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一章 開始する月曜日(2)

     3


「高木!! 南原!!」本田が真っ先に駆け寄り叫んだ。

 猪狩もとっさに男に駆け寄る。相手の手首に手を当てて脈を計った。そして、口元に顔を寄せて呼吸を確かめる。

 脈はない。呼吸もしていない。けれど、死んでいるのかどうか、その判断は猪狩には出来なかった。ただ、身体は冷たかった。

「生きてるぞ!」もう一人の男を見ていた藤井が大声で言った。

「救急車! 早く!」猪狩は本田に指示した。めずらしく大声だった。

 本田が慌てて走って行く。

「どうする?」藤井がめずらしく怯えたような声で言った。

「さあ、たぶん、動かさない方がいい。救急車が来るのを待とう」

 猪狩はなんとなく窓に近寄った。鍵がかかっていた。外は砂利が敷き詰められている駐車場だった。何台か、車が停まっていた。

 まさか、と場の雰囲気にそぐわないが苦笑いが出そうになった。

 部屋の中を見渡してみる。整頓されてはいるが、もともと物が多いため、綺麗という印象は受けない。入り口の左手には救急箱や雑巾、ティッシュなどの備品が棚の中に入れられている。右手には普段使うボールやバットなどがまとめて置かれていた。

 その横には冷蔵庫が備え付けられている。アイシング用の氷を作るためだろうか、他にも、飲み物も入っているかもしれない。

 真ん中のテーブルには野球用品のカタログや本などが乱雑に置かれていた。三年生のものだろうか、SPI対策の本まである。

 側面には一面に棚が続いており、部員の私物が入っている。その棚の上には合宿で使うのだろうか、鍋などの料理道具が入った袋と紙皿、紙コップ、割り箸などが入った袋が置いてあった。、紙皿の入った袋にいたっては口が開いている。こんな所に置いておいて大丈夫なのだろうか、食中毒にでもなったら笑い事ではないだろう。

 猪狩はそのような、今の状況とは関係のないことを考えていた。

 窓の上に掛かっている時計は止まっていた。

「なあ、とりあえず出ようぜ。ここにいてもできることないって」藤井が落ち着きなく顔をしかめて言った。

「放っておくのは良くないだろ。救急車が来るまで待とう。少し落ち着けよ」

 そうは言ったものの、猪狩も自分が落ち着いていないことを自覚していた。周りを見渡して関係ないことを考えているのも、少しでも気を紛らわすためだった。

 それに、血の臭いに混じって、部屋に染みついた汗の臭いがとても不快に感じられてきて、部屋を出たいという意見に同意したい気分になってきていた。

「こっちです!!」

 入り口の方から本田の声がした。救急車が来たにしてはずいぶんと早い。

「こっちです。見てください!」

 本田が呼んできたのは救急隊員ではなかった。もちろん呼んでいないということはないだろう。

 彼が呼んできたのは保健管理センターの医師だった。

 たしか、高校の養護教諭と違って医師免許を持っていたはずである。健康診断で二度だけ見た事があるのだが、髪の薄さを長さで誤魔化している頭と眼鏡は印象に残っていた。

 医師は猪狩が見ていた方の男に近寄って何か調べていたがやがて首を横に振った。

「亡くなっています」

「そんな……」本田がうなだれてその場に座り込んでしまった。

「おいっ」

 藤井が慌てて彼を支えて、近くのパイプ椅子に座らせた。

 医師は急いでもう片方の男に駆け寄ったが、そのとき男が目を覚ました。

「うっ……」

 気絶していた男は頭を押さえながら起き上がろうとした。だが、それを医師に止められる。

「南原!!」本田が叫びにも近い声で呼びかけた。

「大丈夫かい!?」

 医師がそう聞くと南原は黙って首を縦に振った。しかし、どう見ても痛々しい。

「出血がひどい。早く処置しないと……」

 遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

「誰か、救急車を誘導してきてくれないかい?」

 医師がそう言うと、本田が立ち上がろうとしたが、藤井がそれを制して、部屋を出て行った。

 そのあとはトントン拍子に事が進んだ。医師が適切な説明をしていたし、南原の意識はしっかりしていた。命に別状はないようだった。彼は救急車で運ばれていき、本田が付き添いで救急車に乗っていった。

 残された猪狩と藤井はある問題に直面していた。

 死んでしまった高木という男のことだ。警察にも連絡する事になり、事情を話すためにその場に残らなくてはいけなかった。

 猪狩はもともと話をする方ではないし、藤井も直接惨状を目にしたために黙りきっていた。

「またかよ……」ロビーの椅子に座りながら藤井はつぶやいた。

 彼らがこういった事件に巻き込まれるのは二度目である。最初は、二か月ほど前、海に泊まりに行ったときのことであった。そのときには、矢式奈美香と新川怜奈という二人もいた。

