導し始めた。
「落ち着いて、私たちについてきてください」
そうは言うものの、声は怯えているためか、震えていて、顔も引き攣っている。
「鋼鬼だぁぁ」
「鋼鬼よ」
東口の方向から駆けて来ていた客たちが、叫びながら俺たちのところまでたどり着き、そのまま西口を目指して駆け続けていた。
「さ、早く」
店員が軽く上げた右手を振って、急かすような仕草をしながら、そう言ったが、もうその時には近くにいた客たちの多くは、東口から逃げて来た客たちの後を追って、雪崩のように駆け出していた。
「急ごう」
俺の言葉に詩織は頷き、駆け出し始めた。
出口を目指して駆ける人の流れの中、しばらくして振り返った俺の視界の近くに詩織の姿は無かった。視線をさらに後ろに向けると、出口を求め俺の方向に駆けてくる人の波の隙間に、詩織の姿を発見した。詩織はかなり遅れていて、しかも周りの人よりスピードが遅い。
「詩織、ビニール袋を捨てろ」
そう言いながら、俺も手にしていた買い物バッグとビニール袋を床に置き、詩織の所に向かって行った。
「さあ、逃げるぞ」
手にしていたビニール袋を手放した詩織の腕を取り、駆け出し始めようとした俺の視界の中で、詩織は掛けていた鞄の中に手を入れていた。
「お兄ちゃん、これ!」
詩織は隠し持っていた父親から貰ったレーザーソードを、鞄の中から取り出した。
「そんな物、手にするんじゃない。
逃げるぞ!」
レーザーソードを握っていた詩織の手を鞄の中に押し戻すと、出口を目指して駆け出し始めた。




