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第二話 八月三十一日 中篇

「ねぇ、由貴」

彼女と出会ったばかりの頃を思い返していると、横合いから声がした。

この部屋には、僕と姫しかいないから、その声は彼女の物なのだろう。

ちなみに、自己紹介が遅れたが、彼女が呼んだように僕の名前は由貴。

苗字は、名前みたいだが、志亜。

たいていの人は、僕の事を、由貴と呼ぶけど、たまに、白雪と呼ぶ人もいる。

『しあゆき』と『しらゆき』で、音の響きが似ているから、というのがしょうもない理由からだ。

とはいえ、だからと言って、それが嫌なわけでもない。

確かに、男らしくないし、それでからかわれたりするから、手放しで喜べるようなものではない。

だけど、逆に、それが親しみやすくて、クラス替えの時などで、自己紹介をする際、掴みのネタとして使えるから、初めての場所でもあまり困らない。

「お腹すいた」

そんな事を考えているうちに、彼女は、次の言葉を続けていた。僕が全く無反応だったから、それに業を煮やしたからなのだろう。

それ以前に、単に欲求に耐えられなくなったと言う事のほうが大きいかもしれないが。

彼女が食事をしたのは、僕と出会った時に見たのが最後。

それ以前の事は、当然知らないし、それから以降の事は、僕が、出してないから、食べていないはずだ。

「んじゃ、どっかに餌探しに行ったら?」

けれど、僕は、それをまともに取り合わない。

もちろん、意地悪をして、彼女が何も食べられないようにしているわけではない。

彼女が、人間が食べる食事を食べると言うのならば、さすがに、毎食と言うわけにはいかないが、飢えない程度にはきちんと出すつもりではいる。

とはいえ、一見すると、ほとんど生きているのと変わらないように見えても、そこは霊、人間が普通に食べているものでは、飢えをしのぐ事は出来ないらしい。

まぁ、本来ならば、霊がお腹をすかせる事事態おかしいと言えばおかしい。

死んでしまっている以上、霊には、肉体がないのだから、それを維持するためのエネルギーは必要ない。

けれど、それはあくまでも普通の霊の事で、普通とは言いがたい彼女は、他の霊とは少し違う。

そもそも、彼女とは出会いの時点でおかしすぎるのだ。

なぜ、霊である彼女が、僕に触れる事が出来たのか、と言う事だ。

霊は物質的存在じゃないから、当然物に触れる事はできない。

ポルターガイストなんて言う霊障もあるが、あれは実際に霊がその物を触っているのではなく、霊の持つ力で動かしているだけの事。

もちろん、動かすだけの力を持っている霊なんて言うのは、本当に強い力を持っている霊だけで、ほとんどいない。

だけど、彼女は、そんな一般例とは違い、普通に僕に触れてきた。

それはつまり、彼女が物質的に存在していると言う事になり、当然、維持するためにエネルギーも必要になる、そういう事だ。

ただ、そのエネルギーと言うものが、僕としては非常に困ったものなのだ。

「目の前にいるんだから、わざわざ、探す必要なんてないでしょ。ほら、早く魂を抜かせなさい」

そう、そのエネルギーと言うのは、人の魂なのだ。

彼女は、人の魂を抜き取って、それを糧に物質化しているのだ。

「ほら、こんな綺麗な女の子と、公然とキスできるんだから、嬉しいでしょう?」

しかも、その手段と言うのがキスなのだ。

もちろん、他にも、いろいろと手段はあるにはあるらしいが、なぜか教えてくれない。

まぁ、どうせ、からかうためなんだろうとは思うけど。

僕が、以前、キスされたことに関して、文句を言った時、それはそれはおもしろそうに笑っていたし。

純情な男子高生の心を弄ばないで欲しいものだ。

「結構です。だいたい、好きでもない人とキスが出来るほど、器用な性格してないんです」

僕は、彼女の言葉を、あっさりと切り捨てると、彼女から漫画を奪い返し、本棚に戻す。

放っておいたら、そこら辺に散らかしたままにするからだ。

以前なんか、ほんの少し、それこそ、小一時間ほど、部屋を空けている間に、この少女は、思わず呆然とする事しか出来ないほど散らかしてくれたのだ。

