創造者からの伝言
初めまして、廣士君。といっても、僕は君のことを前から知っていたけどね。
僕の名前は、佐倉 悟。君の『創造者』だ。今は、直接会って話すことができないから、こうやってパソコンを通して君に伝えるべきことを伝えようと思う。
まず、僕が君の創造者だって言うことだけど、君はもう、創造者のことについて、セイントの占い師から聞いたよね。そして、君がこの文章を読んでいると言うことは、セイントの占い師を通して僕が君に言ったことは、すべて事実だったと言うことになる。
僕も、最初はこの考えを疑っていたんだ。だけれども僕は、敢えて希望を求める余地がある考えを選択することにした。
「僕が想像することで、現実とは全く違う、新しい世界を産み出せるんじゃないか」とね。
そして僕は、さっそく作業に取りかかったんだ。そう、現実では実現しなかった、僕の夢を投影した世界を作り出す作業にね。
そうして君は生まれた。それも、赤ん坊からではなく、僕と同い年の14歳の少年として、何の前置きもなしにだ。多分、僕の作った世界だから、いろいろ欠落しているところや、途方もないような手違いもあっただろう。例えば、君の住んでいた世界には、日本の首相もいないし、日本以外の国は存在していない。それは、僕が必要ないからと判断しただけだけれど、実際は、僕が面倒に思っただけなんだよ。
何にしても、君は紛れもなく僕の作り出した世界の(小説の、と言った方がいいかな)主人公として生まれたんだよ。
僕の当初の予定では、君は本当は古来に宇宙からやってきた「神人」の子孫で、異界での戦いの中で君に眠る本来の力が覚醒し……君には、これより先のことは言わない方がいいかもしれないね。
君がその後どんな活躍を見せたにしても、この世界の終末は、ハッピーエンドの夢の世界にしようと思っていた。だけれど、途中で僕は萎えてしまったんだよ。
一つの世界を生み出し、その世界に主人公と脇役とその他大勢を作り出し、それら一つ一つに設定を付けていく。それは、僕が最初予想していたことより、はるかに大変で、気力が必要で、馬鹿げていることだった。物を書くということの大変さに気づいてしまったんだよ。
そして僕は、一時の頓挫を味わった。君には、本当に悪いことをしたと思っている。でも、そのときは最早文章なんて一行も書きたくないと思ったんだよ。でも、人間として、しかも学生として生きていく上では、少なくても期末テストの反省や、理科の実験の考察ぐらいは書かなければいけないんだよ。
こう言ったら君は怒るだろうと思うけれど、こんな世界、作らなければよかったと思った。それは、夏祭りの浮かれた雰囲気で、金魚すくいで獲った金魚を無責任に飼いだして、数日後には餌をやることすらいやになることと似ていた。結局のところ、僕にその覚悟が無かったんだ。
それでも僕は、文章を書くことがもともと好きだったし、希望は持ち続けていたから、いつかはまたやる気がでて、パソコンのワープロソフトを開くときが来るだろうと思って、待っていた。
そしたら、僕は、あらぬ邪念に取り憑かれてしまったんだ。
「自分が作った世界に、入り込むことはできないだろうか」と。
勿論、そんなことは、自分の部屋に内側から鍵をかけて、一日中パソコンの前でよだれを垂らして妄想していれば、思考だけでもその世界に飛ぶことは可能だった。(きっとそのうち、本当に違う世界にいけるだろうけども)けれども僕は、それよりも更にハードルの高い、思考と肉体同時のワープを願った。
君にしてみれば、いい迷惑だったろうね。
とにかく僕は、君らの世界に入り込むための術を考えた。必死でだ。もしこれが可能ならば、永遠の命でさえも不可能ではないことになるから、命を懸けることにも十分釣り合いはとれた。
でもやっぱり、おとぎ話の世界に迷い込むなんてのは、おとぎ話の中だけの話だ。この方法を見つけ出すことは、公式も何も知らないまま、東大の理学部入試問題を解くことよりも難しかった。
何より、入試は先例があって、いずれ答えが教えられるけど、作り話の中に入る方法は、誰も知らないんだ。
