第82話 紫光の影
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薄暗い光の灯る部屋の中で一人の男がソファに座り項垂れていた。
「……………………」
そこは一つのささやかな幸せに溢れている筈だった家族の集まるリビングだった。
テーブルにソファ、テレビにキャビネット。そして子供用の小さなベッドに立て掛けられた空中メリーゴーランド。まさしく幸せの箱庭の景色そのものだ。
しかし寂れた部屋には男だけしかいない。対面のテーブルで座っているはずの男の伴侶も、ベッドで眠るはずだった彼の子供も既にいない。
『ラララ〜…………らーらー…………ジジッ…………ララ…………ジジッ…………』
男の傍らには人の顔と思しきものが撮られた二つの写真。そして灰色のラジオがポツンと置かれており、そこから彼が好きだった音楽の歪なメロディで奏でられていた。
「私のせいだ」
ふと口にされた男の言葉。それはまるで懺悔のように――――自らの心を傷付けるように聞こえる。
「私があの子を殺したんだ」
また一つ言葉を紡ぐ。確かな怒りと憎しみを込めて他でも無い自分に向けて発する。
「私だけがまた残されてしまった」
次は後悔と喪失感。
何度も何度も何度も行ったであろう自傷行為はもはや手慣れた様子すら窺える。
しかし何度やろうとも失った悲しみは決して癒えない。
「私が! 私だけが! 運命は何故私も一緒に殺してくれなかった…………!」
――――自己否定。
それが彼に課せられた罪、残された者が背負ってしまう罰の名前だから。
「でも叶うならもう一度だけ………………会わせてくれ」
その願いは決して叶わない。
男のすがりはまるでコーヒーに入れたミルクのように夜空へとゆっくりと、ただただ溶けていくだけだ。
「あの子に……………もう一度でいいから…………会わせて…………くれよぉ…………!」
『ラララ〜…………ジジッ…………ラララ〜らーらー…………ジジッ…………』
嗚咽に溺れる男を嘲笑うかのように、ラジオからは楽しげなメロディが流れ続けていた。
『♪♪♪〜♪〜♪♪♪♪〜♪〜♪〜.
♪♪♪〜♪〜♪♪♪♪〜♪〜♪〜. 』
笑って、泣いて、怒って、そして悲しんで。
私達は様々な感情が溢れる広い世界で生きている。
でもいつか気付くんだ。広大と感じた世界が『小さな世界』だったということに。
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「イテッ、まだビリビリが残ってる…………」
「無茶しすぎよぉ。戦闘スーツの耐電機能のおかげでなんとかなったものの普通なら死ぬような電流を間近で浴びたのよぉ」
「肩の傷もあるのにそこまでやれるとは、すごい忍耐力ですわね…………」
「あはは…………」
各々の戦いが終わった後、合流したわたし達は都市の中の森の中を走る装甲車に揺られながら戦いの傷を癒していた。
まあ傷を負ったのはわたしだけなんだけどネ。二人ともあれだけの相手に無傷だなんてすごいなぁ。
「これで治療完了よぉ。ハトさんは自分の身体を大切にしてねぇ」
「うん、ありがとうメイちゃん」
そうして治療を終え、わたし達はその傍らで眠る四人の方へと視線を向けた。
ウルミさん、アーニスさん、エリさん、リンコさん。天門台で共に戦う仲間であり――――わたし達を襲った襲撃者達だ。
「それで…………何がどうなってるの?」
「失踪事件の調査を先行した四人全員が明確な敵意を持って私達を襲ってきた…………言葉にすると余計に謎が深まるわねぇ」
ふと溢れ出たわたしの疑問にメイちゃんが整然とした様子で答えた。だけどその言葉からは未知に対する困惑と滲むような焦りが感じられる。
「ですが明らかにワタクシ達を天門台の人間と認識しており操られているようには見えませんでしたわ。それに戦闘中の彼女らは明らかに常人とは異なる何かがありました」
そう、彼女達はわたし達を殺そうとして襲ってきた。だけどそれだけでは説明の付かない事があまりにも多すぎた。
その謎をさらに深めるように通信機からハロちゃんの声が聞こえて来た。
『それに未だに彼女からホシの反応が発せられている。それもかなり強力なヤツがだ』
「………………わからないことだらけだネ」
謎が謎を呼び、その謎が牙を剥いてわたし達を襲ってきた。
それが怖いのか、恐ろしいのかはわからない。
ただまるで先の見えない砂漠の中を歩き続けているような感覚に陥りそうになる。
――――でも、やるべき事だけはわかっている。
「早く失踪した人達を助けに行こう。大学北部の森に手掛かりがあるんだよネ」
「そうねぇ、あれこれ考えても答えは出ないわよねぇ」
「確かに今は目の前の事を思いっきりやるべきですわね」
「オーケーだ! そう言うと思って大学の方へと向かってるぜ! あと10分もしないうちに着く筈だ!」
どうやらみんなわたしと同じことを考えていたみたいだ。
今は深まる謎について考える必要はない。
失踪した人達、そして拐われたツバサさんを助ける。これが今のわたし達のやるべき事だ。
「そうとなればすぐに準備しないとネ。ジュリアちゃんの芒炎鏡のエネルギーとかは大丈夫?」
「問題ありませんわ。天太芒炎鏡もいつでも起動できます」
「よかった! わたしも大丈夫そうだヨ!」
『ハト君はさっきまで怪我をしていたから今は安静に…………ザザッ…………てく………ザザッ………………ワッツ…………通信……………ザザザッ…………………』
「………………ハロちゃん?」
その時だ。耳元で聞こえて来ていたハロちゃんの声を不快なノイズ音が掻き乱して来た。
それと同時にふと、わたしの背中にゆっくりと撫でるような悪寒が――――いや、確信とも言えるような嫌悪感が駆け抜けた。
「メイちゃん…………!」
「ええ…………あの時と似ているわぁ」
――――既視感。それがわたしの感じた感覚の正体。あの時、テーマパークでの出来事とまったく同じだ。
そしてその既視感に従うようにして、わたし達は窓の外へと視線を向けた。
窓の先には大きな紫色の光――――空を貫くような大きな紫光の柱が、新緑と灰色に包まれた廃墟都市を眩く照らしていた。
それはまるで地獄から放たれた祝福のように、幻想的でありながらとてつもなく恐ろしいものに見えた。
「………………ハロルドさん!」
それ故に、わたしは半ば無意識的に通信機に向かって大きく叫んだ。
――――確信と、それ以上の怒りを込めて。
「――――失踪事件の主犯は十芒星!! すぐにエレン支部長に掛け合って医療課のチームと討伐部隊を緊急派遣を要請して! 事態は一刻を争うから!」
『…………ザザッ…………わかっ…………た』
「ハ、ハトさん………………?」
「……………………」
そうして通信を切ると運転しているジェーンさんへと声を掛ける。
「ジェーンさん!」
「ッ! ど、とうした?」
「わたし達を下ろしたら直ぐにコロニーの方に移動して。その後は派遣されてくる天門台の人達の指示に従って欲しいの」
「わ、わかった! けどお前らはどうするんだ?」
「わたし達は………………」
そう言うと何故か少し困惑しているジュリアさんと何かを察して黙っているメイアさんの顔を見合わせ、頷き合う。
さっきも言ったけど、わたし達のやるべき事は――――もうとっくに決まっている。
「十芒星を倒す!」




