勇者の一分 中
勇者の一分 中
廣士と弓美は、数分の間、ベッドの上に座り、顔を見合わせてだんまりした。もし、彼らの勘が正しければ、これは何か意図的に示された、寓意的な同調だ。彼らは、この先会話を続けることを、恐ろしいことのように思った。
しかし、動き出した流れは、彼らの力によって押し止めることはできなかった。それどころか、彼ら自身、更なる潮流の加速を求めているらしかった。
まずは、廣士から、ついぞ見た夢を話した。
自分が鳥となり、またその姿を見守る視点となって、混沌として暗い世界を飛び続けていたこと。その内、世界と自分とその意志が一つに融合して、大きて渦旋した流れとなったこと。
やがて、それは砂の構造物になり、間もなく崩れ落ちたことを、廣士は、まさに現実に起こったことのように思い出し、そのストーリーの現実性の無さに多少の心酔を覚えながら、弓美に聞かせた。
その間、弓美の顔は、話が結末に近付く度に不安の度合いを増して、結末を知ると、何かのとりこにされたかのように、クラクラと眼球を動かしていた。
どうやら、彼女の視界には、現実の世界の光ではなく、向こう側の、夢の世界のぼやけた光が、現実・非現実の境を通り越して、映り込んでいるようだった。彼女は少しの間、口を聞こうとはしなかったが、気持ちの整理がついたように一つ溜息を吐くと、妙に無感情な口ぶりで話し始めた。
「私の見た夢は、多分廣士が見たのと同じだと思う。確かにその夢で、私は大きな鳥になって、空を飛んでたの。でも、それは自分の意志じゃなくて、ん、と、何か、抗いがたいような大きなものによって。
目も動かすことはできなかったけど、その間ずっと見えてたのは、暗くて陰鬱な世界。多分、陰鬱って言葉はあんな感じのことを言うんだと思う。本当に寂しい世界だった。
最初、そこにいるのは自分だけだと思ってたんだけど、その内に、誰かに見られてるって感じがしたの。それも、ものすごく離れた所から。目があった訳じゃないんだけれど、確かに誰かの目の動きや、瞬きする動きが感じられて、それで私、誰? って訊こうとしたんだけど、口は動かないし、心の中でしか声は響かなかったの。
だから、何も答えは返ってこなかった」
弓美は、そこまで話すと、区切りをつけるように息を吐き、勢いよくベッドに横になった。ぬるま湯の海に潜った時のような、柔らかで無感情な抱擁と、微かな反発が、彼女の過敏になった神経をほぐした。
「もしかしたら、もし、俺らが見ていた夢が、互いにシンクロして、夢の中で同じ世界に意識が存在していたとしたら、弓美を見ていた視線というのは俺の視線かもしんねぇな」
と、廣士は、頭に浮かんだ直感的な考えを言葉にした。もし、弓美が見た夢が、自分の見た夢と繋がっていたならば、その夢のなかで、自分の意識の本体があったのは、その夢の中で意識の在りかだと考えていた、鳥の姿をした何かの中ではなく、それを見守っていた何かの中にあったことになる。
そして、夢では、一つの鳥の姿をしたものの中には自分と弓美の意識が同時に介在し、また、それを監視するように、もう一つの自分の意識があったことになる。そして、自分の夢と弓美の夢で異なる点は、弓美は、自らを監視するもう一つの意識を、夢の中で持っていなかったという点だ。
この寓意現象は、どういった意味を持っているのだろうか。彼らはそれぞれ、目を開いたまま、遠くの壁を見つめたまま考えた。弓美は、同時に、廣士が言った、「俺らが」という言葉についても、深く考えた。
「そうかもしれない。……そうじゃないかもしれない。でも、本当にその通りだとしたら、何だか怖い」
「どうして?」
「だって、絶対にそうゆうのって偶然だとは思えないでしょ。きっとこれから、途方もないことが起こるんじゃないかって」
弓美の予感に対して、廣士は、意外だと言いたげに、首をひねった。彼には、これとは全く違った感情が起こっていた。
「でも、それは、今のところただの予感だろう。予感は必ずしも当たるものじゃねぇし、今から怖がってたってしょうがねぇだろ。それに、これがもし何かの起こる予兆だって言うなら、その“何か”こそ、俺らが求めてたことじゃねぇか?」
彼をとりこにしていたのは、予感に対する希望と武者震いだった。
――――――ようやくこの世界は、三ヶ月間の充電期間を終え、再び熱を取り戻そうとしている!
