EP 15
第一種目・100m走(物理と魔法の祭典)
「さぁー始まりました、第一回アルニア大運動会! 最初の種目は、泣く子も黙る『100m走』でーす! うぃっ」
放送席のルチアナが、しゃっくりを交えながら実況を入れる。
グラウンドに引かれた真新しい白線。スタートラインには、第一レースを走る4名の選手が並んでいた。
白組からは、月兎族のキャルルと、エルフのルナ。
黒組からは、SWATのイグニス。
そして同じく白組から、極貧王女リーザである。
リーザの様子は、明らかに異常だった。
クラウチングスタートの姿勢をとる彼女の目は血走り、口元でブツブツと何かの呪文を唱え続けている。
(……1着は10ポイント。ポイントを稼げば、マモルのお願い券が手に入る……。それはつまり、一生遊んで暮らせる不労所得……アルニアキングのステーキ……ふかふかの羽毛布団……!)
彼女の脳内では、ゴールテープが「一万円札の束」に見えていた。
極限の集中(という名の強欲)が、彼女の筋肉を限界までパンプアップさせる。
スターターピストルを持ったマモルが、横に立った。
元・中学教師としての血が騒ぐ。ピシッと背筋を伸ばし、ピストルを天に掲げた。
「いいかお前ら! トラックをはみ出さないこと! そしてフライングは一発退場だぞ!」
マモルの声に、選手たちが身構える。
スタジアムが水を打ったように静まり返った。
「位置について……!」
ゴクリ。
リーザの喉が鳴る。
「よーい……!」
(ステーキぃぃぃぃぃっ!!)
ダァァァァッシュ!!!
リーザが、弾かれたようにスタートラインを飛び出した。
完璧なフォーム、人魚族のしなやかなバネを生かした、芸術的なまでのロケットスタート。
彼女は風になり、そのままゴールへと――。
ピィィィィィィィィィィッ!!!
マモルが、親の仇のように激しくホイッスルを吹き鳴らした。
「そこまで! リーザ! お前今、ピストル鳴る前に走っただろ!!」
急ブレーキをかけてズザーッと転んだリーザが、振り返って絶叫する。
「ええええええっ!? ウソでしょ!? 私、風の音と同化してスタートしたはずよ!?」
「完全に俺が『よーい』って言った瞬間に飛び出してたぞ! フライングだ! ルール通り一発退場! グラウンドの隅で正座してろ!」
「いやぁぁぁぁっ! 私の年金! 私のステーキがぁぁぁ!!」
リーザは頭を抱え、トラックの砂に突っ伏した。
欲望が強すぎた故の、痛恨の自滅である。
「……たく。仕切り直しだ。次フライングしたら即失格だからな」
マモルがため息をつき、残る3人でレースを再開させる。
砂を噛んで泣いているリーザ(ジャリッ……ジャリッ……と本当に砂を噛んでいる)を尻目に、再び緊張が走る。
「位置について。よーい……」
パァン!!
乾いた破裂音が響いた瞬間。
アルニア・ドームのグラウンドで、物理法則が崩壊した。
ドゴォォォォォォォン!!!
「おわっ!?」
凄まじい爆発音と共に、スタート地点の地面がクレーターのように吹き飛んだ。
月兎族であるキャルルの脚力。それは『100mを5秒』で駆け抜けるという、生物学を無視したパワーだ。
「もらったわぁぁぁ!」
キャルルは完全に音速を超え、衝撃波を引き連れてトラックを爆走する。
しかし、黒組のイグニスも黙ってはいない。
彼は足元に装備したSWAT用特殊重機動靴――『マグナ・ブーツ』のスイッチを入れた。
「SWATの意地、見せてやるっす!! ブースト・オン!!」
ゴォォォォォォッ!!
イグニスの足裏から、青白いプラズマ炎が噴出。
彼は「走る」という行為を完全に放棄し、アイアンマンのように地上2メートルの高さを猛スピードで飛行し始めた。
「飛ぶな!! 徒競走だぞお前!!」
マモルのツッコミが響くが、飛行音にかき消される。
音速のウサギ(キャルル)と、空飛ぶ竜人のデッドヒート。
勝負は一瞬で決まるかと思われた。
だが。
ふんわりとスタートラインに取り残されていたルナが、ニコリと微笑んで杖を振った。
「あらあら、お二人とも元気ですこと。でも、ゴールはもう目の前ですわよ?」
「――『空間湾曲』」
ルナの目の前の空間が、ぐにゃりと歪む。
彼女が一歩、その歪みの中に足を踏み入れた瞬間。
100m先のゴールテープの真横に、再び歪みが現れ、そこからルナが「よいしょ」と出てきたのだ。
「一番乗りですわ~♡」
ルナがふんわりとゴールテープを切る。
その直後、キャルルとイグニスが猛烈な暴風と共に突っ込んできたが、すでに勝負は決していた。
「なっ……!? 空間転移だとぉ!?」
イグニスが着地して愕然とする。
「ちょっとルナ! あんた全く走ってないじゃない!」
キャルルが猛抗議する。
「え? でもマモル様、『トラックをはみ出さないこと』とは仰いましたが、『空間をねじ曲げてはいけない』とは仰っていませんでしたわよ?」
天然の笑顔で、極悪な屁理屈をこねる次期エルフ女王。
グラウンドが静まり返る中。
マモルは無言で歩み寄り、ピッ、と短くホイッスルを吹いた。
「キャルル、グラウンドを破壊したので失格! イグニス、飛んだから失格! ルナ、空間を曲げるな失格!!」
「「「ええええええええっ!?」」」
「お前ら、中学の体育からやり直せバカヤロー!!」
元・合気道部顧問の雷が落ちる。
かくして、記念すべき第一種目『100m走』は、全員失格、グラウンド半壊という、最悪の滑り出しを見せた。
放送席のルチアナが「あーあ、怒られちゃったー。かんぱーい」と酒を煽り、救護テントではエドガーが胃薬をオーバードーズしている。
そしてグラウンドの隅では、最初の犠牲者であるリーザが、「砂って……意外とミネラル豊富なのね……」と虚ろな目で呟きながら、物理的に砂を噛み続けていた。
大運動会は、まだ始まったばかりである。




