彼女の名はフラウ
大地は焦げ、空は砕け、海は腐った。
かつて“人類”と呼ばれた種族がこの世から姿を消してから、すでに数百年が経とうとしている。
魔王が勇者を屠ったその日から、世界の主は変わったのだ。
牙を持つ者が頂点に立ち、鱗や羽根を誇る者が次に続いた。
弱き者たちは這いずり、蹂躙され、奪われるだけの存在へと成り下がった。
そんな世界の片隅。
かつて「王都」と呼ばれていた廃墟の影で、少女は拾われた。
年のころは七つか八つ。
肌は透き通るように白く、手足は細い。
だが、何より目を引くのはその顔立ちだった。
「ふぅん……あんた、喋れないのかい」
魔族の女は、少女の顔をじっと覗き込む。
金の瞳は鋭く、けれどどこか楽しげに揺れていた。
「羽も角もない、爪も牙もなし……まるで古い言い伝えに聞く“人間”みたいじゃないのさ」
「ま、生き残ってるはずないけどね。あいつらはとっくに滅んだんだから」
女の名はヴァレリア。
女奴隷専門の奴隷商であり、無数の娘たちの“売り先”を見繕ってきた業界の古株だ。
少女は小さく首を振る。
何が違うのか、あるいはただ否定の仕草なのか、それは分からない。
ただ一つだけ確かなのは、彼女の身振り手振りが――どこまでも、愛らしかった。
「……なるほど。喋れないけど媚びない」
「だけど嫌われるような態度もとらない」
「不思議な子だね」
ヴァレリアは小さく笑い、彼女の頭を撫でる。
「いいよ、拾ってあげる」
「そうさね……“フラウ”って名前にしよう」
「あんたは今日から、あたしの商品さ」
「どこかいい買い手がつけば、それで御の字ってわけ」
それから三日後。
フラウは、小奇麗な籠に入れられ、高級馬車に乗せられていた。
行き先は、魔都の北端にある貴族街。
そこに住まうのは、名門〈アルゼンタ家〉の一人娘。
魔王候補とも名高い令嬢。
――アメリア・アルゼンタ。