第三話 八月三十一日・後篇
それから、しばらく歩いたけれど、結局行きついた先は、いつもの場所、つまりは姫と出会った場所だった。
元々、僕の知っている納涼スポットなんてここしかないのだから、当然と言えば当然なのだが、少々釈然としない。
けれど、それでも、相変わらず、そこは、山から吹きおろされる風は涼やかで、夏のうだるような暑さから解放してくれる。
疫病神と寸分変わらぬ彼女に出会った忌わしき場所だけど、やっぱりここは僕にとっては一番落ち着ける場所には変わりない。
瞳を閉じる。
彼女がいるおかげで、僕には安息の時はない。
変に気を許しているうちに、こっそりと魂を抜き取られるような事だって十分に考えられる。
意外と彼女はしたたかなのだ。
僕が初めて出会ったとき、その美しい容貌に見とれて、呆然としている間に、魂を抜き取り、憑依した事が、いい例だ。
だから、ちょっとでも隙は見せられず、いつでも気を張ってなくてはいけなくて、最近ではそのプレッシャーのせいで、まともに眠れない状況になっている。
おまけに、彼女は何が何でも僕から魂を抜きたいらしく、いろいろと画策して、数々の作戦で翻弄してくれている。
その作戦は、軽く思い出すだけでも、両手では数え切れないほどの事なのだ。
まず、最初は、彼女が僕に憑いて初日の事だった。
何とかして、彼女を振り払おうとしたけれど、いくらやっても、どうにもならない事を悟った僕は、諦めて家に帰った。
もちろん、見ず知らずの見てくれだけはいい少女を、堂々と家の中に招き入れるわけには行かない。
変に詮索をされた結果、余計に話をこじらされるわけにはいかない。
一応、僕の霊感と言う物は、血筋から来ているみたいで、祖父からそういう体質を受け継いだと言う事になっている。
あまりにも、霊が寄ってくるので、親に聞いてみたら、そう答えられたのだ。
とはいえ、だからといって、僕の家族が、霊能力者家族と言うわけでもない。
あくまでも、祖父がそうだっただけで、僕以外の家族は、集まってくる事はおろか、視る事すらできないのだ。
そのため、一度として、霊なんて物は、見た事もなければ、感じた事もないのだ、いきなり現れた少女を霊だと言ったところで信じてもらえる可能性は薄い。
むしろ、気でも違えたかと思われる可能性の方が高いだろう。
もちろん、彼女が消えるところを見せれば、それで解決するのだろうが、その時の、僕には、彼女が消える事が出来るなんて事は知らなかったわけだし、それに何より、目の前で、少女が消えたなんて事になれば、大騒動になる事ぐらい予想できる。
ならば、結局、こっそりと彼女を家に招き入れるしかなかった。
とはいえ、そこまでは良かったのだ。
彼女をどんなに振り払おうとしたところで、完全に憑いてしまっている以上、霊に対する特別な修練を積んだわけではない僕には、どうすることもできない。
なら、抵抗する事を止めて、気が澄むまで、憑かれていればいいだけの事。
彼女とて、いつまでも、僕に憑くような事もないだろうし、運が良ければ成仏してくれるかもしれない。
例え、それが叶わなかったとしても、その時はその時で、専門家に頼めばいいだけの事。
幸い、僕には、一応、そういった事を専門に扱う知り合いがいる。
僕が使っている簡易結界だって、その知り合いに教えてもらったのだ。
もちろん、その実力は折り紙つきで、何度も僕にとり憑いたたちの悪い霊を祓ってくれた。
いくらでも対応策がある分、まだ、諦めはつくのだ。
けれど、家に帰り、部屋に戻った辺りで、気が付いた事があった。
僕の目の前で堂々と座り込んでいる彼女。
先ほど言ったように、後々、面倒な事が起きる事を未然に防ぐために、彼女の事は内密にしておく。