さりとて僕は、方法を見つけ出すことを諦めなかった。狂おしいほどに、その方法を探した。方法を見つけ出すために僕は、それまで積み上げてきたいろいろな物を、自分にはもう二度と手の届かないところへ放り投げてきた。
愛、友情、信頼……どれほど尊い物を投げ捨ててきたんだろう。いくら文章を書くことが好きな僕でも、こればかりはすべて書き出すことができない。とにかく、僕はそれらを放りだしたことで得られる喪失感と、開放感だけをたよりに方法を探した。僕の青春は、もうとっくに終わっていた。
そうして僕は、ある一つの考えに辿り着いた。
「この世界自体が、何者かによって作られた、おとぎ話に入り込む少年が主人公の世界であればいいのだ」と。
そう、この世界自体が誰かの作ったおとぎ話ならば、僕が、僕の作った世界の中に入り込むことも可能なんだよ。
もしこの世界の創造者が、「佐倉悟は自分の作った世界に入り込む」という筋書きを立ててくれれば、僕の夢は確実に叶えられるんだ。
でも、それすらも虚しい願いではあった。なぜなら、この世界の創造者は、この世界の主人公を、僕じゃなくて、僕の両親にしたかもしれないし、僕の友人にしたかもしれないし、あるいはあるいは僕が見殺しにしてしまった金魚にしていたのかもしれないんだよ。
その上、もし仮に僕が主人公の世界だったとしても、結局、自分の作った世界に入り込めずに終わる、馬鹿な少年のはかない一生の話かもしれないんだよ。
第一、僕の創造者はいないかもしれなかった。
それでも僕は賭けに出たんだ。勿論チップは自分の人生だ。
僕はただ待っているわけにいかなかった。自分から創造者に接近しなければいけない。もしそれが、創造者の仕組んだ筋書きだとしてもね。僕は、無駄だと思っていることほどやりたがる性分なんだよ。
そこで僕は、君の世界を少しずつ変えていくことにした。より混乱した状況にだ。そうすることによって、君の世界は混沌となり、何が起こっても不思議でない状況になる。これで下準備は完了さ。
後は、僕の創造者が、最初の構想の通りに世界を変えていくか、ちょっとした気変わりを起こして僕の願いを聞いてくれるか、それを待つだけだった。もう僕がやれることは何もない。願うだけだ。
そしてある日、僕の願いが叶う兆候が突然現れた。
ある日僕は、学校の授業中に、ノートの切れ端によくゲームに出てくるような、小憎たらしいエルフの絵を描いたんだ。そしたら不思議なことに、僕が一つ瞬きをした瞬間に、その小さなエルフがノートの中から飛び出して、数回ピョンピョン跳びはねたんだ。
僕は、自分の目を疑った。すぐに、これは夢じゃないかと思った。その授業は、いつももの凄く眠くなる数学の授業だったから、あり得ないことではなかった。そこで、自分の頬を力一杯つねってみたら、しっかり痛みがあった。これは現実の出来事だった。
周りのクラスメイトは全く気づいていないようだったが、僕は、そのエルフをつぶさに観察した。
そのエルフは、僕がノートに描いた大きさと同じ、手のひらですっぽり隠せるぐらいの小ささで、体中、モノクロだった。まさにそのエルフは僕がノートに描いた物と同じだった。背中から二本の薄いトンボのような羽が出ていて、顔は男か女か分からないような、あごの尖った形で、耳は異様に長くて鋭利だった。
そして、僕がつぶさに観察をし終わると、そのエルフは再び、音もなくノートの切れ端に戻ってしまった。僕はそのとき悟った。これが初めて、僕の作った世界が現実になった瞬間だと。
空想がついに現実になった。次は、現実が空想になる番だった。
創造者はあるとき、僕の思考に直接メッセージを送った。
「今から君の願いを叶える。しかしそれには条件がある。君の作った世界の主人公を、君の世界に召喚しなければいけない」
僕はその瞬間、僕に与えられた最大限の肺活量を動員した大声を出して喜んだ。
きっと、僕の創造者が突きつけた条件は、彼が作った(若しくは彼女かな?)僕と君が住む世界でのルールに基づいたものか、君を主人公にして、また一つの物語を書こうとしたのか、どっちかだろう。
僕だったらこういう理由をつけるかな?
