EP 27
『王たちの釣り堀と、始祖竜の選択』
領地のはずれにある静寂に包まれた湖。
そこは、マモルが「大人の隠れ家」として整備した、知る人ぞ知る釣りスポットだ。
水面にはさざ波が立ち、一人の老竜人が静かに糸を垂れていた。
竜人族族長、ドラグニールである。
「……ふぅ。平和よのう」
そこへ、ドカドカと足音を立てずに、大柄な男が近づいてきた。
先日マモルに敗れ、晴れて「無職(隠居)」となった元魔王サルバロスだ。
「よう、元魔王殿」
「よせ。今はただの『釣り人』だ」
サルバロスはドラグニールの隣に携帯椅子(アウトドア用)を広げ、ドカリと腰を下ろした。かつて世界を震え上がらせた覇気は消え、憑き物が落ちたような顔をしている。
「気楽になったぜ。肩の荷が下りるとは、これほど空気が美味いものか。……あんたもどうだ? そろそろ隠居したらどうだ?」
サルバロスの誘いに、ドラグニールは苦笑いしてウキを見つめた。
「あぁ……ワシもそうしたいのは山々なのだがな。息子のイグニスに席を譲るには、あやつはまだ……血の気が多すぎる」
ドラグニールは遠い目をした。
「今頃、どこかの戦場で武者修行でもしておるのだろう。あやつの『熱さ』が冷めるまでは、まだまだ現役を退けぬよ」
「…………」
サルバロスは沈黙した。
彼の脳裏には、昨日テント村で見かけた光景が浮かんでいた。
公園のベンチで、虚ろな目をして鳩に豆を与えながら、「俺様なんて……俺様なんて……」とブツブツ呟いていた赤い竜人の姿を。
(……言わぬが情、というやつか。親父の夢を壊すこともあるまい)
サルバロスはあえて何も言わず、黙って自分の竿に餌をつけた。
「隣、失礼するよ」
そこへ、新たな釣り人が現れた。
新魔王にして勇者、そして公爵のマモルだ。
彼の背中には、小さな影がコアラのようにへばりついている。
「マモル~、マモル~♡」
始祖竜アルカだ。彼女はマモルの首に腕を回し、頬をスリスリと擦り付けている。
「はいはい、アルカ。危ないから座ってな」
「うん!」
マモルがパイプ椅子を出してやると、アルカはちょこんと座り、すぐにまたマモルの袖を掴んだ。
「おぉ~……アルカ様だ」
ドラグニールが感極まった声を上げ、拝むように手を合わせる。
「アルカ様がその気になれば、我が竜人族などすぐにでもお任せできるのですがなぁ。そうすればワシもコタツに専念できるものを」
「おいおい、爺さん」
サルバロスが呆れたように鼻を鳴らす。
「まだガキじゃないか。鼻水垂らしてる神様に、国を任せられるかよ」
「ふっ、浅いな元魔王よ。始祖竜様に常識は通用せん」
ドラグニールは厳かに告げた。
「あの方は『存在』そのものが理を超越しておる。今は幼子の姿をしているが、それは仮初め。アルカ様が望めば、瞬時に叡智を宿した成体へと成長されるのだ」
「へぇ、そうなんすね」
マモルは驚いて、隣でキャラメルを食べているアルカを見た。
「アルカ、おっきくなれるのか? すごい美人さんになったりして」
「…………」
アルカはキャラメルを口に入れたまま、マモルを見上げ、次にドラグニールを見た。
そして、ふるふると首を横に振った。
「アルカは、今のままがいい」
「ほう? 何故ですかな?」
ドラグニールが問うと、アルカは満面の笑みでマモルに抱きついた。
「だって、おっきくなったら……マモルにおんぶしてもらえないもん! アルカはマモルと一緒に居たいの! だから、ちっちゃいのがいい!」
純真無垢な理由。
「世界の統治」よりも「マモルのおんぶ」を選んだ最強の存在。
「ぶっ、ククク……だそうだ、ドラグニール」
サルバロスが腹を抱えて笑う。
「当分、竜人はあんたがまとめるんだな。隠居は遠そうだ」
「……やれやれ。あの方には敵わんわい」
ドラグニールはガックリと肩を落とし、しかしどこか嬉しそうに竿を握り直した。
湖面には三人の王(と一柱の竜神)の影が映る。
マモルの竿がしなり、アルカが歓声を上げる。
世界を動かす者たちの休日は、今日も穏やかに過ぎていくのだった。




