EP 48
『天使の暗黒物質と、旦那様の悲劇』
チュンチュン……。
小鳥のさえずりが聞こえる爽やかな朝。……のはずだった。
「……ん?」
ベッドで目を覚ましたマモルは、異変を感じて跳ね起きた。
鼻をつく強烈な異臭。
硫黄と、焦げたゴムと、腐った魚を煮詰めて、さらに聖水をかけたような、形容しがたい臭気が部屋に充満していたのだ。
「な、何だ? この匂いは!? 敵襲か!?」
マモルは慌てて部屋を飛び出した。
廊下は既に白い煙で視界が遮られている。火災報知器(魔導式)が鳴る寸前だ。
「ゲホッ、ゲホッ! 火元は……台所か!」
マモルはタオルで口を覆い、煙の源泉であるキッチンへと突入した。
「おい! 大丈夫か!」
そこにいたのは、フリフリのエプロン(マモルマート製)を身に着け、フライパンを振るうヴァルキュリアだった。
彼女は鼻歌交じりに、フライパンの中にある「漆黒の塊」を炒め続けている。
「あら、おはようございます。旦那様♡」
ヴァルキュリアが振り返り、聖母のような笑顔を向けた。
背景は黒煙だが、彼女だけはキラキラと輝いている。
「だ、旦那様って? ……い、いや、今はそれより! そのフライパンの中の塊は何なの!?」
マモルは指差した。
それは料理ではない。あきらかに「呪物」だった。
ドロドロとした紫色の汁を出しながら、表面は炭化し、時折ピクピクと動いている。
「これですか? 『天上の聖葉の茎』と、『セイレーンの肉』を炒めているのです」
ヴァルキュリアは誇らしげに説明した。
「天上の聖葉は、葉っぱよりも茎の方が繊維質で栄養があるのです(※ただし硬すぎてドラゴンも食べない)。そしてセイレーンの肉は、美容と不老長寿に効果抜群(※ただし猛毒があり、適切な処理が必要)ですのよ」
「そ、そうなんだ……(素材がヤバすぎる……)」
「滋養強壮、栄養は完璧です。さぁ、朝食にしましょう!」
ヴァルキュリアが皿に「それ」を盛り付ける。
皿の上で、黒い塊が「ギギ……」と鳴いた気がした。
「……ッ!」
マモルは本能的な死の危険を感じ、助けを求めて振り返った。
「デュ、デュラス!? おいデュラス! お前なら鑑定スキルでこれが何か分かるだろ!」
しかし、リビングの入り口に立っていたはずのデュラスの姿は、忽然と消えていた。
窓が開いている。
カーテンが揺れている。
「な、何だこの悪臭は!?」と言いかけた直後、彼は音もなく窓から飛び降り、脱兎のごとく逃走したのだ。
「に、逃げやがったな!? あの競馬野郎!! 自分の危機察知能力だけはSランクかよ!」
マモルは叫んだ。
さらに周囲を見渡すが、エルミナもフィリアも影も形もない。
彼女たちは女性の勘で「今朝はヤバイ」と察知し、早朝からマモルマートへ避難していたのだ。
「み、皆いねぇ……! 俺を見捨てたな!」
孤立無援。
目の前には、満面の笑みでフォークを差し出す最強の天使。
「どうされたのですか? 旦那様。……あぁ、もしかして『あーん』をご所望で?」
「い、いや、自分で……」
「遠慮なさらないで。さぁ、口を開けてください。……あ~ん♡」
ヴァルキュリアの背後に、黄金の翼(威圧)が見える。
拒否権はない。
マモルは涙目で口を開けた。
「むぐっ……」
口に入れた瞬間、舌の上で爆発が起きた。
苦味、えぐ味、そしてセイレーンの怨念のような生臭さ。
茎の繊維はワイヤーのように硬く、噛み切るたびに歯が悲鳴を上げる。
「……(意識が……遠のく……)」
「どうですか? 美味しいですか?」
「う……う゛ま、い……で、ふ……」
「まぁ! 良かったですわ! おかわりも沢山ありますからね!」
その日。
マモルは原因不明の激しい腹痛と、謎の幻覚(川の向こうで先祖が手を振る)に一日中悩まされた。
トイレに引きこもるマモルの背中をさすりながら、ヴァルキュリアは言った。
「あらあら、好転反応ですわね。悪いものが出ている証拠ですわ!」
(悪いのは……この料理だ……!)
マモルは便器を抱きしめながら、逃げたデュラスたちへの復讐を固く誓うのだった。




