真説、これが世界だ
「あなたたちは非力です」
セイントの占い師は言った。
セイントの占い師は、予想に反して、若く美しい女性だった。あるいは、若く美しい女性の肉体を借りた何かだった。
「この世界は、一人の創造者によって支配されています。そして、私たちや世界は、創造者に逆らうことはできない」
占い師は続けて言った。
「あなたたちの運命は創造者によって定められます。あなたたちが考え、行動することは、創造者が既に考え、設定したことです。あなたたちは、その造られた道を、予定通りに進んでいるだけに過ぎなません」
「てことは、この世界の真実は、神様か何かがすべてを動かしてるってことか?」
廣士は聞いた。
「いいえ、創造者は決して神ではありません。なぜなら、創造者は神でさえも作り出すことができるのです。そして、宇宙までも。そして、被造物の私たちや神には、創造者を作り出すことはできません」
「でも、信じられない。どこかに、この世界のすべてを操っている奴がいるなんて」
廣士は反駁した。廣士は、占い師の答申を絶対に信じることはできないだろうと思った。
「いいえ、創造者は、すべてにおいて設定付けをしているわけではありません。ただ、あなたたちは意図して創造者によって生み出され、設定付けられ、創造者の意のままに道を進んでいるのです」
「それじゃあ、俺たち以外の人間や動物とかは、つくられただけで、別に何かのために生きている訳じゃないってことか?」
「いえ、厳密には違います。創造者は、あなたたちに対しては綿密な設定を作り上げましたが、他の事象には、それらをすべて覆い尽くすような、規範的な設定を作りました」
「規範的な設定?」
「そうです。例えば、創造者が一言、太陽はいつも西から昇れ、と言えば、太陽は一日たりとも欠かさず西から昇りますし、神に対して、全能であれとか、人間を統率しろとか言えば、創造者は、直接一人一人の人間に手を下すことなく、それらを支配することができるのです。
そして、あなたたちは、創造者の、一番重要な目的のために作られた。だから、あなたたちは、創造者に直接支配されています。これから何をするのかも決められていますし、話す言葉の一語一句も
創造者によって吟味されたものです。だからこそ、あなたたちが迎える終末も既に決められています」
占い師は言った。廣士たちこそが、この世界で最も重要な被造物であると。そしてまた、彼ら以外の被造物は、ただ、彼らを引き立てるためだけに、あるいは、ただ何かの理由付けのためだけに作られたのだと言うことを。
だからこそ、これまで、この占い師に真実を求めた人間は皆、自分の存在理由に打ちのめされ、その空虚に耐えきれずに気を狂わせたのだ。そしてそのような過去すらも、廣士らを引き立てさせるための小さな伏線に過ぎなかったのだ。
廣士は、無性に腹が立った。誰にもとがめられずに神のごとく振る舞う創造者に対してではなく、その創造者の敷いた線路の上を、これが自分の決めた道なのだと信じて止まなかった自分に対してだ。しかし、その怒りまでも、創造者が作り出した幻影でしかなかったのだ。
「信じねぇぞ。そんなでたらめは。それが本当だったら、何のためにこの世界はあるって言うんだ」
廣士は、今すぐにでもこの場所を飛び出してしまおうと思って、自分の背後にいるはずの仲間たちに顔を向けた。しかし、そこには最早何も存在せず、噛み切られたような、不規則な突起を持った輪郭だけが、真っ黒な世界の中に漂い、その上に、廣士とセイントの占い師は存在していた。
「それが証拠です。創造者によって、価値を見いだされたのは、この世界ではあなたただ一人だったようですね。あなたはもう、逃げることなどできません。もしあなたが逃げられたとしても、それさえも、創造者によって決められたことなのです」
音を反響させるものなど何もないはずの、漆黒の世界に、占い師の声は、低く貶めるような響きとなって廣士の鼓膜に伝わった。
