とある中学教諭の放課後
放課後、生徒たちが下校するのを見送った教員たちがぞくぞくと職員室に戻ってくる中、他よりも目立つ出で立ちをした男が一人、職員室の敷居をまたいだ。
その男は、ただでさえ前後左右に突き出た腹を誇張するかのように胸を張り、顔は満足そうにやや上を向いて、目はぐるりぐるりと辺りを見回す。
職員室内に詰めていた教員たちは、濃い緑色の作業着に身を包んだ彼を、ちらりと一瞬視界の片隅に見つけて、それから、汚い物を見てしまったと、すぐに目を離した。
職員室の中には、男の歩く音と、コンピューターでワープロソフトに文字を打ち込む音、コーヒーを入れる音。それと、野球好きな教員のラジオから流れる、デイゲーム中継の音だけが響いていた。
男の名前は岸本と言った。下の名前ももちろんあるが、教員仲間も生徒も殆どそれを知らない。大概、「岸本先生」で通っていた。
岸本は、自分の机の前に来ると、その周囲を舐め回すように睥睨し、それから深々と椅子に座った。
彼の身長は170センチ足らずだった。そして体重は100キログラム以上だった。その不細工な余り、彼が健康診断に行けば、結果が出る前から肥満度が常人を大きく逸していることが誰の目でも分かるほどであった。
それに比例するように顔もパンパンに腫れ上がっており、不細工な黒縁メガネをかけた時は、見る者に、全盛期の北の将軍を思わせた。唯一北の将軍と異なっていると思われるのは、顎から口周りにかけて生やされた無精髭だった。
彼のその風貌から、生徒たちは、「岸本先生」以外にも、決して愛称とは違う意味合いで、「ちびデブ」とか、「カメムシ」とかと呼んでいた。後者は、彼の体臭も中学生の意識下の一線を大きく逸脱していたことによるものである。
そのような渾名は、主に彼の担任するクラスの生徒内で囁かれていた。その殆どが、ホームルームの後や、彼が担当している数学の授業のあと。彼の姿が見えなくなってからのことだったが、時には、彼が同じ教室にいるときでも、心ない生徒たちによって、彼に聞こえるぐらいの声で、その渾名が飛び交わされることもあった。
しかし、彼はそのような生徒の反発はまったく気にしてなどいないようだった。少なくとも、生徒の前ではその渾名が聞こえていないかのように振る舞っていた。
そして彼は、人間としても教師としても、まだまだ未熟だった。というよりも、かれの性格が、他の人間には受け入れがたいものだった。
彼は、同じようなミスを繰り返す人間だった。大きなことでも、小さなことでも、一日の内に最低で五つはミスをした。録画した映像をリピートして見ているかのように、他人にはそれがまったく同じミスに思えた。
言葉を言い間違えることはしょっちゅうだった。今日も、生徒の名前を呼び間違え、(「浜島」を「浜田」と)間違えられた浜島君(14才)は、これで五度目の間違いに失笑した。
他にも彼は、人の話を聞かないという悪徳をもっていた。もしくは、話は聞いていても、その内容を理解できないという性質だ。そのため、学年主任からの連絡事項は殆ど、空っぽの頭をすり抜け、生徒には伝えられないまま、などという不祥事も度々あった。その度に、生徒と学年主任は、彼に侮りの意味を込めた溜息を吐いた。
ここまでに挙げたことのために、彼、岸本教諭は、生徒からも教員仲間からも、等しく「信用できない人間」と思われていた。そして実際、そうなのであった。
そんな彼が、クラス担任を持つことになったのは今年の秋口からのことであった。というのも、それまでそのクラスを担任していた男性教師が事故で入院したための、緊急配置だった。
しかしながら、勿論彼の能力が認められた順当な配置ではなく、そのため、学年主任の教諭が、補佐として並んで教壇に立つことになった。そのおかげで、学年主任からの連絡は、岸本の頭をすり抜けても、直接生徒の耳にはいるようになった。
だが、あたりまえのことだが、彼が担任することになったクラスの生徒は、露骨に不満を漏らした。
「なぜ週三回の数学の時間だけでも耐えられないような奴と、どうして毎朝毎夕、顔を合わせなければいけないのか」と。
そんな彼ではあったが、やはり、どんな人間でも一つや二つは長所とか美点とか呼ばれるところがあるもので、彼も、専門としている数学に関しては、京大生時代、ダイヤモンドの原石と呼ばれていたほどの才を持っていた。
だがその才能は、中学校の教師となった今、その真骨頂を振るう機会も無くなり、次第に、日常で小出し小出しにするだけの予備知識となってしまっている。よって、彼が誇れるものは、その大きく張り出した腹と、いいかえれば愚直ともとれる、ある種の頑固さだけだった。