少なくても彼の心の中では、凝り固まった感情を解かすような炎が起ちあがっていた。
そうした廣士の様子を見て、弓美は、自身の安寧を諦めて、夢の続きを話した。
「そこから後は、もう、廣士のみた夢とほとんど同じ。
まず、どんどん左右の視界が狭くなって、気付いたら、自分の体も小さく押し込められてて、その内、自分の中にいろんなものがとけ込んでいくような感覚がして……自分が周りにとけ込んでいくって言った方があってるのかな? どっちでも同じかな。
そしたら、私の体は加速していって、一点からの力を感じて、グルグル渦巻きながら下へ落ちていくの。不思議な気分だった。砂浜で巻き貝の中を見ていたら、そのままその渦に吸い込まれちゃいそうになるような感じ。
多分、廣士が見た渦っていうのは、私と、世界がいっしょになって、細長く渦巻いていたものだと思うの」
ここまでを聞くと、廣士は既に確信を持っていた。やはり、自分と弓美の夢は、繋がって、互いに絡み合いながら、同じ世界の中に被験者を存在させていた。
恐らくこれは何かの前触れだろうと、廣士の心は浮き足だった。これでようやく、不安定で退屈した生活からおさらばできる、何かしらの冒険が始まる、と、胸は無限にときめいた。そしてまた、弓美と、このような特殊な形で交わりあい、同じ空間に何かを共有できたことに、一種の歓喜を覚えた。
だが、弓美の夢はこれでは終わらなかった。二人の間では、共有されることの無かった世界が、彼女の夢だけに存在した。そしてこれこそが、この異床同夢の本筋だった。
弓美は、だるそうに起き上がり、ベッドの上で上下に体を揺する廣士を制して、回想を続けた。
「……ここから、廣士のとは違ったことが起こるの。
世界と融合した自分の体が、どんどん下の方へ引きずられていく途中で、全部がキメの細かい砂になっていくのは、なんとなく、感覚で分かったの。でも、どっちにしたって、私たちはまだ流れてた。
その頃になると、溶け出してた自分の意識が、粉々に分かれていく内に、一つ一つが独立した意識を持つようになってて、そうなると、本当の自分の意識があるところ……核、みたいな感じのところに、全部の意識が受け取った刺激が入り込んでくるの。
これもとっても不思議な感じ。切断マジックで、実際にはどこも切られてないのに、体に風穴が空いたようになって、それでも、切断された向こう側とこっち側、両方の感覚はいつも通り伝わってくるみたいな感じかなあ?
でも、あの感覚は錯覚なんかじゃなくて、本当に自分の手や足や首がばらばらに分けられたような感じだった。
それでね、その節々から送られてくる刺激は、最初は、私に……私の核にとって、ただの雑音でしかなかったのに、慣れてくると、その雑音が、いくつかの意味がある言葉のまとまりのように思えてきたの。もっと感覚を研ぎ澄ましていたら、今度ははっきりそれが聞こえた」
「何て聞こえたんだ?」
廣士は、身を乗り出して弓美の答えを待った。
「…………」
弓美は、時折彼の異常な好奇心と無神経に嫌悪を感じていたが、今回は、どこか、倦怠をも感じた。正直、彼女は、これから先に起こることが面倒に思えてならなかった。それほど、彼女には、これから起こるであろうことが予想できていた。
「……『答えはセイントの占い師だけが知っている』って」
弓美は、ぶっきらぼうに、『1+1の答えは2だって』と、あからさまに真実を投げ捨てるみたいに答えた。
そして、彼女は、それをいいながら、こんなことを真剣に話をしている自分が馬鹿らしくなってきた。
彼女は思った。その線で行けば、この世界なんておばかの塊だ。廣士なんて更に馬鹿だ。
咄嗟に、世界中の皆に聞こえるほどの声で、『バカ!!』と叫んでやりたいという衝動に駆られた。そうでもしなければ、今の彼女をとりこにしている羞恥心を抑えるためには、それぐらいやらなければいけないとしか思えなかったのだ。
もし、今まで真剣に話を聞いていた廣士が、その『答えはセイントの占い師だけが知っている』って私が聞いたことを、真に受け止めてくれるだろうか。でも、受け止めたら、それこそよっぽどの馬鹿。
もし、廣士がそれを、「意味不明」と受け止めてしまったら、私は、ただ、自分が見た夢を、廣士も見ていたことにかこつけて、心酔している、それこそ本当の馬鹿じゃない?
弓美は、そうして途方もなく不安になった。胸の奥から、炎がたぎっているかのように、全身カッカと熱くなった。最早、かくなる上は、いっそのこと自分のすべてをさらけ出して、一思いに廣士を押し倒してしまおうか、或いは、それこそがもともと自分の望んでいたことかもしれないと、彼女の思考は、明らかに間違った方向へと堂々めぐりを始めた。
しかし、その心配も、廣士の一言の上に崩れ落ちた。
「うっし、そんじゃあ、そのセイントの占い師とやらに会いに行くか!!」
こうして彼らの冒険は始まった。
思いとどかぬまま
拝啓 お元気ですか そうじゃないですか
今日もそらは青くて 澄み渡るのは あなたの心のようですが
あなたを思い出すと わたしはいつも土砂降りです
今 どこで何をしてますか おいしいごはんは食べれてますか
彼女はもうできましたか お仕事たいへんじゃないですか
ええと、聞きたいことはまだあるけれど 一番聞きたいことは
今 あなたは幸せですか
あの卒業式の 校舎の裏で 言い出せなかった思いがほら
あなたに宛てた手紙になって あなたのとこへ届きそうです
思い出だけじゃ ただそれだけじゃ あなたの笑顔消えてしまいそう
敬具 さようなら むすびの言葉
なぜか心も 結べたみたい ほどけるのは あなただけです
結ばれたいのも あなただけです
今 私のことを覚えてますか たまに思い出してくれていますか
週一でもいいから 月一でもいいから 私の顔を思い出してくれますか
未練がましいって言われるかもしれないけれど だって私は
今 週七で考えてるから
紅いポストの 前に立って 手紙の文を読み返したら
くちびる噛んで 半ベソかいて それを破いた自分がいます
言葉だけじゃ 勢いだけじゃ わたしはまだ 片思いです
あの卒業式の 校舎の裏で 言い出せなかった言葉がねほら
わたしが破る手紙になって 春の土へと 舞い散っていきます
一度きりでも ただ一目でも あなたの笑顔 また見たいのに
両手で数えられるほど数少ない読者の皆さん、勇者の一分の続きは、少し後に飛びます。