彼女は伏して策を練る
A級教室の片隅で、シリカは静かに手を動かしていた。
罠の魔力導管を整え、起動符を研磨し、落とし戸の動作チェックを繰り返す。
その姿は、まるで訓練されたメイドのようだった。
A級クラスの中で、シリカの名を恐れる者はいない。
戦闘評価、B。魔力適性、C。制御技能、B−。
A級としては凡庸な数値。
特筆すべき力も記録されていない。
少なくとも、血を吸わぬ今の彼女にはその程度の能力しかなかった。
だがそれは、フラウの血を得れば話は変わる。
あの夜、たった一滴の血を舐めただけで完全覚醒した彼女は、
天井を砕き、風を裂き、アメリアの支配をも脅かすほどの魔力を放った。
だがその効果も今や、完全に尽きていた。
「……それが何か問題でしょうか?」
小さくつぶやいたその声は、笑っていた。
(今はこの程度。だからどうした)
(私は、喉を潤す日を待っているだけ)
(フラウ様の血を、再びこの喉に流し込む、その日を)
誰が気づくだろう。
今は床を這うように従順な彼女が、最も執着深くフラウを狙っていることに。
彼女の現在の立ち位置は、ダンジョン実働班の戦闘眷属。
構築チームではない。命じられた通り動き、掃除をし、罠を磨く者。
扱いは下っ端。呼び名すら雑兵。
だが、主要メンバーの一部はその丁寧な働きぶりに注目し始めていた。
「はーい、了解です。床、滑りやすいと怪我しますからね」
「罠の起動ルーン、ちょっと調整します。焦げ臭いと美しくないですし」
控えめな笑顔。
無駄のない動作。
柔らかい物腰。
メイドとして徹した彼女は、少しずつ、主要メンバーたちの評価を得ていた。
「あの子、地味だけど仕事が丁寧よね」
「意外と気が利く。まあ、下っ端には便利じゃない?」
彼女はすべてを黙って受け入れた。
反論もしない。
怒りも見せない。
ただ、じっと機を待つ。
何時もやってきたことだ。
自分の本心を隠して仕えることなど、容易いことだ。
(侮られていい。笑われてもいい)
(……いいえ、むしろ都合がいい)
自分が「ただのメイド」だと信じてくれる者たちが。
いつか「彼女の本性」を知ったときの顔が、きっと、とても楽しみだから。
(いずれ、フラウ様を取り戻すために、すべて利用させてもらいます)