EP 8
熊のようなボルグ団長を、ヒョロリとした作業着の男が転がした――。
その噂は、瞬く間にアルニア村を駆け巡った。
そして翌日の昼下がり。
真守がリビングで優雅にコーヒー(と、フィリアが焼いたクッキー)を楽しんでいると、玄関のインターホンが鳴るより先に、ドンドンドン! と激しいノックの音が響いた。
「たのもー! ここに『先生』はおるかー!」
しゃがれた、しかし腹の底に響くような大声だ。
真守がモニターを確認する間もなく、ドアノブがガチャガチャと回される。
「お、おい! 今開けるから壊すな!」
真守が慌ててロックを解除し、ドアを開ける。
そこに立っていたのは、身長は真守の胸ほどしかないが、横幅は倍ほどありそうな岩のような男。
長く編み込まれた髭、煤で汚れた革の前掛け、そして背中には身の丈ほどある大金槌。
村一番の鍛冶師、ドワーフのガンツだった。
「あんたが噂の先生か。あの筋肉ダルマのボルグが手も足も出なかったと聞いてな。どんな武器を使ったのか見に来てやったわい!」
ガンツは土足のまま上がり込もうとする。
「あ、ちょっと! 靴! 靴を脱いでくれ!」
「あん? 面倒くさいのう……ん?」
ガンツはぶつくさ言いながら、ブーツを脱いで上がり框に足を乗せた。
そして、顔を上げた瞬間――彼の動きが凍りついた。
目の前に広がる、幾何学的なまでに真っ直ぐな廊下。
継ぎ目が見えないほど滑らかなクロス壁。
天井に埋め込まれた、炎の揺らぎがない純白の光。
「ふ、ふぁ……?」
ガンツの口がポカーンと開き、持っていた金槌がゴトリと落ちた。
「な、な、なんじゃこりゃあああああああ!?」
ドワーフの絶叫が、高気密高断熱のマイホーム内にこだました。
◇
「……で、これは『ステンレス』という錆びない鉄の合金で……」
「鉄が錆びんじゃと!? 嘘をつけ! どんな魔法金属じゃ!」
「いや魔法じゃなくて、クロムを混ぜてだな……」
「混ぜる!? 鉄と何をどう混ぜればこんな鏡みたいになるんじゃ!」
それから晩まで、地獄の質問攻めが続いた。
ガンツは鍛冶師の血が騒ぎすぎて暴走状態だった。
キッチンのシンクを撫で回し、窓ガラスに顔を押し付け、冷蔵庫のヒンジ(蝶番)の動きを千回くらい確認する。
「この透明な板、歪みがゼロじゃ……ドワーフの国宝級の職人でもこんな平面は出せんぞ!」
「この床の木、隙間が髪の毛一本分もない! どんなノコギリで切ったんじゃ!」
「おい先生! この『ネジ』とかいう螺旋の釘、規格が全部同じじゃぞ! 手作業でやったんか!?」
真守は偏頭痛を感じながら、一つ一つ説明する羽目になった。
フィリアは「ガンツおじさん、子供みたい」とクスクス笑いながらお茶を淹れているが、真守にとっては災難でしかない。
「ええい、だからこれは俺のスキルで出した『完成品』なんだよ! 俺が作ったわけじゃない!」
「なら、この家を作った職人に会わせろ! 弟子入りする!」
「異世界(地球)だから無理だって言ってるだろ……」
ようやくガンツが帰ったのは、日付が変わる頃だった。
◇
しかし、悪夢は終わらなかった。
「先生! ワシじゃ! 酒を持ってきたぞ!」
「先生! 昨日の『ベアリング』とかいう玉の話、詳しく聞かせろ!」
「先生! 今日は鉄の焼き入れ温度について議論じゃ!」
翌日から、ガンツは毎晩やって来た。
仕事終わりの薄汚れた格好で、ドワーフ特製の強い酒とつまみを持参して、我が物顔でリビングのソファに陣取るのだ。
「勘弁してくれ……俺は明日も授業があるんだぞ……」
真守は目の下に隈を作りながら、ついにキレた(静かに)。
口で説明するから終わらないのだ。ならば、教師らしく「教科書」を作って黙らせるしかない。
真守は書斎に籠もり、方眼紙と製図ペンを取り出した。
数学教師の本領発揮である。
三面図(正面・平面・側面)の書き方
寸法の概念(メートル法)
合金の配合比率(化学式は省き、イメージ図で)
てこの原理と滑車、歯車の噛み合わせ計算
それらを、美麗な図解入りでまとめ上げた「異世界向け技術マニュアル(ガンツ専用)」を作成した。
「ほらよ、ガンツさん。俺の知ってる知識はこれにまとめておいた。これを読んで、自分で研究してくれ。俺にはこれ以上は分からん!」
真守は束になった紙をガンツに叩きつけた。
「こ、これは……!」
ガンツは震える手で図面を受け取った。
そこには、この世界の職人が感覚で行っていた技術が、美しい「数式」と「図形」で論理的に記されていた。
「すげぇ……『設計図』とは、これほど美しいものか……! 数字ですべての形が決まるとは……!」
ガンツは涙を流して感動し、「ありがてぇ、ありがてぇ!」と図面を抱きしめて帰っていった。
ようやく、真守の家に静寂が戻った。
◇
一週間後。
久しぶりに静かな休日を過ごしていた真守の元に、再びガンツが現れた。
だが今回は、いつもの煤けた服ではなく、正装に身を包んでいた。
「先生。これを受け取ってくれ」
ガンツが差し出したのは、細長い布に包まれた物体だった。
真守が布を解くと、鈍い銀色の輝きが目に飛び込んできた。
「これは……三節根?」
それは、真守が愛用していたチタン製のものと形状は同じだが、素材が違った。
「先生がくれた設計図にあった『回転軸』の構造を再現してみた。素材はミスリルと、ドワーフ秘伝の緋緋色金の合金じゃ」
真守は手に取ってみた。
ずしりと重いが、重心バランスが完璧で重さを感じさせない。
何より、連結部分の鎖と軸が、恐ろしいほど滑らかに回る。
「……凄い。俺が持ってたやつより、数段性能がいい」
軽く振ってみると、ヒュン! という音が以前より鋭い。魔力を通しやすいミスリルの特性か、真守の気配に呼応しているようにも感じる。
「礼じゃよ、先生。あんたのくれた紙切れのおかげで、ワシの鍛冶の腕は数段階上がった。これはその最高傑作じゃ」
ガンツはニカッと笑い、太い親指を立てた。
「名前は**『轟天』**。あんたのその奇妙な武術に耐えられるよう、頑丈さだけは保証するぞ」
「ありがとう、ガンツさん。大事に使わせてもらうよ」
真守が握手を求めると、ガンツはそのゴツゴツした手で力強く握り返してきた。
「ま、それはそれとして先生。……あの図面の15ページ目の『複合滑車』の計算なんじゃが、今夜また聞きに来ていいか?」
「……週一回にしてくれ。週一回なら相手をする」
「ガハハ! 交渉成立じゃ!」
こうして加藤真守は、村一番の鍛冶師という強力な(そして少々暑苦しい)コネクションと、最強の専用武器を手に入れたのだった。




