第二十話 九月二日 男の嫉妬はそれはそれで怖いのよ?
今日一日の荒行を終えると、おもむろに立ち上がる。
今の僕は一人。
傍には、姫の姿はない。
今日もお留守番だ。
もちろん、帰ったら、精一杯御奉仕するように仰せつかってしまった。
しかも、どうやら、昨日の事をずいぶん根に持っているらしく、しばらくは、名前どおりにお姫様扱いしなくてはならない。
せめてもの救いはキスを強要して来ない事ぐらいだろうか。
とはいえ、それでも、衣服を剥ぎ取られ、もう少しのところで、操を奪われてしまうところだったけれども。
あの時は本当にあせった。
志穂にさよならを言った後、部屋に戻った僕の背後から襲って来たのだ。
そして、押し倒されたと思ったら、次の瞬間には、あっという間に上半身裸にされてしまった。
必死になって抵抗して、マウントポジションと言う圧倒的不利な体勢から、彼女にアイアンクローを食らわせて、なんとか逃げ出したのだ。
僕としても、女の人に暴力を振るうのは、あまり好きじゃないのだが、背に腹は変えられなかった。
やはり、操を奪われるのだけはどうしても、勘弁して欲しかった。
『はあ』
昨日のハプニングを思いだし、たまらずため息を付いたのだが、それが隣にいる誰かさんと重なった。
誠次だ。
今にも死にそうなほど、真っ青な顔をしている。
「ああ、しょっぱなから崖っぷちだよ」
一瞬どうしたものかと思ったが、すぐに答えは出た。
どうやら、全滅らしい。
新学期二日目。
今日は、恒例の期首テストがあった。
とりあえず、夏休みの間の勉強の成果をはかるためのものみたいだが、僕達生徒にしてみれば、嫌がらせとしか思えない。
ただでさえ、宿題だけで、息切れを起こしそうなのに、その上、期首テストの勉強までするとなると、遊ぶ暇なんてなくなってしまう。
だから、たいてい、よっぽど真面目な生徒じゃない限り、期首テストなんかの勉強なんてしない。
その結果、誠次のようになってしまうのだ。
まあ、誠次の場合、宿題すらやっていないから、そうなって当然なんだろうけど。
「自業自得だ、諦めろ」
真っ白になりかけている誠次の肩をぽんと叩き、そう言う。
結局、ちゃんと勉強しなかったのが悪いだけだ。
宿題しかやっていない僕でさえなんとか、半分は出来たのだ。
それすらサボった誠次がそうなってしまうのは、当然の事だろう。
同情してやる余地もない。
ただ、一人虚空を見つめながら、ぶつぶつと言っているその姿は、背筋が冷えるほど気持ち悪い。
「んじゃ、先帰るな」
それに、まともに反応を返してくれるようすもないので、誠次の事は放って廊下に出る。
テストも終わったばかりのそこは、下校途中か、はたまた部活に行く途中の生徒であふれかえっている。
そんな中に見知った顔を見つけた。
たくさんの人の中、遠目からでも分かる整った顔。
そして、それ以上に独特の凛と澄んだ雰囲気。
志穂だ。
けれど、何故彼女がここにいるのかが、分からない。
本来、僕の一つ下の彼女は、僕達の学年とは校舎は同じでも、階は違う。
そのため、用事がないと、こんなところに来る事はない。
「あ、先輩」
それを疑問に思いながら、歩み寄ると、彼女もそれに気付いたらしく、走って近づいてくる。
「何してるんだ?」
彼女が僕の傍まで歩み寄って来たところで、そう尋ねる。
いつの間にか、野次馬が集まり、周りからは好奇の視線が集まって来ている。
その中には、さっきまで死んでいたはずの誠次の姿もあるが、この際、それは無視する。
「昨日の事で、ちょっと先輩にお話があるんです」
「昨日の?ああ、あれね。分かった。」
どうやら、用事は僕らしく、その内容は、昨日の事。
間違いなく、姫関連の事だろう。
けれど、さすがに、それをここで話すのも憚れる。
こんなたくさんの人間が聞き耳を立てているような場所でする内容ではない。
「でも、ここで話すのは、なんだし、場所を変えようか?」
「あ、いえ、そんな事は気にしないで下さい。ただ、うちに来て、父に会ってもらいたいだけですから。」
そう思って、場所移動を提案してみたのだが、彼女はあっさりと言ってしまった。
けれど、それは僕が危惧したようなものではなかった。
父に会ってもらいたい。
それだけでは、確かに、姫の事を感づかれる事はない。
彼女も、それなりに考えて、そう言ったのだろう。
しかし、もう少し考えて欲しい。
周りの野次馬は騒ぎ始めている。
耳を済ませて見れば
「親に紹介?」
「もしかして、婚約?」
「まじかよ、俺、彼女の事、狙ってたのに」
「くそ、白雪なんて言う男とも女とも付かない奴の分際で、生意気な」
「人目のないところで、こっそりやっちまうか?」
恐ろしい会話が繰り広げられている。
特に最後の言葉は聞き逃せない。
ここしばらく、人目のない場所は通らないように気をつけなくてはいけないだろう。
でなければ、確実に、僕は次の日のお天道様を見る事が出来ないと思う。
女の嫉妬は、陰湿で怖いと言うが、やはり、男の嫉妬は、それはそれで怖い。
直球勝負過ぎるために、分かりやすい実害が出やすいのだ。
「うん、そっか。了解、さっさと行こうか」
分けが分からず、きょとんとしている彼女の手を握ると、その場から離れる。
途端に、僕に対する非難や暴言が聞こえるが、やはりここも無視。
いちいち、相手にしていたら身が持たない。
とりあえず、後が怖いけれど、今は逃げるしかないだろう。
それに、落ち着いた頃合に、弁明できるようならば、弁明すればいいわけだし。
まあ、まともに相手にしてくれなさそうだが。
「せ、先輩。こんな人前で手を握るなんて、ちょっと、大胆すぎます」
それ以上に、志穂が勘違いしているのが、怖いが。
もしこれが、姫にばれたらと思うと……
怖すぎて、想像すら出来ない。
ただ、とりあえず、言える事は、きっと、なんらかの強硬手段で、操を狙われる事になってしまうだろう。
そんな冗談のような笑い話を笑い飛ばす事も出来ず、ため息を付きながら、彼女の家に向かった。