ということは、家族に秘密なのだから、彼女の居場所は僕の傍、僕の部屋しかない。
つまり、僕と彼女は、同じ部屋で過ごす事になり、狙われている僕としてはかなり危険な状態に陥る事になると言う事だ。
もちろん、それは、当たり前の事で、すぐにでも思い当たるような事なのだけれども、僕は、それに全く気が付かなかったのだ。
いきなり自分でもどうしようもないような相手にとり憑かれた挙句、その霊は、実体化ができ、更には、まるで淫魔かのように、キスを迫ってくるのだ、まともな思考回路に戻るには少々時間が必要だった。
けれど、問題点がわかったからと言って、彼女を僕の部屋から追い出すわけには行かない。
世間一般的な家庭である我が家は、一軒家ではあるが、部屋数はそんなにない。
そのため、全部屋綺麗に使われてしまっているため、空いている部屋なんて物はないため、適当に彼女を押し込んで置けるような場所はない。
だからと言って、親に事情を説明するわけにもいかない。
それでは、本末転倒もいいところだ。
僕は、進んで、騒ぎを起こすつもりはない
結局、彼女と一緒に過ごす事に決めたのだが、その決断を後悔するような事ばかりが起きたのだ。
恋人いない暦十七年の僕は、当然、女性経験はなく、そのため、女性と言う存在は未知なもの。
何一つとして、知らない。
そんな僕を前にして、彼女は、わざわざ無防備な姿をさらすのだ。
まずは、いきなり、僕の前で、意味もなく、服を脱ぎ始めたのだ。
おそらく、誘惑でも何でもして、僕から魂を頂こうと言う魂胆なのだろう。
唇を突き出しているから、すぐに分かった。
彼女も、家の中では孤立無援で、さらには、あまり僕にとっては有利ではない場所だと言う事が分かったのだろう。
彼女が迫ってくるのを逃れようとして、助けを求めたり、騒いだりしたところで、彼女の衣服が乱れていれば、逆に僕の方が危うくなる。
僕が彼女に襲いかかったと誤解されてもおかしくはないだろう。
けれど、それが分かっていても、彼女のその姿は僕をぐらつかせた。
逃げる事も受け入れる事も出来ずに、ただ耐える事しか許されないせいなのもあるだろう。
だけど、それ以上に、やはり、僕とて、年頃の男。
女性と言うものに、全く興味がないわけではない。
むしろ、全く未知の領域な分だけ、余計に興味が強いかもしれない。
そのため、どうしても、すっぱり振り払えない、抗えない。
そんな反応に困っている僕を見て、効果ありと思った彼女は、今度は、下着姿になったかと思ったら、僕にしなだれかかってきたのだ。
いきなりの事に驚いた僕は、慌てて彼女を引き剥がしたが、その際に触れた、彼女の女性特有の柔らかさに、理性が飛びそうになってしまった。
いや、もしかすると、その瞬間的には、飛んでしまっていたのかもしれない。
その時の、僕は、半ば本気で、
『このまま流されてもいいかも』
なんて、思いかけていたのだ。
やっている事は単なる変態。
それも物凄くたちの悪いタイプの変態なのだが、どうしようもない男の性が、反応してしまうのだ。
もちろん、すぐに、我を取り戻したため、流される事はなかったのだが、その対応があからさまだったのだろう、彼女ももう一押しだと、挙句の果てには、更に下着を取って、シーツを身体に包ませるだけの艶姿になると、いじらしげに濡れそぼったような瞳をして、僕をじっと見たと思ったら、ふと視線をそらすのだ。
その姿を見た瞬間、強烈に僕の中にある男の部分を刺激し、一瞬頭が真っ白になった。
男は本能的に、逃げる物を追いかけてしまうため、その一瞬引かれた事に対して、火が付いてしまったのだ。