彼は、クラス関係の書類を机の上に並べながら、昨日、昼休みの時間に流れていた音楽を口ずさんだ。周りには決して聞こえないぐらいの、息をそっと吐くぐらいの声であったが、彼はそれでも十分、その行為に満足感を覚えることができた。なんと言っても、その歌は、自らが作詞、作曲を手がけた曲であったからだ。
彼は最近、自己陶酔という欲求不満のはけ口を見つけていた。
自分が歌や詩の才能など持ち合わせていないことは、いくら彼でも気付いてはいたが、それさえも乗り越えて、自らの限界に挑もうとしている充実感、自分と他人との感性の違いをはっきりさせてやろうという、心のごく浅いところから湧いてくる優越感、実は自分にも何かしらの人の心を動かせるのではないかという、絶望的な希望。
そのような後押しを受けて、彼は、半日の時間を要してその歌を作り上げたのだった。
そして、出来上がった曲に自分の声を吹き込み、彼の集大成とも呼べる、一つのCDをこの世に生み出したのだった。
そのような作業を終えた彼に、後悔や、浮かれた自分を遠いところから違う自分がひどく冷静に見つめているような感覚はなかった。彼はただ、自分の感情、感性、性質などを映し、それでいて人間の生や死や、目標や愛といった口にするのもはばかられるような題材をふんだんに取り入れることができたと、満足の境地に達し、目の前にあるその、虹色に光る円形の反射板を、恍惚と見つめていたのだった。
そして彼は、自己満足が決して踏み入れてはならない境界線を通り越してしまった。彼は、自分のつくった曲と、自分の肉声が刻み込まれたCDディスクを、放送部が昼休みに流す音源の中に紛れ込ませたのだ。
彼の思惑通り、そのCDは昨日、すべての教室、会議室、実験室に取り付けられたスピーカーから流れた。
とある昼下がりの中学校に、人の心理の、それほど奥ではなくともかなりの深みに働きかけるような、オイルショック時のトイレットペーパーにむらがる主婦たちの躍動をブラウン管を通して見たような衝撃が走った。
彼は、自分の声が、自分は口を開いていないのにも関わらず耳に入ってくるという、稀少な感覚に感動を覚え、更に、自分の歌声を、自分と同じ空間、時間に居合わせ、同じ空気を共有している生徒たちや、職員仲間たちが聞いた時、どのような反応を見せるのかと、辺りに浮かぶ顔の群れを見回した。 対して、彼の周りに居合わせていた生徒や職員仲間たちは、一瞬の既視感と、これまでに培った、聴覚による経験をもとに一つの確信を得て、偶然という名の運命を感じさせる、教師岸本の存在を、その目その目で凝視した。
そこに、一つの観察的な視線と、大多数の戦慄的な視線がぶつかった、不思議な空間が生まれてた。岸本は、それこそが、自分の新しい人生の始まりだと確信した。
その時から、彼の頭の中と現実世界では、26時間と40分が経過していた。それは、岸本の向かいの席でコーヒーをすすっている山本にとっては、一眠りしてから歯を磨いて仕事をするだけの時間に過ぎなかったが、山本の向かいで鼻歌を歌いながら書類を眺めている岸本にとっては、一匹のひよこが成鳥になって、ローストチキンに調理されるまでの時間のように長く感じられた。
彼の目の前に広がる世界は、それまでとは180度違ったものだった。
彼が誰かの顔に目を向けると、誰かの顔も岸本に目を向けたそして、誰かの顔は、一瞬煩わしそうに微笑み、また岸本から顔を背けた。岸本には、その刹那の対峙が、地球の裏側で、全く自分とは関係なく存在している、自分と全く同じ顔と体型をもった人間と、ごく運命的に相対している瞬間かのように思えた。
が、岸本と現実に相対する誰かにとっては、その刹那は真に刹那であって、実はそれが人生の何割かを占めているような時間だったのだと後に暴露されても、断じてこれは刹那の閃きでしかなかったのだと固辞したくなるような、不愉快なことがらであった。
それでも、岸本は天才的に健気だった。昨日のあの瞬間から26時間と40分が経った今では、彼は、その道において、自分の人生の中でも、他人に与える影響としたも、昨日の一時が、夏の夜空に私費で打ち上げられた一発だけの六尺玉にならないようにと、次なるスターマイン打ち上げの構想を考え始めていた。
まず、彼が考えたのは、彼が担任するクラスで先週行った、道徳の授業のことだった。若者に一片の道徳心も見出せないような現代においても、中学の時間割には、ちゃんと週に1時間、公明正大に「道徳」という科目に時間が割かれているのだ。
