EP 15
『残金五円の歌姫と、救世主のルームメイト』
アルニア公爵領の一角に建つ、高級マンション『メゾン・ド・マモル』。
その広々とした一室で、人魚族の歌姫リーザは、壁に掛けられたカレンダーを睨みつけていた。
その視線は、魔王を睨む勇者よりも険しい。
「……月末。……家賃、三万円」
彼女は震える手で、ピンク色のがま口財布を開いた。
逆さに振ってみる。
チャリン。
虚しい音と共に転がり出てきたのは、穴の空いた硬貨――五円玉が一枚だけ。
「そ、そんな……嘘ですわ……」
リーザは畳に崩れ落ちた。
「昨日の夜、『マモルマート』で半額シールが貼られた海苔弁(タルタル増量)を買ったのがいけなかったの? あれが私の財政を破綻させたというの!?」
美味しかった。悔いはない。だが、現実は非情だ。
このままでは家賃滞納で強制退去。再び公園で鳩と豆を奪い合う生活に逆戻りしてしまう。
ビィーーーーーーッ!!
その時、部屋にインターホンの音が鳴り響いた。
今のリーザにとって、それは地獄からの徴収の合図にしか聞こえなかった。
「ひいいいッ!? ま、マンションオーナー!? 取り立て屋ですわーッ!!」
居留守を使うか? いや、相手は魔導セキュリティ完備のこの街の管理者だ。逃げ場はない。
リーザは覚悟を決め、勢いよく扉を開け放った。
「どぅおりゃあああッ!!」
彼女は扉を開けるやいなや、残像が見えるほどのスピードで地面に滑り込み、額を床に擦り付けた。
芸術的ですらある、完全無欠のジャンピング土下座である。
「どうか! どうかお許しをぉぉぉ! 来月! 来月私がビッグになって『マモル・ドーム』を満員にしたら、必ずやお支払いをぉぉぉ!」
「……えっと、どうしたの? リーザ」
頭上から降ってきたのは、怒声ではなく、聞き慣れたのんきな声だった。
「……へ?」
リーザが恐る恐る顔を上げると、そこには買い物袋を下げたマモルが立っていた。
「マ、マモル様!?」
「いきなり土下座なんてして。何か悪いことでもしたの?」
「い、いえ! これはその、人魚族に伝わる最上級の歓迎の舞……ですわ! オホホホ!」
リーザは瞬時に立ち上がり、ドレスの埃を払ってごまかした。冷や汗が止まらない。
マモルは不思議そうに首を傾げたが、すぐに後ろに控えていた小柄な少女を前に出した。
「実はさ、今日は同居人を連れてきたんだ」
「同居人……?」
「ほら、キャルル。挨拶して」
マモルの背後から、白い兎耳の少女がおずおずと顔を出した。
「は、初めまして……キャルルです。えっと、今日からお世話になります」
「キャルルさん? ……あ、わたくし、リーザと申します」
リーザが挨拶を返すと、マモルが部屋の中を見渡しながら説明を始めた。
「キャルルが住む部屋を探してたんだけど、ここ、リーザが前に『4人組のアイドルグループ』を結成した時に借りた部屋だよね? 4LDKで、一人で住むには無駄に広いし」
「うっ……」
リーザが言葉に詰まる。
かつて彼女は、「アルニア・マーメイド・シスターズ」というアイドルグループを組み、意気揚々とこの広い部屋を借りたのだ。
「……ええ。メンバーとの『音楽性の違い』で解散しましたの。孤独なソロ活動を選びましたわ」
リーザは遠い目をして髪をかき上げた。カッコいい言い方だ。
だが、マモルの脳裏には、先月公園で見かけた光景が浮かんでいた。
(……いや、公園でマヨネーズ片手に『雑草サラダバー生活』してたら、そりゃあ他のメンバー逃げるよね……)
マモルはそのツッコミをぐっと飲み込み、笑顔で提案した。
「というわけで、家賃は折半……いや、キャルルの分は領地から補助を出すから、実質リーザの家賃負担はゼロでいいよ。その代わり、キャルルにこの街のことを教えてあげてほしいんだ」
「家賃……ゼロ……?」
その言葉は、五円玉生活のリーザにとって福音そのものだった。
「やりましたわーッ! 歓迎します! 大歓迎ですわキャルルちゃん! さぁさぁ中へ!」
リーザは掌を返してキャルルの手を取り、部屋へと招き入れた。
「わ、わぁ……広いお部屋……! よろしくお願いします、リーザさん!」
「任せてちょうだい! この街の先輩として、いろはを叩き込んであげますわ!」
こうして、崖っぷち歌姫と、亡命した元近衛騎士。
奇妙な二人の共同生活が、ここから幕を開けるのだった。