ただ、それと同時に、運良く、携帯がなったため、なんとかぎりぎりのところで我に帰り、そのまま流されるような事はなかったのだが、もうほんの少しでも遅ければ、完全に僕は、彼女に落ちて、襲いかかっていただろう。
今思い返しても、もしそうなった時の事を考えたら、ぞっとしない。
その時に電話をくれたのは、学校の友人だったのだが、本当に心の奥底から感謝したものだ。
まぁ、その友人は、僕の妙なテンションに引き気味で、用が終わるとさっさと切ってしまったが。
「んん〜」
軽く伸びをすると、そのまま背を木にあずける。
一日目の事をちょっと思いだしただけなのだが、軽い疲労感を感じた。
まぁ、彼女との間に起こった出来事は精神的にかなりきついものがあるから、それは仕方ないのかもしれないけれど、思い返すだけでも、疲労を感じるのは少々辛いものがある。
そう思うのなら、思いださなければいいだけの事なのだが、それもうまくいかない。
彼女との出来事はインパクトが強いせいか、忘れる事はおろか、考えないようにすることすらできない。
悲しい事だけれども、彼女に憑かれて以来、彼女中心の生活になってしまっているのだ。
ただ、唯一何も考えないでいられる時間だってある。
それが、この瞬間だ。
一応、彼女に憑かれているのだが、僕と彼女はワンセットではない。
お互いにお互いの居場所が分かるような事もないし、お互いがお互い繋がっているわけでもない。
そのため、一緒にいなければ、お互いの事なんて全く分からない。
つまり、お互いに干渉し合う事はない。
それは僕にとっては非常に大きい。
彼女からの干渉がなければ、のんびりと出来る。
もちろん、彼女の行動があまりにもインパクトが強いせいで考えずにはいられないけれども、眠ってしまえば問題はない。
さすがに、夢の中まで彼女が占めるような事はない。
幸い、今は、周りには誰もいないため、眠りの邪魔をするものは居ない。
当然、彼女も僕の居場所が分かるはずもないので、彼女が乱入してくる事もない。
それでも、一応、気休め程度に簡易結界を張り巡らせておく。
彼女に関しては、場所が分からない以上、不必要かもしれないけれど、それ以外の霊の事だってある。
ただでさえ、姫で手一杯だというのに、これ以上、増えられたら、それこそ今度こそ、死んでしまいかねない。
もし、綺麗な女性との甘い一時を夢見て、僕の事を羨んでいる人が居るなら、何度でも口を酸っぱくして言おう。
性格の悪い美人ほど手に終えない物はない、と。
特に、歳と経験を重ねた女性なんかは、理解の範疇外の話しだ、と。
それでも、夢見る事を忘れない人なら、その時は、彼女を貸そう。
彼女と一緒にいれば、嫌でも分かる。
そのあまりにものひどさに。
毎日毎日、もう泣きそうになるほど、こっちは全く手を出せないというのに、誘惑され、迫られ、押し倒されるのだ。
確実に、そのストレスで、白髪が増えるか、ハゲるはずだ。
僕だって、最近、ストレスのせいか、抜け毛が増えてきて、ハゲやしないか、戦々恐々の日々を過ごしているのだ。
もし冗談だと思っている人がいるなら、僕が入った後の浴場を見てみるといい。
排水溝に抜けた僕の髪が溜まっているはずだ。
それでも、本当にそれでも、まだ羨むと言うのなら、僕はその人を心の底から尊敬したいと思う。
その勇敢な心意気に。
それと同時に、その無謀な諸行に呆れもするだろうけど。
「ふぁぁぁ」
まぁ、そんな冗談はさておき、そろそろ昼寝でもしてみよう。
睡眠不足を解消するにはうってつけなのだ、ここで寝ずにどこで寝ると言うのだ。
僕は、そっと瞳を閉じて、眠りに付いた。
とりあえず、これで、八月三十一日編は終了です。
このくそ寒い時期にやるネタじゃぁないですが……
気にしないでくださいww