第六話 九月一日 お支度タイム
「ごちそうさま」
ふにふにと頬を彼女につつかれながらも、箸を進め、綺麗に完食する。
比較的食べるのが早い僕なのだけれども、やはり彼女の邪魔が気になって、意外と時間がかかってしまった。
時計を見てみれば、既に時計の針は七時を指そうとしていた。
まぁ、時間が有り余っていたのだから、ちょうどいいといえばちょうどいいのかもしれないが、なんとなく時間の無駄遣いをしてしまった感が否めない。
「はい、邪魔」
相変わらず、飽きもせずに僕の頬をつついている彼女を、そう言って、どかすと、食器をまとめて洗い場に持って行く。
その場に置いておいても、母は洗ってくれない。
作るのが自分ならば、洗うのも自分。最後まで自分が責任持ってやれ、との事なのだが、たぶん、自分でやるのが面倒なだけだろう。
うちの母の面倒くさがりは筋金入りなだけに、十分に考えられる。
先ほど使っていたエプロンを再度着直すと、軽く水でゆすいだ後、洗剤を泡立てたスポンジで磨き、また水でゆすいで汚れを落とす。
「汚れがまだ残ってる」
「うるさいな、分かってるよ」
一旦水でゆすいだ後、まだ落としきれていない汚れがあったのだが、目ざとく見つけた彼女は横でぼそりと呟く。
なんだか、物凄く腹が立った。
まるで姑の嫁いびりのようで、お前は、どこの姑だ、と突っ込みたくなる。
もう一度、磨きなおして、水でゆすぐ。
今度はしっかりと汚れは落ちたらしく、軽く水を切ると流し台にかけておく。
そうすれば、後は勝手に乾くだろう。
「はい、由貴の朝ご飯も終わったわけだし、次は私の番だよね」
どこか洗剤臭さを残す手を、軽く水でゆすいでから、傍にかけておいたタオルで拭くと、エプロンを脱いで元の場所に戻したところで、彼女は再度おねだりを始めた。
どれだけおねだりされたところで、僕が了承する事はないのだから、蒸し返さないで欲しい。
「ほらほら、さっさと目を閉じてしまいなさいって。そうすれば、後は、お姉さんがしっかりとリードしてあげるから」
なので、それを相手にせずにいたのだが、さらに、言い募ってくるが、それを無視すると、洗面所に向かう。
少々煩わしかったのもあるが、朝食が終われば、次は歯磨きをしなくてはいけない。
朝食を食べる前に歯磨きをする人もいるが、僕にはどうしてもそれが納得できない。
歯磨きと言うのは、口の中を綺麗にするための行為。
なのに、朝食を食べる前に歯磨きをしてしまっては、それは無意味としか思えない。
食べたら結局また汚れてしまう。
それとも、また、食べた後に歯磨きをすると言うのだろうか。
なんだか、それじゃ食べる前にした歯磨きの方が無意味にも思える。
洗面所に立てかけてある歯ブラシを取ると、水で一旦ぬらした後、歯磨き粉を付け、再度ぬらすと、口の中に入れ、磨き始める。
泡立ちのいいそれのおかげで、口の中はすでに泡だらけ。
それを使って、綺麗に歯垢を落としていく。
とは言っても、一応、毎食後に歯磨きをするように心がけているため、そんなに汚れてはいない。
それに、元々、僕がしっかりと歯磨きをするのは、コーヒーが理由なのだ。
母に似たせいか、少々低血圧で、朝に弱いところがある。
そのため、目を覚ますためには、どうしても、カフェインが欲しくなり、コーヒーに手を伸ばしてしまう。
もちろん、コーヒーを飲み過ぎると、歯は黄ばみ、口をあけて笑うわけにもいかない状態にまでなる事もある。
そんな不潔そうな口の中を見せられるほど、羞恥心が欠如しているわけではない。
結局、出来る限り白い歯を見せるためには、しっかりと歯磨きをするしかないのだ。
五分ほどかけてしっかりと磨くと、口をゆすぐ。
どこかのテレビ番組で言っていたけれど、口の中の歯垢を全て除去するためには最低でも十分必要らしい。
それぐらいやらないと、細かい部分まで綺麗にならないのだろうが、そんなに長い間、歯磨きなんてしていられない。
そんなに長い間口に入れていたら、歯磨き粉は唾液で、泡立ちが悪くなるだろうし、そもそも口の中が歯磨き粉の味で気持ち悪くなってしまう。
それに、僕はあくまでも、黄ばみ防止のためにやっているわけで、完璧に歯垢を落とすつもりはない。
それを聞いて、眉間にしわを寄せるような人もいるかも知れないが、何を言われたところで僕は頷いたりはしないだろう。
人として最低限の身だしなみさえ整えられればそれで僕は十分なのだ。
綺麗に口の中をゆすぎ終えると、洗顔フォームを手に取り、顔を洗い始める。
普通なら、起きてすぐにやる事なんだろうけど、どうせ朝食を食べた後に、歯磨きをしに来るのだから、その時に合わせてやってしまうほうが、効率的なので、後回しにしてしまうのだ。
もちろん、髪のセットも、このときにあわせてやる。
まぁ、髪はそんなに長くないし、そもそも髪型にさほどこだわっているわけでもない。
せいぜい、寝癖を直す程度なので、すぐに終わる。
身支度をすっかり終えると、洗面所を出ると、自分の部屋に戻る。
背後を見てみれば、洗面所に行くときには置いてきたはずの姫が、いつの間にか、僕の後ろにぴったりとくっついていた。
うっかりと物には触れないため、暇つぶしはできないし、僕以外と話せるわけでもないのだから、僕に引っ付いているしかないだろう。
とは言っても、別に部屋に戻ってもすぐに、下に降りるので、付いて来る必要はないが。
僕が部屋に戻ってきたのは、単に、カバンを取りに戻っただけの事。
始業式だけなので、当然荷物はなく、本当なら持っていく必要もないのだけど、さすがに手ぶらで学校に行くわけにもいかない。
机の上に置いておいたそれを手に取ると、すぐに部屋を出る。
そして、相変わらず姫はその後ろをひょこひょこと付いてくる。
なんだか、知らない人が見たら、変な二人組みだと思われるだろう。
またはご主人様とそれになつく仔犬みたいな構図だろうか。
実際は、彼女の方が圧倒的有利な立場にいるわけだから、その構図には当てはまらないだろうが。
どちらにしろ、変なのには変わりはない。
それをやる羽目になっている僕ですら、変な二人組みだと思っているわけだし。
ただ、彼女の方は全く気にするどころか、むしろ、憑いているわけだから、当然と思っているだろう。