廣士は、その壮大な、無慈悲な理不尽に打ち震えた。世界は既に、廣士と、占い師以外には存在しない。消えかけた世界の輪郭しか存在しない。
廣士は、創造者を憎んだ。心の底から憎んだ。八つ裂きにしてしまいたいほど憎んだ。そして、その憎しみさえも、彼の心の中からではなく、どこか遠くから湧き出てくるように感じられた。
「……誰なんだ……一体その創造者ってのは誰なんだ! なあ、知ってるんだろ? あんたは何でも知ってるんだろ? なあ、その創造者ってのはどこにいるんだ。言えよ、今すぐぶん殴りに言ってやるからよ!!」
廣士は、美しい占い師の胸ぐらを、力一杯えぐり取るようにつかみあげ、目を怒りに血走らせて睨み付けた。しかし、占い師は表情を一つ変えることも、呼吸を乱すこともなかった。ただそこにあるのは、機械のように精密で、感情のない薄笑いを浮かべた口と、数秒おきに瞬きを繰り返す目と、鼻だった。
「それは、私があなたに教える必要はありません。なぜなら、創造者は、直接あなたの思考に、その答えを植え付けることができるのですから。そして、その答えをあなたに告げることこそが、この世界の由来なのですから」
その占い師の、悟りきったような無表情を見つめ続けているうちに、廣士は、前進に萎えが広がっていくのを感じた。そう、今までの人生はすべて、徒労でしかなかったのだ!
元々俺の中に自己などは存在しなかったのだ。自己のように思われていたものは、精巧にすり替えられた他己だったのだ。思い返せば、小さな頃の記憶など一つもない。きっとそれは俺が忘れたんじゃない。元々無かったのだ。そう、創造者が設定付けていなかったのだ。
それどころか、今まで覚えていたはずのことさえも思い出せない。俺に両親はいたのだろうか、俺に親友はいたのだろうか、俺に愛する人はいたのだろうか。いたとしたら、それはどんな顔をしていたのだろうか。
……だめだ、思い出せない。浮かんでくるのは、ぼやけたような、細い輪郭だけだ。その内側も外側も、色など何一つ付いてはいない。
なんてこった!! 今まで俺が生きてきた跡さえも消えてしまった。これも、創造者の仕業なのだろう。………
………ん? なんだこれは……知らないイメージが流れ込んでくる。……これは、誰かの顔か? けっこうはっきり見えるぞ。……男か? これは、誰だ? どこかで見たことがあるような気がする。あれはどこだったっけ?………
廣士は、自分の視界が急に狭くなって、明かりを捉えたのを感じた。その場所には、既にセイントの占い師はいなかった。そこは、ただの薄汚れた臭いのする薄汚れた部屋だった。
どうやらその場所は、メルヘンチックなファンタジー世界の一部ではなく、現実味を帯びた場所のようだった。廣士は、何を以て現実と言えばよいのかなど分からなかったが、とにかくそこは、懐かしさのある部屋だった。
部屋には、一つだけ扉があった。木の扉だ。廣士は、その扉を無心に見つめて、この後誰かがこの扉から侵入してきて、自分を新しい世界へ連れ出してくれることを願った。
それからしばらくたっても、誰かが廣士のもとを訪れることはなかった。それでも廣士は、この世界で物音がしていることを感じ取った。自分の背後からだ。廣士は、そっと後ろに振り向いた。
あったのは、一台のコンピュータと、明るい光を放っているディスプレイだった。コンピュータは悲愴なうなり声を上げていて、その悲愴さが、この部屋全体を少し暗くしているようだった。この部屋に窓は無かった。
廣士は立ち上がって、ディスプレイの前まで行った。回転式のいすがあったので、それに座って、ディスプレイの中身を見ることにした。盗み見るのではない。これはもともと、見られるためにあったのだ。
ディスプレイに映っていたのは、最も一般的なワープロソフトと、そこに打ち込まれた文章だった。