そうだ、宮崎行こう
肥満教諭、岸本は、この春休みに、残されていた仕事も全部取っ払って、一人宮崎への旅路に着いていた。
彼の頭の中は、天孫降臨の地、宮崎と、特急を降りてからのホテルへの乗り継ぎ方法のことで一杯だった。職員室の机に残してきた、進路、評定、その他一切の教諭としての仕事がそこに入り込む余地は、最早無い。彼はここに来て、途方もなく向こう見ずな性格を開化させていた。
彼が宮崎行きを決意したのには、それはそれは浅い理由があった。それは、如何にも突発的な、「そうだ、京都行こう」に似た、趣味の肥やしに過ぎない理由だった。
彼は、歌を作っていた。それも、無意味で、無色で、夢見がちな若年性の歌だ。それでも彼は、その歌を自らに作らせたのは、儚い一夜の夢ではなく、曇天からのインスピレーションだと信じて止まなかった。だからこそ彼は、この次を望み、求めた。
今の岸本にとって、世界とは、一本の道であった。決して自分の目の前で枝分かれをすることはないし、行き止まりに突き当たることもない。ただ、世界は今彼の乗っている新幹線のように、高速でどこかからどこかへ移動し、しまいには渦を巻くように何処か遠くへ流されて、見えなくなってしまう。彼は今、その世界の流れの乗客として、果てのない世界に何かの降臨を探しているのだ。
彼にとって、それはとてつもなく崇高なことだし、その上言うのも憚るほど、愛おしい現実なのだ。
しかしながら、そのような、世間一般ではぎりぎり健全と受け入れられるぐらいの趣味、願望をもってして、いくら生命の活性化を求めても、かれの醜態は一向に好転する様子を見せなかった。
それどころか、醜悪と下劣を象徴する各々の部位は、更にその度合いをまし、見るも無惨な状態にあった。
頭は水の供給が途絶えた枯れ木林のように禿げ散らかし、耳たぶは赤く腫れぼったく爛れ、顎はもう一つ段数を増した。腹に至っては、突き出すどころか、前へ押し出る気力もなくなって、下にずんぐりと垂れるようになっていた。
三月末の思い出したような肌寒さは、彼にとってとても気持ちがよいものだった。
たった今、岸本を乗せた特急が、大分を通過した。あと数時間もすれば、目的地、宮崎、延岡である。長い旅路だった。彼の所在は静岡だったが、新幹線で移動した時間も合わせて、延べ半日余り。電車の振動に揺られる間、彼の全体重を支える腰は、もうすでに悲鳴を上げていた。
彼の体の要は今や、それに乗っかる肥大化した脂肪を押さえつける、拷問具と化していた。
彼は、博多で新幹線を降りた後の、私鉄特急の遅鈍さを呪った。それどころか、この世の偉大な重力さえも呪ってしまおうかと思った。それは、はっきり言えば疲労からくる妄想だったが、彼には、自分の体重に対して釣り合うだけの寛大さをもって精神を整えるだけの余裕はなかった。
そもそも、どうして飛行機という文明の最たる発明品を無視して、電車旅なぞを選択してしまったのかと、彼は後悔に似た疑問を抱いた。だが、その疑問は浮かんだ瞬間、即座に解消した。
彼は、これまでの無為な人生の中で、一度たりとも空中を制する乗り物に便乗したことがなかった。つまり、未経験の恐怖があったのだ。
彼は、なんとか、地に足のつかない移動手段など信用できるか、と言い訳がましく自分のポリシーを主張していたが、本心では、何も知らない、右も左もわからない空港、搭乗口、機内で、「チキンオア、フィッシュ?」などと聞かれるのを想像するのが、堪らなく恐ろしいからだというのは自明だった。
それから、彼の頭には、職員室に残してきた山積みの書類のことが浮かんできた。ようやくだ。そして、それらの8割方が手つかずだということも、期末テストの当日が徐々に迫ってくるときの焦燥ににた苛立ちを伴って思い出された。
