EP 13
『月下の脱走兎と、亡命希望者』
夜の帳が下りたガルーダ獣人国の国境付近。
荒涼とした岩場を、一筋の白い閃光が疾走していた。
「ハァ、ハァ……! もう嫌よ! こんな国!」
息を切らして走るのは、月兎族の少女キャルル。
その愛らしい兎耳は恐怖に震えているが、瞳には決して折れない反骨の光が宿っていた。
「待てェ! 逃がすか、希少種がァ!」
背後から、大柄な鳥人の近衛兵が滑空して迫る。
鋭い鉤爪がキャルルの背中に迫ったその瞬間、彼女は急ブレーキをかけ、反転した。
「煩いッ!」
キャルルは踏み込み、地面を砕くほどの加速で懐へ潜り込む。
「なっ!?」
「月影流……顎砕き(あごくだき)ッ!」
キャルルの右膝が、青白い闘気を纏って閃いた。
小さな身体からは想像もつかない運動エネルギーが、一点に収束して突き上げられる。
ゴガッ!!
「が、は……っ!?」
鈍い音と共に、屈強な獣人兵の巨体が宙に浮いた。顎を正確に打ち抜かれ、意識を刈り取られた兵士は、糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちる。
「よし! じゃあねぇ! あっかんべー!」
キャルルは舌を出して挑発すると、再び身を翻した。
ここからは時間との勝負だ。彼女は自慢の脚力を爆発させ、国境の警備網を一瞬で突破した。
***
国境を越えたものの、キャルルの体力は限界に達していた。
「つ、疲れた……もう走れない……」
ふらつく足取りで街道へ出た彼女の視界に、巨大な影が入った。
猛牛のような巨大魔獣が牽引する、荷台付きの輸送車。最近、大陸全土に物流網を広げつつある『ロックバイソン定期便バス』だ。
「あれは!? ……神様、ありがとうございます!」
キャルルは最後の力を振り絞って加速し、バスの背後にある荷物棚へと飛びついた。
「これで……遠くへ……」
安心感と共に、彼女は積み荷の柔らかい布にくるまり、泥のように眠りに落ちた。
***
「……ん」
ガタゴトという揺れが止まり、周囲のざわめきでキャルルは目を覚ました。
そっと荷台から顔を出した彼女は、息を呑んだ。
「な、何……ここ……」
そこは、夜だというのに昼間よりも明るかった。
整然と並ぶ魔導街灯、ガラス張りの高層建築、そして清潔な舗装道路を行き交う人々。
ガルーダ獣人国の薄暗い石造りの街並みとは比較にならない、光り輝く未来都市。
「すごい……ピカピカしてる……」
ここが噂の『アルニア公爵領』。
キャルルは荷台から飛び降り、キョロキョロと周囲を見回した。
美しい街並みだが、見とれている場合ではない。彼女には目的がある。
「えっと……役所は……誰か偉い人に会わないと……」
彼女は交差点に設置された『デジタルサイネージ(案内板)』を見つけた。
文字は読める。地図には分かりやすく『行政局(City Hall)』と記されていた。
「あっちね!」
キャルルは人混みを縫うように駆け抜けた。
その速さと、珍しい兎耳に人々が振り返るが、誰も彼女を捕まえようとはしない。この街の自由な空気が、彼女の背中を押してくれた。
***
アルニア行政局の窓口。
そこでは、執事のエドガーが、山積みの書類(主にイグニスが破壊した公共物の請求書など)と格闘していた。
「ふぅ……全く、マモル様もイグニス殿も、もう少し予算というものを……」
そこへ、ボロボロの服を着た、しかし凛とした目をした少女が飛び込んできた。
「あ、あの!」
エドガーは眼鏡の位置を直し、冷静に顔を上げた。
「……どうされましたかな? 迷子センターは隣ですが」
小柄な少女だ。親にはぐれたのだろうか。
エドガーがそう判断しようとした時、少女はバン!とカウンターに身を乗り出した。
「わ、私! ガルーダ獣人国から逃げて来ました! 名前はキャルル!」
彼女は首に巻いた人参柄のハンカチをギュッと握りしめ、震える声で、しかしはっきりと告げた。
「あの国にはもう戻りたくない……! 追われているんです! お願いです、私を……ここに亡命させてください!!」
その瞳の切実さと、身に纏うただならぬ闘気。
エドガーの表情から事務的な色が消え、鋭い眼光が光った。
「……亡命、ですか。それは穏やかではありませんな」
エドガーは静かに立ち上がり、ステッキを手に取った。
「詳しい話をお聞かせ願いましょう。……当領地は、助けを求める者に門を閉ざすほど、狭量ではありませんので」
運命に抗った月兎族の少女。
彼女もまた、マモルという「月」の引力に導かれ、この地に辿り着いたのだった。