あの後、母親にその大惨事を見られて、こってりとしぼられてしまった。

もちろん、彼女は、あっさりと、姿を隠して、我関せずと言った面持ちをして、ふわふわ浮いていたが。

実体化ができれば、姿を消す事もできるらしいのだが、あの時は、そんな事すら気にならないほど、殺したい程憎かったものだ。

「またまた、由貴ちゃんてば、照れちゃって可愛いんだから」

「由貴ちゃん言うな」

おまけに、僕が女性慣れしてない事を良いことに、セクハラまがいの発言もしてくる。

本当にはた迷惑な人なのだ。

まぁ、死んでしまっている以上、人と呼ぶのもなんとなく、変なような気もするけど。

「今時、ファーストキスを大事に取っておくような可愛い男っていないわよ?ある意味、絶滅危惧種ね」

「悪かったな、彼女の一人もいなくて!」

ただ、本当に死んでいるのか、怪しい物だけど。

ここまで、俗世にまみれた霊なんて聞いた事ない。

霊だけに例にない。

「いや、そんなに落ち込まなくても」

そこまで、考えたところで、あまりの寒さに、打ちひしがれてしまった。

傍にいる彼女は、何か勘違いしているらしく、哀れみのこもった目で僕を見ている。

どうせ、今まで彼女がいなかった事に、打ちひしがれているとでも思ったのだろうが、見当違いもいいところだ。

彼女いない暦が実年齢なんて事ぐらいで、誰が絶望するものか。

いつか、僕にだって、素敵な彼女ができるはずだ。

まぁ、そう言って、全く出来なかった十七年間だけど、この際、そんな事は華麗にスルーしておこう。

悲しいだけだし。

「ね、ほら、なんなら、お姉さんが慰めてあげるから?」

「お断りします」

ただ、だからと言って、彼女と、どうこうなるつもりは、毛頭ないけど。

霊相手に、と言うのもあるけど、それ以前に、性格の方に難あり、だ。

見た目に関しては、文句なしなんだけど、やっぱり、性格が良くないとどうにも、その気にはなれない。

「ていうか、お姉さん、て言う年齢でもないでしょうに」

まぁ、年齢もネックになっていると言えば、そうなんだけど。

実際の年齢は良く分からないけれど、確実に僕よりも相当上なのは分かる。

まだ、二つ三つ上なら大丈夫だけど、彼女の持つ雰囲気は、軽く僕の何倍も生きているように感じさせてくれる。

「そんな事言ってるから、もてないのよ」

だから、素直に思った事を言ってみたのだが、噛みつかれてしまった。

まぁ、確かに、女性に対して、歳の事を言うのは、あまり褒められた事じゃないのは分かってる。

ただ、それも時によりけりだ。

だいたい、彼女のこめかみと頬を見てみれば、良く分かる。

こめかみには青筋を浮かべ、頬はぴくぴくと痙攣させている。

図星をさされて、逆上しているのだろう。

なら、素直に相手してやる必要はない。

これ以上一緒にいても、言い合いになるだけの事は必至。

いちいち相手していてはこっちが疲れるだけだ。

だったら、さっさと離れてしまったほうがいいだろう。

手のひらをひらひらとさせると、彼女を置いて部屋を出る。

ただ、だからと言って、家の中でやることなんてない。

時間はまだ昼を過ぎたばかり。

当然、テレビで面白い番組をやっているわけもなく、仕方なしに僕は外へと出る。

途端に、日本の夏特有のむっとした熱気が身体中にまとわり付く。

家の中も十分暑かったが、それに比べ物にならないぐらいの暑さ。

地獄だ。

何もしていないのに、すでに滝のように汗をかき、シャツは軽く濡れて張り付いている。

ため息を履きながらも、足を進める。

いつまでも、こんなところにいては、確実に脱水症状を起こす事は容易に想像が付く。

だからと言って、あっさりと家に帰っては、外に出た意味もない。

それに、中に入ったところで、風も吹かなければ、冷房器具があるわけでもないんだから、涼が取れるわけでもない。

なら、このまま歩くしかない。

それに、歩いているうちに、納涼にちょうどいい場所が見つかるかも知れない。


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