「同じ世界に存在できる質量は、常に一定を保たなければいけない。だから、一人の人間が違う世界に移動したときは、必然的に、違う世界からも一人の人間を持ち込まなければ、世界の均衡が崩れる」
まあ、こんな感じだろう。
君が今いる世界の話だ。
もう、この話の流れで分かっていると思うけれど、君が今いるのは、僕が今まで住んでいた世界だ。君の創造者の世界だ。どうだい? 後で外に出て、様子を見てごらん。きっと、何の変哲もない世界だと思えるよ。なんたって、君がこれまで住んでいた世界は、この世界をモチーフに作られているから。
で、君の今の現状だけど、君がいるのは、多分女の人の部屋だと思う。三十歳ぐらいの女の人の。そして、多分今、君の身体は、その女の人の姿をしていると思う。鏡があったら見てごらん。君の名前は、これから、沖田理絵だ。
それは、僕が設定したことじゃない僕の創造者が設定したことだ。きっと何かやりたいことがあるんだろう。文句があったら僕の創造者に言ってくれ。僕だって、それなりの代償は払っているんだ。
もう、僕が生きていた形跡は、そっちの世界には、この文章ぐらいしかないのだから。創造者に変えられてしまったのさ。
因みに、僕は君がいた世界で、君の姿をしているだろうと思う。その方が僕としてはやりやすいからね。
これから君のところに、二人の男が訪ねてくるだろう。そして君は、その男のどちらかを選んで、寝ることになる。意味は分かるよね? これは、僕の創造者が僕に直接教えてくれたことだ。
でも君は不安がる必要はない。多分、創造者が、君のためにいろいろと取りはからってくれるだろう。何たって君は今、そっちの世界の主人公なんだから。
最後に、結論だ。僕は君の創造者で、君は僕の話の主人公だった。しかし、僕らの創造者によって、僕らの立場は逆転した。君はどう思うか分からないけれど、少なくとも、これは僕が望んだ結末だ。
この結末によって、この世界と君の世界には、確実に創造者の力が影響していることが分かった。そして、ここからが重要な話だが、君自身も、今から創造者になれる可能性もあるし、また、僕らの創造者でさえ、誰かに創造された者かもしれない。もしかしたら、僕らと殆ど同じ生活をしている、都会育ちの少年かもしれない。
つまりだ、僕らの人生は、僕ら自身ではなく、それぞれの創造者によって決定されている。ある種、どのような人生を送れるかは運だ。自分が主人公なら、多少はスリリングな人生になるだろう。しかし、その他大勢のエキストラの役だったらどうだろうか。
もし、君が、君自身もっと大人びた、独立した意志を持っていると自分に自信があるなら、僕の結論には反論したくなるだろう。
勿論僕がここまでに伝えたことは、近世ヨーロッパのロマン主義とまったく意味を異にしない、若者向けの血走った理想主義的想像だ。
しかし、それこそが、僕が生きた世界の真実だった。
君が何を信じようが僕は構いはしないけど、一つだけ言っておかなくてはいけない。
君は紛れもなく被造物であり、僕も紛れもなく被造物だ。そして、お互い創造者になりえるんだ。これだけは忘れてはいけない。
これを忘れれば、たちまち僕らは、その他大勢のエキストラと同等になってしまうから。
この一文を最後に、ディスプレイに映し出された文章は終わっていた。
廣士は、自分の身体を見た。それは明らかにこれまでの自分の身体ではなく、曲線的な肉のついた、小柄な女性の身体だった。胸には歴とした膨らみがあり、下半身には、味わったことのない空虚感があった。
自分の指を見つめる。細く、弱々しい、優しい指が、左右それぞれ五本並んでいた。その手には、傷一つ無い。力を入れて握ると、それだけで脆く崩れてしまいそうな、微々な光を発していた。
理絵は、胸に激しい動悸を覚えた。これまでに感じたことのない、潤いの枯れた、冷たい動悸だ。
その時、部屋にただ一つの扉を、何者かが叩いた。