 猪狩も、まさか、という気持であった。二度とこんな目に会うとは想像もつかなかったのだ。

 藤井も何も言わないので、居心地の悪い沈黙が流れていた。普段の沈黙とはまた違った空気で、黙っていることの多い猪狩でも辛い時間だった。

 なので、パトカーのサイレンが聞こえたときには少しホッとした。何も解決はしていないが、一歩事が進んだのと、気まずい沈黙が破られたからであろう。

 猪狩は外に出てパトカーを誘導することにした。

 パトカーから男が出てくる。彼は猪狩を一瞥して目を見開いた。

「あれ、君だったのか」

 猪狩は彼が男が誰だかわからずに黙っていた。

 会った事があっただろうか。記憶の引き出しを一つずつ開けてみる。

 そして、答えに行きつく。

「……ああ、覚えていたんですか」

「君は覚えてなかったみたいだけどね」

 彼の名前は伊勢浩太郎。道警の刑事で、猪狩とは前回の事件のときに一度だけ会っていた。

 どうも、猪狩のことが気に入ったのか、猪狩に対してフランクな話し方をする男だった。

「すみません」

「事件? 事故?」

「事件です、たぶん。殺人と傷害、ですかね?」

 伊勢は大きく息を吐いた。

「面倒ですよ」猪狩は部室の方を指差した。

「殺しはなんだって面倒だ」

「密室ですよ、一応」その言葉は嫌いだったが、ありのままを猪狩は伝えた。

「好きなのかい、君?」

「ふざけないで下さい」

「はいはい。さてと、まずは現場を見るかな」

 そう言って伊勢は奥へと進んでいった。


     4


 伊勢は現場である野球部の部室に入った。すでに鑑識があちらこちら調べている。

 中央には長テーブルが二つ繋げて置いてあり、正方形に近い形になっていた。その周りを壁伝いにパイプ椅子が囲んでいる。

 遺体は部屋の左側、テーブルと道具の塊の間に倒れていた。それと線対称になるように部屋の右手前に血痕が残っている。こちらが先ほど救急車で運ばれたという男が倒れていたのだろう。

「被害者の身元は?」伊勢はすぐそばにいた後輩の刑事、池田に話しかけた。

「ここの学生です」当たり前ですよね、といった様子で話す。「二年生で名前は高木祐介。財布の中に免許証が入っていました」

「へえ、免許持ってるのか」

「はい、車の鍵が入っていました。所持品は財布と車の鍵と家の鍵だけです。車は今探しているところです」

「それだけ?」

「はい」

「携帯は?」

「ありません。今、探しています」

「ふーん」

 伊勢は死体にかかっているシートをどけた。頭の右側を殴られたようだ。額のあたりから出血がある。ということは正面から殴られた事になる。犯人と面識があったか、逃げる暇さえなかったかのどちらかだろう。

「凶器は……あれだよな?」

 彼は死体の奥に転がっているバットを指差した。大量の血が付着している事からも間違いなく凶器だろう。

「そうですね。部の備品ですよね?」

「だな。凶器を隠す必要がないわけだ。撲殺には持ってこいの場所だな。ちくしょう。……死亡推定時刻は?」

「昨日の午後五時から午後七時の間頃だそうです。詳しいことは検死待ちですけど」

 その時間なら何か目撃情報が見つかるだろう。

 至極単純な事件だ。犯人は被害者二人がいる部室に入り込み、そこにあったバットで殴った。それだけの事だ。ただ、いつ誰に見られるか分からないような場所で合理的ではない。

 とすると、突発的な犯行ということになる。問題は……。

「本当ですかね?」池田が聞いてきた。

「何が?」

「密室だったって。さっきの子言ってましたよね」

「さあな」伊勢はぶっきらぼうに答えた。

 そう、まさにそこが一番の問題である。それさえなければ簡単な事件だ。単純に犯人が鍵を掛けていったのではないのか。もっと詳しい話を聞く必要がある。伊勢は猪狩たちに話を聞くことにした。


     5


「ほんとに鍵なかったのかな?」藤井は独り言のように言った。

 二人ははサークル会館のロビーにいた。そこの長椅子に座っていた。

 先ほどから、二階から降りてきた学生が興味深そうに野球部の部室の方に目を向けるが、警官に追い返されている。

 猪狩はそれを独り言だと判断し、黙っていた。

「何か反応してくれよ」

「そんなこと言ったって知らないよ」

「そりゃあ、そうだけど……」

 どうも藤井はいつもの調子ではない。それきり黙ってしまった。

 猪狩が何か飲み物を買おうかと立ち上がると、伊勢がこちらに歩いてくるのが見えた。

「詳しく話を聞きたいんだけど」伊勢は手帳を開き、猪狩に向かって言った。

「何もないですよ」猪狩は椅子に座りなおした。「部室に行ったら鍵がかかっていた。仕方ないから学務課で鍵を借りてきた。開けてみたらあの光景。それだけです」

「そういえば、野球部なの?」

「いや、本田君だけです。さっき付き添いで救急車に乗っていっちゃいましたけど。こいつが急にキャッチボールをしたいって言い出したんで、グローブを借りに行ったんです」そう言って藤井を指差す。

「密室だったっていうのは? 鍵は?」

「何年も前からないらしいですよ」

「ふーん」伊勢はメモを取り終えると頭をかいた。「まいったな……。じゃあ、被害者のことは知ってる?」

「いえ、全然」

 伊勢は藤井に顔を向けたが、彼は黙って首を横に振るだけだった。

「じゃあ次は、形式的な質問。昨日の五時から七時の間どこにいた?」

「家にいました」と猪狩。

「俺もです」藤井も続いた。

「わかった。今日はもういいよ」

 そう言って伊勢はまた部室の方へ向かって行った。

「帰るか」猪狩は提案した。

「ああ……」 

 藤井はやはりいつもの調子ではないようだ。ずっと黙っている。前回の事件ではもっと積極的ではなかっただろうか。野球部だっただけあって、事件を身近に感じているのだろうか。被害者の二人と試合をした事があるのかもしれない。

「誰かさんが出しゃばらなきゃいいけど」

 猪狩は祈った。そして、すぐにため息をついた。

「無駄だな……」


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