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彼女はお風呂が大好き

アメリアは眠っていた。


魔術による分身の維持、それを3体も展開し続けた代償は大きい。

ベッドの上で小さく息を立てる彼女の横顔を確認し、シリカは静かに一礼するとフラウに話しかける。

その手には、着替えが丁寧にたたまれていた。


「……湯あみに、参りましょうか。フラウ様」


額に汗をにじませ、無垢なままアメリアの腕に抱かれていたフラウが、顔を上げる。

すこしだけ困ったように、でもどこか安心したように、こくりと頷いた。




湯気が白く煙る浴室。

煌びやかな魔石の灯りに照らされて、湯面がかすかに光る。


シリカは、泡をたっぷり含ませた布を手に取った。


「……お背中を、お流しいたしますね」


フラウは静かにうなずき、湯の中で膝を抱えて身を縮める。

指先が背筋に触れた瞬間――フラウが小さく震えた。


「……くすぐったい、ですか?」


返事はない。

ただ、ほんのりと耳を赤くして、ぐったりと体重を預けてきてくれている。


(愛しい。愛しい。愛しい……)


(この肌も、この香りも、このぬくもりも……私だけのものだったら、どれだけ幸せだろう)


シリカの指が、泡の下でゆっくりと滑っていく。

肩甲骨、背筋、腰の窪み。

泡の膜越しに感じる弾力と熱。


フラウが身をよじろうとするたび、シリカの両腕が静かに彼女を制する。


「……我慢、してくださいね。メイドの務めですから」


その声は丁寧で、微笑さえ含んでいた。

けれど、その奥には渇いた熱があった。

泡立てた指が、脇腹を撫でる。フラウが声なき笑いを漏らし、ひくひくと肩をすぼめる。


「動かないでください……もう少しだけ……」


指先は鎖骨に沿って滑り、胸の輪郭を慎重に、けれどじっくりとなぞっていく。

泡がはらりと滑り落ち、滑らかな白があらわになる。


(やわらかい……あたたかい……) 


――血だ。

――この熱は、赤に満ちている。

――この奥に、まだ誰も味わったことのない“人間の血”が流れている。


唇がわずかに開き、舌がふと牙を撫でる。

頭の中の何かが警鐘を鳴らす。

だがそれは、遠く、霞の向こうで鳴る鐘の音のようだった。


(この喉の渇きは、どれほどの時を経ても、消えなかった……)


魔族の血では満たされない。

代用品では足りない。

ただ一滴、この喉に落としたい――この、無垢な少女の血を。


フラウは無防備に背中を預けている。

うなじが濡れ、白く艶めいている。


(ああ……なんて、罪深い香り……)


このまま、そっと首筋に唇を寄せれば。

泡にまぎれ、くすぐるように牙を立てれば。

きっと彼女は声すら出さずに、許してしまう。


その瞬間だった。

風が、切り裂かれた。


「そこまでにしときなよ、メイドさん」


湯気の向こうから、艶めくドレスと、蜘蛛脚が滑り込む。


「エルザミナ……ッ!」


動じるシリカをよそに、エルザミナは風のような動きでフラウを抱き上げ天井に張り付く。


「やあ、キミの声が遠くからでも聞こえてね、我慢できなくなっちゃってさ」


「連れてくよ、いいでしょ?」


フラウは驚いたようにきょとんとするばかり。

落ちないようにエルザミナの脚にしがみつくのに必死だ。


「……待ちなさい」


立ち上がったシリカが制止する。

だが、エルザミナは振り向きもせず、フラウを抱えたまま窓を開け、闇に溶けていった。


残された湯の音だけが、なおも熱を帯びていた。


シリカはその湯の中で、ひとり静かに立ち尽くす。

泡の抜けた掌に残った感触を、指先で何度もなぞりながら。


(……奪われた、あの方の温もりを……)


それと同時に不思議に思う。

なぜあの瞬間、自分の欲望を満たさなかったのか。

魔に属する者であるならば、それは当然のことだ。

何故、躊躇したのか。


本人は気づくはずもなかったが。

彼女もまた、魔の勢力としては「堕落」し始めていた。


シリカは、自分の中に眠る古き力を引き出す。

僅かに残った魔力は数回分の"権利"の使用を可能にしてくれるはずだ。


フラウを奪い返さなくてはならない。

そう決意し、歩みを進める。

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