彼女の名はアメリア
「この子が……?ふぅん……」
白銀の髪を巻き、黒薔薇のブローチをつけた美しい少女が、フラウの籠を覗き込んだ。
その目は冷たく、まるで骨董品を値踏みするようだった。
「気に入ったわ。買うわ今すぐ」
ヴァレリアが微笑む。
「さすが目が早いね、アメリアお嬢様。噂通りのお眼鏡だ」
アメリアはちらりとフラウを見た後、こともなげに言った。
「壊れたら捨てるけど、それでも構わない?」
「もちろん。買われた子に選択肢なんてないよ」
けれど。
実際にフラウを屋敷へ連れて帰ったアメリアは、初めて彼女と二人きりになるなり、まるで別人のような声で囁いた。
「……ねえ、あなた。私が今までどんなふうに奴隷を扱ってきたか、知らないわよね」
フラウは首を横に振った。
「私、飽きっぽくてね、いらない子はすぐに壊して捨てちゃうの」
「お喋りが苦手な子は、特に早く飽きるの」
「でも……」
アメリアはそっとフラウの頬に触れた。
その手つきはまるで貴重品に触れるかのように繊細で。
「あなたが壊れたら、もしかしたら私、泣くかもしれないわ」
その様子を、フラウは不思議そうに眺めていた。
こうして、かつて奴隷だった少女は、令嬢の“私設メイド”となった。
フラウがアメリア・アルゼンタの屋敷に来て一週間。
館には元々十数人のメイド――いずれも元奴隷の少女たちが存在していたのだが。
その誰もが、フラウを“奇異の目”で見ていた。
「あのお嬢様の傍付きで、まだ怪我もしてないなんて」
「一度も怒鳴られてないらしいわよ」
「魅了の魔術でも使ったの?」
アメリアは“悪癖”を持っている。
機嫌を損ねれば、即座に怒号と炎が飛ぶ。
下手をすれば、跡が残る火傷も珍しくなかった。
けれど、その“紅の魔女”が――あのアメリア様が、あの子には手を上げない。
それどころか。
「フラウ、こっちに来て」
「髪を梳いて、今日は銀細工の櫛を使わせてあげるわ」
まるで宝物のように扱っているのだ。
静かに、穏やかに、目を細めて微笑みかける。
その様子を見るたびに、使用人たちの間に奇妙な緊張が走る。
「いつか爆発するんじゃないだろうか」
ある日のことだった。
小柄なメイドの一人――シルカが、アメリアのお茶請けの皿を落としてしまった。
甲高い陶器の砕ける音に、室内の空気が凍りついた。
「……あら」
アメリアが振り返る。紅のドレスを揺らしながら、ゆっくりと立ち上がった。
その声は、柔らかい。
しかしメイドたちは誰もが知っていた。
それは嵐の直前の静けさだ。
「ねえ、シルカ、あなた、私の所持物を壊したの?」
シルカは震えながら膝をつき、額を床に擦り付けた。
「も、申し訳……ありません……!」
アメリアはゆっくりと手をかざす。
爪先から浮かび上がる、燃え上がる深紅の炎。
「フラウ、見ていてね」
「これが、私の力よ」
その声は、どこか甘えるように響いていた。
「これで驚いてくれる?」「褒めてくれる?」そんな心情すら透けて見えるようだった。
炎がシリカに向かうと同時に。
フラウは、走った。
「――えっ……!?」
咄嗟にシルカの前に飛び込み、その小さな背で炎を受け止める。
空気が焦げる。肉の焼ける匂いが、部屋を満たす。
「フ、ラウ……!?」
アメリアが顔色を変える。床に倒れたフラウの背は、赤くただれていた。
息はある。けれど、その身は小さく震えている。
「ど、どうして……庇うなんて……っ!」
アメリアは混乱していた。
「見てほしかった」だけだったのだ。
恐ろしいほどの力を。
自分の特別さを。
けれど、そんな彼女の感情は、少女の優しさによって鮮烈に否定された。
そのときだった。
フラウの背から、光が漏れた。
優しく、淡い金色の粒子が舞い、傷跡を覆い。
みるみるうちに焼け爛れた皮膚が再生していく。
「……な、に……これ……?」
シルカが震える声で呟く。
アメリアも、目を見開いている。
フラウは、苦しげに息を吐きながら、それでも微笑んだ。
“だいじょうぶだよ”とでも言うように。
誰も知らなかった。
この瞬間、彼女が「人類で最も優しき者」として世界から認められ。
「再生の祝福」を得たことを。
かつて神々が、最も清らかな人間に与えた力。
世界を構築するシステムとして残された力。
「他者のために自らを犠牲にした人間」だけが手にする、癒しの光。
だがフラウ自身は、何も理解していなかった。
なぜ傷が癒えたのかも、なぜ皆が驚いているのかも。
ただひとつ。
「誰かが泣くくらいなら、わたしが痛いほうがいい」
その想いだけが、彼女の中にあった。