第二十四話 九月二日 導き出された答え
ひゅっ、と風きり音がした。
それは、おそらく、僕の止めを差すのだろう。
霊が人を殺すとき。
それは、どうやって、殺すのだろう。
直接手段には訴えられない以上、普通の人がやるようにやっても殺せない。
もしかすると、単に身体を奪われるだけなのかもしれない。
殺されるわけじゃないのかもしれない。
だけど、結局は、僕がいなくなってしまう以上、それは死と同じ意味だと思う。
更に、もう一度、ひゅっ、と風きり音がした。
しかし、感触は何も来ない。
それどころか、逆に、頭の冴えが戻ってきて、先ほどまであった、身体にかかる重圧が全くなくなってしまっている。
分からない。
いきなりの展開に、思考が追いつかない。
「間に合いましたか」
頭の中がぐちゃぐちゃに混乱して、それでも、動けるはずなのに、動こうとせず、その場にうつぶせにしていたら、不意に天から声がした。
いや、頭上だ。
しかも、その声は、良く聞き慣れたもの。
「大丈夫ですか?」
そっと、その声の主が、僕を支える。
そろそろと目を開ける。
先ほどまでぼやけていた視界は、綺麗に澄みわたり、しっかりと捉える事ができる。
「すみません、遅くなってしまって。本当は、もう少し早く助けるつもりだったんですが、道に迷ってしまったんです」
けれど、意識はなかなか戻って来ない。
いまだに、混乱していて、脳の処理が追いつかない。
「ううん、ありがとう。助かったよ、志穂」
それでも、なんとか礼だけは言う。
目の前にいるのは、志穂。
そして、少し離れたところで、先ほど、僕が相手をしていた、異形の霊を相手にしている姫の姿がある。
どうやら、二人が僕を助けてくれたらしい。
「どうして、ここで襲われているって分かったんだ?」
彼女の肩を借りながら、なんとか立ち上がると、そう尋ねる。
僕が、ここにいるのも知らなければ、襲われている事も当然知らないはず。
なのに、なぜ、こんなところで、こうもタイミング良く助けてくれたのか、不思議で仕方ない。
「すみません、つけてたんです」
けれど、その答えは思いのほか簡単な事だった。
あまり気持ちのいい物ではないが。
「やっぱり、心配だったんです。姫さんの事で、先輩すごく悩んでましたし。だから、勇気付けたくて、でも、どうすればいいのか分からなくて、それで、つけてたんです」
とはいえ、それは、仕方ないのかもしれない。
もし、僕が逆の立場だったら、志穂の立場だったら、同じ事をしていたかもしれない。
例え、しなかったとしても、彼女の事を心配して、気を揉んでいたと思う。
「そうしたら、先輩は山の中に入って行っちゃったから、慌てましたよ。先輩は知らないかもしれませんが、ここは危険なんですよ?」
けれど、次の言葉は驚きだった。
ここには、いつも、心を休めるために来ていた。
昼過ぎだったから、というのがあるのかもしれないが、それでも、姫とあの異形の霊以外は、一度も見た事はない。
「独特の磁場を持っているせいか、たちが悪くて、しかもかなり強い霊がたくさんいるんです。私たちだって、あんまり好んで近づくようなところではないのに、先輩のように無意識に引き寄せてしまう体質の人が入ったら、それこそ、格好の獲物になってしまいますから」
けれど、志穂がそういうと言う事は、それが真実なんだろう。
ならば、どうして、今まで、僕は姫と異形の霊以外見た事なかったのだろう。
「そっか、ありがとう」
だが、いくら考えてみたところで、きっと答えは出ないと思う。
僕は何も知らなさ過ぎる。
何も知らずに、何も出来ずに、何も決められない。
だから、殺されそうになったし、助けてもらっている。
余りにも情けなさ過ぎる話だ。
女の子に、しかも、自分より年下の女の子に助けられるなんて。
「なあ、どうすればいいと思う?」
こんな事じゃダメな事ぐらい分かっている。
自分の事ぐらい、自分で決めないといけない事ぐらい分かっている。
でも、それでも、僕は、彼女に頼ってしまった。
頭の中がぐちゃぐちゃで、何がどうなっているのか分からなくて、そもそも自分はどんな人間で、何を為したいのか、それすら分からない。
だから、今、この弱っている機会を使ってしまっている。
襲われ、殺されかけ、一人では立っていられない状況。
すがりつく事も、必死になって手を伸ばして、助けを請う事も、ある意味許される状況。
それを利用して、僕は必死になって助けを求めている。
「ごめんなさい。私には答えられません」
けれど、彼女は、その手を握り返してはくれなかった。
当然と言えば当然の事。
これは、僕の人生であり、僕が責任を持たないといけない事。
そんな事はわかっていて、彼女がそうする事も予測していたのに、やっぱりショックが隠せなかった。
「ただ、私は先輩がしたいようにすればいいと思います」