そしてその時間は、ローカルで存在する、書道や写生の時間同様、学生たちの貴重な睡眠時間として有効利用されているのだ。
その、道徳的感動のかけらもない道徳の授業に、一石を投じたのも、彼、岸本だった。
というのも、岸本は、道徳の授業で使われる、「道徳ノート」と呼ばれる教材の挿話にいちいち感銘を受ける人間だった。この前も、冬に咲く桜の話を読んで大粒の涙をこぼした。
そんな彼が、先週の道徳の授業で扱ったのは、花の根っこを考えるというものだった。
岸本が根っこについて考える時、必ず浮かんでくるイメージは、自分の父のものだった。岸本の父は、親会社が一つ判子を押せばたちまち消滅してしまう、零細企業に勤める零細な人間だった。それでも彼は、今の自分の居場所こそ分相応の場所だと妥協し、それでいて、いつかは報われるときが来るだろうと信じて、毎日あくせくと働いた。
だが、いくら彼が社内でトップの売り上げを記録しても、彼の給料が上がることはもとより、本社に転属されるなんていう話も一切無く、彼の一挙手一投足は、不毛な砂漠地帯で不運にも蟻地獄に足を取られた流浪民の抵抗のように、虚しく、誰にも振り向かれない世界で足音を響かせるだけだった。
彼は、一日二度の食事を一度と一杯の缶ビールにまで切り詰めて、雀の涙ほどの給料から、出費を蟻の鼻くそもないぐらいに押さえてノミほどの貯蓄をし、息子が高校に進学できるぐらいになった。そして、息子が、定員ぎりぎりの順位で合格したことを知ると、彼は自らの使命を果たし終えたかのように、満足げに、自宅の居間で事切れた。
早過ぎる死であったが、彼はそれ相応の疲労をし、細胞分裂を繰り返していたのだから、彼の死期は、当然といえば当然だった。
自らの父の最後を、自宅の居間で、左手に合格通知を握りしめたまま看取った岸本は、すぐに救急車を呼ぼうともせず、しばらくの間、父に課せられていた運命について思考した。
まず彼は、父が毎日のように、何もない壁に向かって吐いていた、白くて小さな溜息を思い出した。父には煙草を買う余裕も無かったはずだから、きっと息が白く見えたのは、自分の勝手な想像のせいだろうと、彼は注釈を付けてみたが、どう思いだしても、父の吐く溜息は白かった。
そして、どうして父は、この世で、あだ花にもなれぬ人生を生き通さなければならなかったのだろうかと考えた。一人の人間が生きていた理由は、その人が死んでからでないと分からないということを聞いたこともあったが、岸本には、それさえも理解することができなかった。
その時の彼が行き着いた考えは、父が命がけで育て上げた自分の命だから、懸命に生き抜いてやろうというものだった。そういうふうにまとめてしまうと、彼は、死体遺棄を問われないうちに救急車と警察を呼んだ。
父は、まさに根っこのような人間だったと、今更、彼は思い返した。そして、自分の父のことを考えると、花の根っこに対しても、心の奥からの同情を捧げずにはいられなかった。だからこそ彼は、自分のクラスでの授業において、根は、不屈で、更に、縁の下の力持ちという言葉が最も相応しいというようなことを言った。それに対して、おおかたの生徒は、話の内容については異存がないようだった。
彼が道徳の授業を最大の題材として挙げたわけは、他にもあった。それは、道徳の時間の後に生徒に書かせる、感想文の内容についてだった。何か一つの感情を表そうとする時には、それとはまったく関わりのない第三者の意見も取り入れなければ形は完成しないと言うことを、岸本はある程度分かっていた。だからこそ、彼は、生徒たちの感想文を大事にした。
しかし、最近の中学生というものは、学習に関しては塾で学校以上に教わっているものの、感想を書いたり、自分の意見を叙情的に述べたりするスキルは、全くと言っていいほど身につけていないようだった。クラスの三分の一は、毎回三行半にも及ばない感想をよこしてくる。彼は、そんな、その場過ごしの駄文に興味は無かった。
それでも、彼が感想文というものを考える時に、少なからず関心を寄せる生徒もいた。その中でも、自分の感情を、いつも情熱的に、かつ簡略に書き示してくる生徒もいた。
実は、前回作った歌も、基盤となったは、一人の生徒の感想文によるものだった。
その生徒は、先週の根っこについての授業では、いくらか反抗的な感想を述べた。このようにだ。
