EP 47
『女神の帰還と、最強の退職届』
天空に浮かぶ、白亜の神殿。
そこは世界を管理する神々が住まう場所であり、その頂点に君臨するのが女神ルチアナである。
「あ~あ、エステ気持ちよかったぁ~♡ やっぱり『天界スパ・リゾート』の泥パックは最高ね」
ルチアナは鼻歌交じりに、大神殿の扉を開けた。
美しいドレスをなびかせ、慣れ親しんだ玉座へとドカッと座り込む。
「ふぅ。さてと……喉渇いたわね」
ルチアナは長い足を組み、当然のように右腕の名を呼んだ。
「ヴァルキュリア~? 冷えた神酒と、おつまみのチーズ持ってきて~」
シーン……。
返事がない。いつもなら、呼ぶ前に気配を察知してトレーを持って立っているはずなのに。
「ヴァルキュリア? ……ねぇ、ヴァルキュリアは何処に行ったの? 居ないじゃん」
ルチアナが不満げに声を上げると、柱の陰から一人の下級天使がおずおずと現れた。その顔は青ざめ、震えている。
「あ、あの……ル、ルチアナ様……」
「何よ? ヴァルキュリアは? トイレ?」
「そ、その……ヴァルキュリア様は……」
下級天使は意を決して、一枚の封筒をルチアナに差し出した。
表書きには達筆な文字で『退職願』と書かれている。
「……はい?」
「ヴァルキュリア様は……昨日付で、アルニア公爵マモル様の下へ『花嫁修業』に行かれました」
時が止まった。
「……………………は?」
ルチアナの脳内で言葉がリフレインする。マモル。花嫁修業。退職。
「な、何ですってぇぇぇぇッ!!??」
ルチアナの絶叫が神殿を揺らした。
「さ、最強の天使ヴァルキュリアが花嫁修業!? 退職ぅ!? 嘘でしょ!? あの子、仕事と盆栽しか興味ない堅物よ!?」
「じ、事実です! ヴァルキュリア様は『私、女の幸せを見つけました。後はよろしく(意訳)』と言い残し、荷物をまとめて……」
「私の右腕が……! よりにもよってマモルちゃんと!?」
ルチアナは玉座から転げ落ちそうになった。
マモルと言えば、彼女も目をつけている(主に貢がせ用として)地上の特異点だ。
「私の知らないうちに何があったのよ!? あの子、マモルちゃんとは面識なかったはずでしょ!?」
「何でも昨晩……地上での『合コン』に行かれ、意気投合し……そのまま『お持ち帰り』になられたとか」
「マモルちゃんんんんッ!!!」
ルチアナはハンカチを噛み締めた。
「何してんのよあの勇者! 私の大事な働きアリを……いや、右腕を一本釣りですって!? 合コン!? 私も誘いなさいよ!!」
ルチアナが地団駄を踏んでいると、下級天使が深刻な顔で一歩踏み出した。
「ルチアナ様。嘆いている場合ではありません」
「へ?」
下級天使が指を鳴らすと、控えていた他の天使たちが、台車に載せた「書類の山」をゴロゴロと運んできた。その高さは天井に届くほどだ。
「これは……何?」
「今朝までの決裁書類です。今まではヴァルキュリア様が全て処理していましたが……彼女が不在の今、神界の業務が完全に停止しております」
下級天使たちの目が、捕食者のようにギラついた。
「ルチアナ様。今日の仕事をお願いします。これを処理しないと、太陽が昇りませんし、雨も降りません」
「い、嫌よ……」
ルチアナは後ずさりした。
あの書類の山は、彼女にとって地獄の釜より恐ろしいものだ。
「めんどくさい! 判子押すだけで腱鞘炎になるわ! 私は女神よ!? 崇められるのが仕事よ!?」
「いいえ、管理職です。さぁ、ペンをお持ちください」
「嫌だあああ! 酒飲みたいい! コタツに入ってスルメかじりたいいい!」
ルチアナはドレスの裾をまくり上げ、脱兎のごとく玉座から逃げ出した。
「あ! 逃がすな! 捕まえろ!」
「総員、確保ーッ!!」
下級天使たちが一斉に襲いかかる。
「離して! 私は女神よ! 不敬よ!」
「神界の危機です! 働いてください!」
「ヴァルキュリア~! 戻ってきてぇぇ! マモルちゃぁぁん!」
「ハハッ! 確保!」
ドサッ。
数人の天使にタックルされ、ルチアナは御用となった。
「うぅ……マモルちゃんのバカぁ……私の平和なニート生活を返してぇ……」
神殿の奥へ引きずられていく女神の悲鳴。
ヴァルキュリアという重石を失った神界は、こうして未曾有の「行政パニック」へと突入したのである。