思えば、言えば引き留められるだろうと思って、誰にも連絡せずに飛び出した旅路だった。或いは、言っても誰も何の反応も示さないかもしれないという孤独感から逃れるためかもしれないが、とにかく、彼が今、宮崎行きの私鉄特急の中で揺られていることを知っている教員仲間、親族、友人は一人としていない。
多分、3月の終わり頃に、カメラと宮崎地鶏片手にのうのうと静岡へ帰参した自分を見たら、教員仲間や教務主任は、こっぴどく自分のことを叱るか、それか、あきれた顔を一顧だけして、またいつものように、無表情きわまりないデスクワークを続けるのだろうかと、彼は予想した。
これも多分だったが、彼が内心願っているのは、前者だった。もし、前者の結果になり得る可能性が皆無なら、郵便で脅迫めいた辞表を送りつけ、一度も顔を見せぬまま、居場所のなかった職場から、失踪がましい別れを遂げてやろうかとも思った。
実際、彼は、この度に出るに当たって、自らの職を辞す覚悟をすでに固めていた。別に、今後の天職をインスピレーションに本気で頼ろうとした訳ではなくて、ただ単に、今の教員としての職が自分に向いてなかったと、痛感しただけだが。
そのことを思い出すと、彼は妙に勇気のわく思いがした。自分は今、自分に関わるすべての事象を、自らの意図で取捨選択できる立場にいる、と勘違いを起こしていた。それは明らかに彼の開き直りからくる奢りだったし、彼が何か、例えば教師の職を彼方に捨て去ったとしても、それによって得られるものは、何一つ考えられなかった。
そこまでして彼が宮崎の地を求めたのには、やはり深い意味など存在しなかった。
岸本は、手持ちぶさたなのと、腰の痛みから気を紛らすためとで、頭上の荷物入れにしまわれた煩雑に収納の添付されたリュックサックから、一冊の文庫本を取り出した。題名は、「インスピレーション世界」作者は恐らく、百人が百人ピンとくることのない名前だと思われるので、敢えて挙げることはしない。
彼はもともと本を好んで読むような人間ではなく、どちらかと言えば、無機質に整列させられた、息苦しそうな文字の羅列を眺めていると、軽い吐き気を催すようなタイプだったが、だからこそ、その羅列が集約された本というものは、この難所に気を紛らわすのには丁度いい物質かのように思われた。
そしてまた、この「インスピレーション世界」は、今まさに彼が求めているインスピレーションを呼び起こすことを目的とした、いわば慈善的な著書だった。
この本は、冒頭から、「インスピレーションとは待つものではなく、こちらから呼び起こすものだ」という、単刀直入な、なんの変化も新鮮みも感じられない文面から始まっている。少しでもいろいろな種類のハウツー本を読みあさったことのある人ならば、一瞥しただけで心底から飽き飽きしてしまうような出だしだった。そしてまた、最も岸本の愛読書となりうるタイプの本だった。
岸本が、インスピレーション世界の第四章、「宣告と提示」に手をつけようとしたときに、電車は、延岡駅に停車した。ブレーキが余りにも急で、何かに激突したかのように車体が軋む音を立てた音だったので、岸本は思わず声を出して驚きを露わにするところだった。
しかし、そんなことをすれば車内の支線が彼一点に注がれることは明らかだったし、そうなれば、旅先の見ず知らずの他人にさえ、「このチビデブは小心者だ」というレッテルを貼られかねないのだ。
旅の恥はかき捨てとは言ったものだが、普段から無意識のうちに、周囲からの嘲笑を脳裡から排除している彼にとって、未踏の旅先での視線に対しては、臆病になりがちだった。