「僕は、根っこが不屈で、力持ちで、謙虚で、それでいてその姿を誰にも見られることがないからといって、根っこのことを、あからさまに同情したり、讃えたりというのは、どこか間違っているような気がします。それに、もし、根っこを縁の下の正義のヒーローだとするのなら、日の目を浴びて輝いている花びらが、ブルジョアの悪役みたいです。それは明らかに間違っています。
今回の授業では、冒頭で、花の内で、どこの部分が一番好きか、というものがありましたが、僕は花、と答えたけれど、もし、それ以外の選択肢があったとすれば、花を見て好きになるのは、見た目から判断される花ではなくて、実際に触って、嗅いで、頭の中にイメージとして表れるその花の全体です。だから、別に目に見えないから根っこはどうでもいいとか、綺麗だから花びらが好きだとか、そう言う問題じゃないと思うのです。
結論としては、花は、根があり、茎があり、花びらがあって、ようやく花としてその存在を僕たちは認めることができるのだから、どの部分も、精一杯、他の部分と協力して、周りに認められようとしているのだと思います。だから、根っこは偉いとか、花びらは狡いとか、茎はどうでもいいとか、そういうことは、この際論じてはいけないことなのだと思いました」
この感想文には、優れた点が三つある、と岸本は考えた。
まず、若さと、それ特有の挑戦的な内容がふんだんに含まれていること。
次に、自分が直感したことと、それをまとめた結論とを、分けて書いていること
最後に、自分なりの結論をだした上で、明確な答えを避けていることだ。
その上で、彼は、この感想文に反抗的な感情を覚えた。自分の父は、決して、日の目を見ている経営者たちと、協力しようなどとは考えていなかった。ただ、自らの力で道を切り開いてみせようと尽力していた。それが、結果的には経営者に搾り取られた形になっていたとしても、岸本は、父の姿に誇りを持っていた。
だからこそ、根っこは尊敬すべきものなのだと信じていた自分の考えが、一人の生徒によって、「それはあなたの想像力が無いからそのような考えに行き着くのですよ」と、一段高い場所からポンと肩を叩かれたような感覚を植え付けられたようで、自分の尊厳が傷つけられたように思ってしまうのだ。
だが、彼は、自分の狭量さを自らの心に認めたくないために、その生徒の意見を受け入れることにした。何もかも否定してしまうのは、己の過信に過ぎないと。
彼は、一旦考えるのを止め、深い溜息を一つ吐いた。そして、机上のペン立てから、ボールペンを一本取りだして、何も書かれていないコピー紙と対面した。このような作業をするとき、頼れるのはその場その場のインスピレーションしかないのだと言うことを、彼は先天的に悟っていた。
実際、前回も、ペンを握って紙とにらめっこをしていた時に、偶然、歌が浮かんできたのだ。
彼にとってそれは、それは種も仕掛けもないような出来事だったし、また、未完成な若年の神からの啓示のようにも受け取った。その途端に彼の手は、大地のごく僅かな揺れを探知した地震計の針が、紙上に絶えず鋭角を描き出すように、鋭く、そして、機械で計算されたかの如く素早く、正確に、意味のありげな文字の羅列を書き出していったのだった。
今回も彼は、神からの啓示が降下してくるのを待った。が、いくら待ってみても、神からの思し召しは得ることができなかった。
そうこうしている間にも、絶えることなく時間が流れていることを思い出すと、彼は次第に馬鹿馬鹿しくなって生きた。自分にはもっとやるべきことがあるだろう、と。
我に返ると、彼は対面する相手を白紙のコピー紙から生徒の学年末テストの個標に変えた。
自分はいったい何を考えているんだろう。生徒たちの人生よりも己の一時の享楽を優先するなんて、と彼は自分を非難し、一方で、そのように自分を非難することのできる自分を讃えた。
彼は、この数十分の間で、またもや大きく考えを方向転換させた。インスピレーションは、待っているだけじゃあなかなかやってきてはくれないから、こちらから行動を起こすか、それか突発的に何かが舞い降りてきたときのために、その何かを書き留めておく用意をしなくてはいけないと。
そして、今年の有給休暇には、島根か宮崎にでも行こうかと。
朝日中学校バレー部応援歌
行け 行け 朝中 勝利を目指して
飛べ 飛べ 朝中 誰よりたかく
行け 行け 朝中 高みを目指して
打て 打て 朝中 敵を打ち抜け
暁かがやく われらが朝日よ
日に日に鍛えた ゆたかな心
行け 行け 朝中 力を出し切り
勝て 勝て 朝中 こころから
歓喜の光で 日本を照らせ
我らが目指すのは 一途に優勝
朝日にかがやく 優勝旗