そして、彼女は続けて、そう言う。
だけど、そんな言葉なんて聞きたくなかった。
自由意志と言えば、聞こえはいいが、結局、僕に押し付けているだけの事。
僕には決められない。
姫を切る事、家族を裏切る事、そのどちらかを選ぶ事なんて出来ない。
「先輩は何がしたいんですか?どうしたいんですか?」
できる事なら、耳を塞ぎたかった。
これ以上、そんな言葉を聞いていたら、僕は、自分がどうなるか分からない。
だから、追い込まれるような、そんな志穂の言葉なんて聞きたくない。
「先輩が辛いのは、分かります。姫さんを切る事ができない。だからと言って、私たちと同じ世界に飛び込む事だって出来ない。もし、同じ立場に立たされれば、私だって、決める事なんてできません。どっちも大切ですから」
そう、どっちも大切なのだ。
家族も、姫も。
いや、それだけじゃない、志穂も、誠次も、その他の友人達の事が大切だ。
一緒にいてくれて、一緒に笑ってくれて、一緒に悲しんでくれて、一緒に悩んでくれて、いろんな時を一緒に過ごしてくれた。
それは姫だって変わらない。
例え、その付き合いが短い時間だったとしても、霊だったとしても、それでも大切なのは代わらない。
「ねえ、先輩。先輩が、守りたい物はなんですか?先輩が大切にしたいものはなんですか?先輩が失いたくないものはなんですか?そんなに悩むものなんですか?」
「そんなの全部に決まっている」
「なら、それでいいじゃないですか」
「え?」
切り捨てるような事なんて出来ない。
どっちかを選ぶ事なんて出来ない。
だから、選べない。
そう思って言った。
そして、そんな事を言えば、笑われるかもしれない。
はたまた、なじられるかもしれない。
そう思っていた。
けれど、彼女の言った言葉は違った。
笑うわけでも、なじるわけでも、否定するわけでもなく、肯定だった。
「先輩。父の言った言葉を気にしすぎです。先輩は、別に父の言った通りにしなくてはいけない義務なんてないんです。確かに、父が言った事のどちらかを選べば、間違いなんて起きないかもしれません。大損害が出る前に対応できるかもしれません。だけど、それに先輩が縛られる必要はないんです。先輩は先輩で、父は父。確かに知人かもしれませんけど、ただの知人でしかない父には、先輩に対する強制力なんてないんです。先輩が好きなようにやっても文句は言う事は出来ないんです。何も問題を起こして居ない以上」
僕の言葉を認めてくれた。
だけど、実際、それは真実だと思う。
彼には、僕を縛る事は出来ない。
僕の行動を制限する権利なんてないんだ。
「んじゃ、今のままの生活を望んでもいいのかな?」
「はい、先輩がそれを望むんだったら、そうすればいいと思います」
確認するように言った言葉に、彼女は頷いてくれた。
「だったら、答えは決まったよ。姫は祓わない。だけど、彼女を縛るような事もしない。今のままでいる。どっちも選ばない」
どっちも選ばない。
やっぱり、僕はどこまでも弱い人間だから。
切り捨てる事も、自分が一般人でなくなる事も、覚悟を決める事も、何も出来ない。
だから、僕は、今のままを望む。
例え、その結果として、大惨事を起こす事に鳴ったとしても。
「ああ、やだやだ、ホント弱いくせに、手のかかる相手って嫌なものね。余計な力を使っちゃったわ。あ、由貴、大丈夫だった?」
異形の霊を倒し終わったのだろう、姫が戻ってきた。
その表情は、どこか優しくて、安堵しているようにみえる。
もしかしないでも、心配してくれたんだろう。
「ああ、大丈夫だよ。ありがとうね、姫」
「あら、感謝してるなら、そのついでに、ちょうどいいから、キスさせてよ。お腹すいちゃって、たまんないのよ」
「だめです!どさくさにまぎれて、なんて事を言ってるんですか」
「頑張ったんだから、当然の権利よ。貴方みたいに、どこにいるのか分からず迷いに迷った挙句、戦闘にも参加しなかったわけじゃないんだから」
「し、しかたないでしょう、貴方みたいに、変なレーダーがついてないんです」
「と言う事は、あなたの愛もそれまで、と言ったところかしら?」
「そんな事はありません!絶対に、私の方が上です」
それが嬉しくて、素直にお礼を言ったんだけど、それが原因で喧嘩になってしまった。
というか、志穂の場合、もう僕への気持ちを、隠す気なんてないんだろうか。
今まで、全くそんなそぶりも見せなかったというのに、どういう心境の変化だろうか。
女の子と言うものは、本当に謎だ。
ただ、それでも、分かるものだってある。
それは、
「さあ、帰ろう。皆で仲良く、ね」
そんな二人が大好きで、一緒にいたい、と言う事。
まあ、姫に関しては、今一なんとも言えないが、志穂の好きとは少し違うかもしれないが。
次回エピローグになります。
お付き合いありがとうございました。