ともあれ、彼は延岡に到着した。顔数も疎らな車内を、できるだけ視線を下に落とさないように歩き、妙に息の詰まる思い出ホームに降りると、次なる行動予定を頭の中に巡らせた。
宮崎と言えば、かの有名なタレント知事が治める県であり、天孫、ニニギの降臨した高千穂で有名である。少なくても、岸本にとってはある種神聖な土地だ。彼もまた、天孫でなくとも、鼻糞神でもいいから再臨を求める気持ちで、高千穂町の旧跡を巡るプランを立てていた。
彼の旅は、ここからが本番である。まずは、現在地延岡駅から、高千穂町まで路線の延びているバスに乗らなくてはいけない。それも、ほどよく混雑していない、クーラーのよく行き届いたバスを。
彼は再び、尻が圧迫されて、割れんばかりに軋む感覚を思い出した。彼の尻は、一途にそこらの道ばたで、ぐでんと倒れ込むことを要求している。だが、その要求を呑んでしまえば、再び軽侮と嘲笑の鋭い鏃で大量出血する、かなり確かな予測ができたし、それに、この痛みも天からの贈り物若しくは試練と思えば、彼の心は燃え上がった。
バス停の位置を示す看板に引きずられるようにして、高千穂行きのバス停に辿り着くと、彼は、そのバスの時刻表から、次出発するバスが30分後に一本だけしかないことを知った。彼はここに来て、旅が進むだけのものではないことを知った。
幸いなことに、このバス停には、西洋風でいかにも気の利いた、木製のベンチが設置されていた。それも、腐り一つない、像が乗っても壊れなさそうな頑丈なベンチが。彼は、自らの労をねぎらうように一つため息を吐くと、あたかもそれが前々から計画されていたことのように、人目も気にせず、どうどうと、勢いよく座り込んだ。
今日という世界は晴れきっていた。最早現在地は海岸線から遠く離れたところにあったが、ここが陸上だという確固たる証明もなく、辺りを行き交う文明の影もなく、ふと耳を澄ませば、遠くの潮騒が聞こえてくるような、鴎の羽音が聞こえてくるような気がした。それぐらい、天は蒼く開けている。
彼は、このままここで耳を澄まし、鼻を澄まししていれば、天孫は降臨してこないまでも、何か、幸せの鍵を握るような、世界を一瞬にして晴れ渡らせてしまう一言が見つかるような感傷におそわれた。
もちろんそんな魔法のような言葉が存在していないことは彼の心にも明白だったが、それでも、素晴らしい発想は、地面からの陰鬱な唸り声や、黒々と渦巻く思考の奥底からではなくて、このように澄み渡った蒼天から、白や黄色の目映い光が大地に射すようにやってくるものだというのは、彼も薄々予期していた。
ゆるりと目を閉じ、目蓋の裏に特別な光が移り込むことを待っていた岸本に訪れたのは、至高の概念ではなく、張り裂けるような情熱だけを動力とした、一人の男の声だった。
「あれ? 岸本先生じゃないですか」
その声は、単純な驚きと、神経衰弱で偶然同じ絵札を探し当てたときのような、歓喜を含んだ、偶発的な色に満ちていた。
岸本は、住み慣れた世界から遠く離れたこの宮崎の地で、親しげに自分の名を呼ぶ声に、半ば驚き戦いて、体をのけ反らせながら目を開いた。
彼に話しかけたのは、見たところ、20代後半から30代半ばぐらいの男で、背は平均的。体重は意外と筋肉の分重そうだった。岸本は、自分の教え子にしては老けていて、教員仲間としては若いその男を、まずは友人関連から見当をつけていくことにし、数秒の後、先日まで持っていたクラスの生徒の保護者だということを思い出した。
「えぇと、確か、広林さんでいらっしゃいましたっけ?」
そう聞くと、男は多少微笑んで、いくらか快活ぶりを主張するような、弾む口調で答えた。
「はい。覚えていて下さいましたか。先は次女の結希がお世話になりました」