EP 54
歩く天災、アルニア領に墜落す
世界樹の巫女にして、ハイエルフの次期女王候補。
ルナ・シンフォニアは、空を飛びながら首を傾げていた。
「おかしいですね……。王都へ向かって『北』に飛んでいたはずなのですが」
彼女の眼下に広がっていたのは、中世ファンタジー風の王都の街並みではなかった。
綺麗に舗装されたアスファルトの道路。
規則正しく並ぶ街灯。
そして、夜空を焦がすほどのネオンサインと、巨大なガラス張りの建築群。
そこは、元勇者カトウ・マモルが趣味と実益(とドワーフ達の暴走)によって作り上げた異端の地、アルニア公爵領である。
「す、凄い……! ここが古代魔法文明の遺跡でしょうか?幻の都に違いありません!」
ルナは目を輝かせ、高度を下げた。
彼女には致命的な欠点があった。
一つは、壊滅的な方向音痴であること。北に向かっていたつもりが、なぜか真逆の南にあるアルニア領に到着しているのが良い証拠だ。
そしてもう一つは――。
「わぁ、地面が黒くて平らです! ツルツルしていて素敵!」
ルナはアスファルトの道路に降り立った。
新品のパンプスが、路面に着地する。
その時だった。
「あっ」
路肩に落ちていた、ほんの小さな小石。
それに、つまづいた。
ただの「転倒」ではない。
ルナ・シンフォニアという存在にとって、肉体的な衝撃や精神的な動揺は、世界への「干渉」に直結する。
彼女が「痛い!」と思って涙を流せば、その感情に呼応して世界樹の魔力が暴走し、都市一つが森に飲み込まれる。それが『歩く天災』と呼ばれる所以だった。
(いけません! 転んで膝を擦りむいたら……反射的に『自己防衛魔術(国消滅クラス)』が発動してしまいます!)
ルナの体が斜めに傾く。
地面が迫る。
恐怖でルナの魔力が膨れ上がった。
ゴゴゴゴゴゴ……!
アスファルトが振動し、街路樹が一瞬で巨木へと成長を始める。
大気中のマナが渦を巻き、紫色の稲妻がバチバチと音を立てた。
アルニア領の防衛システム『マグナ・キャノン』が一斉に砲塔を向け、緊急サイレンが鳴り響く。
――あぁ、またやってしまいました。ごめんなさい、幻の都トーキョー。
ルナがギュッと目を瞑り、都市の崩壊を予感した、その刹那。
「――っと、危ねぇ!」
ヒュンッ!
風が吹いた。
いや、風よりも速い「何か」が駆け抜けた。
ルナの体が、ふわりと抱き留められる。
衝撃はゼロ。
まるで綿毛に着地したかのような優しさだった。
「……え?」
ルナが恐る恐る目を開ける。
暴走しかけていた魔力は、危機が去ったことで霧散し、街路樹も元のサイズに戻っていた。
目の前には、白い長い耳を持つ、スポーティな格好の少女がいた。
パステルカラーのパーカーに、デニムのショートパンツ。
左手には『スーパー・マモルマート』のロゴが入ったレジ袋(ネギと大根がはみ出している)。
そして足元には、無骨で頑丈そうな――鉄芯入りの安全靴。
月兎族のキャルルだった。
「ふぅ……セーフ。卵パック、割れてないな。よしよし」
キャルルはルナを抱えたまま、器用にレジ袋の中身を確認して安堵の息を吐いた。
彼女は夕飯の買い物帰りだった。
獣人特有の超感覚で「ヤバい魔力の高まり」を察知し、瞬時に『月影流』の歩法で駆けつけたのだ。
「あの……貴女は?」
ルナが呆然と尋ねる。
キャルルはニカッと爽やかに笑い、親指で自分の鼻をこすった。
「ん? 通りすがりの一般市民だよ。この辺は道が硬いからさ、コケると痛いよー? 気をつけてね、お姉さん」
一般市民。
国を滅ぼしかけた魔力の暴走渦中に、卵を割らずに音速で割り込んでくる一般市民がどこにいるのか。
しかし、世間知らずのルナには、その異常さが分からなかった。ただ一つ、分かったことは。
(かっこいい……!)
危機を救ってくれた、白兎の騎士。
ルナの瞳孔が開き、ハートマークが浮かぶ。
「あ、あの! 助けていただき、ありがとうございます! わたくし、ルナ・シンフォニアと申します!」
「おー、丁寧だね。私はキャルル。キャルルでいいよ」
「では、キャルルお姉様とお呼びしても!?」
「は? お姉様?」
キャルルは片耳をピクリと動かし、ルナをまじまじと見た。どう見ても同年代、いや、発育(特定の部位)に関してはルナの方が上である。
「いや、私らタメ……同い年くらいでしょ。敬語もなしでいいって」
「いいえ! 貴女は私の命の恩人です! この御恩は、一生をかけてお返しします! とりあえず、どこまでお供すればよろしいでしょうか!」
「えぇ……重いなぁ……」
キャルルは困ったように眉を下げたが、ルナの瞳があまりにも純真無垢で、捨てられた子犬のように潤んでいるのを見て、大きなため息をついた。
「はぁ。まあいいや。とりあえず腹減ってない? 私、これからダチと飯食う約束あるんだけど」
「お供します! 地の果てまでも!」
「いや、そこまで遠くない。『アルニアキング』に行くだけだから」
こうして。
方向音痴の天災エルフと、安全靴の月兎族。
運命(と書いてトラブルと読む)の出会いは、ファミレスのドリンクバーへと続いていくのだった。




