第30話 注射
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収容区画にある『Zー9』収容室。あの運命の夜からそこまでの時間が経っていないのにわたしはまたここに来た━━━━いや、来てしまった。
「シャーナちゃん、大丈夫かな…………」
もはや馴染み深いとも言っても過言ではない長い廊下の奥にある扉の前で、メイちゃんが険しい表情を浮かべながら待っていた。
「ハトさん、来てくれてありがとうねぇ」
「うん、怪我の具合はどう?」
「もうバッチリよぉ、エレンに文句を言われるぐらいには治ったわぁ。………………それよりちょっと付いてきてぇ」
そう言ってメイちゃんはシャーナちゃんのいる部屋の隣。急遽設置されたであろう監視室へとわたしを招き入れた。
明るい肌色の光が照らす部屋の壁には監視カメラの映像を映すモニター、そして反対側の壁にはホシを殺すための道具━━━━芒炎鏡があった。
そんな重苦しい雰囲気を漂わせている部屋には、気怠げにモニターを見つめる戦闘スーツに身を包んだ女性がいた。
「ふぁ〜あ。あ、帰って来ましたかメイアさん?」
「ええ」
態度も気怠げなら口調も気怠げ、おまけにスーツのスカートなんて気にしない言わんばかりに彼女はその小麦色に焼けた長い足をテーブルの上に乗せていた。
その様は今まで出会った天門台の戦闘員とは真逆とも言えるアンニュイ全開の女の子、━━━━━でも彼女の顔にわたしははっきりと見覚えがあった。
「………………ララちゃん、何やってるノ?」
「うん? お、ハトじゃん!? メイアさんが言ってた『ヴィーナスを制御できる人』ってアンタだったの?」
「奇遇じゃん」って言いながら小麦色に焼けた笑顔をわたしに向けた。
天門台戦闘課防衛部隊、通称『シティ・ベルト』の隊員『ララベル』。このニュートウキョウからホシ達による侵攻を防ぐ真の意味で人類の盾であり、精鋭中の精鋭が集うエリート集団の一人が彼女だ。
━━━そしてわたしもかつてはその中の一人だった。
「いやぁ、ちょっと見ないうちに色々と大きくなったじゃん」
「…………まあ、本当に色々あったからネ」
「ま、でもウチには全然及ばないけどねぇ! ワッハッハッハッハッハッ!!」
腰に両手を当て胸を揺らして大笑い。うん、ララちゃんは前会った時からまったく変わっていないネ。色々と羨ましいヨ。
「二人ともぉ、そろそろ良いかしらぁ?」
「おっとすみません。ついついはしゃいでしまっちゃった」
「うん、よろしい。それでハトさんを呼んだ理由なんだけど━━━━」
『いやだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
鼓膜を破るような甲高い声がメイちゃんの言葉を遮った。
その声は監視カメラのスピーカーから発せられており、必然的にわたし達の視線は監視カメラの映像へと向けられた。
『いやだぁぁ! いたいのやだぁぁ!!』
『少しチクッってするだけで痛くないから大丈夫よ〜』
『いやだ、うわぁぁぁぁん!!』
そこには注射器を片手に困った表情を浮かべている看護服に身を包んだ女性。━━━━そして両手をぶんぶんと振り回しながら駄々をこねているシャーナちゃんの姿が。
その光景はまさしく注射を嫌がる子供の姿そのものだった。
訝しげに視線をメイちゃんの方へ戻すと、彼女は申し訳無さそうにして俯いていた。
「………………これが理由よぉ。彼女が泣きじゃくって採血ができないから困っているのぉ」
「つまりわたしがシャーナちゃんに注射を我慢するように説得して欲しいということ?」
「そうよぉ、彼女はハトさんに懐いてるから言うこと聞いてくれるかもぉ、って。あははぁ…………」
たぶんわたしがジェーンちゃんと検査機を取りに行っている間、ずうっと駄々をこねるシャーナちゃんと熱い戦いを繰り広げていたのだ。漏れ出る乾いた笑いと疲労感漂う瞼がそれを物語っている。
━━━━その雰囲気を感じてなんというか、なんというか、メイちゃんがとても不憫だと思った。本当に可哀想って。
一方のララちゃんは「うるさいなぁ」とぼやきながらイスに座ってぼーっとしている。まあイブちゃんと交友が無かった彼女はシャーナちゃんの正体について詳しく知らないから仕方ないだろう。
「………………」
もう一度モニターへ目を向けても変わらずシャーナちゃんがわんわんと泣きじゃくり、看護師さんが冷や汗混じりに奮闘している。
「………………お願いしても良いかしらぁ」
「………………うん、行ってくるヨ」
そうしてわたしは約十八時間振りに、シャーナちゃんとの再会を果たしに行くのであった。
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「失礼します…………」
「良い子だからお願いよ、本当にチクッてするだけだから〜」
「いやぁぁぁぁ!! うわぁぁぁーん!」
監視室から出て収容室への重い扉を開いて中へ入ると、先程の監視カメラに映っていた光景が未だに続いていた。
注射を嫌がり泣きじゃくるシャーナちゃんを窘める看護師さん。
まさしく小児科病院でよくありそうな光景そのもの━━━まあ駄々を捏ねてるのは十五歳の顔をしたシャーナちゃんなんだけどネ。
━━━━━さてと、このカオスな状況にどうやって入り込もうかなぁ。
「うわぁぁぁぁ…………、あ、おねえちゃん!!」
「…………あ、早々に見つかった」
わたしの顔をシャーナちゃんは、まるで金色に輝く一番星のような笑顔を浮かべながら駆け寄って来た。そしてその両手を大きく広げて、思いっきり抱き付いて来るのであった。
ちなみに、今のシャーナちゃんはわたしより圧倒的に身長が高い。何度も言うけど元々はイブちゃんの身体だからネ。
━━━━つまりどうなるかと言うと。
「あいたかったよぉ!! シャーナうれしい!!」
「うえっ、しゃ、シャーナちゃん、胸が…………く、くるし…………」
こうなるわけである。
シャーナちゃんの身体に包まれるようにして、わたしの顔が埋もれてしまうのだ。シャーナちゃんの胸の中に。
あははは、わたしはなんてしあわせものなんダー。
そうしてしばらくの間、再会の抱擁を交わしたわたしとシャーナちゃんは、ベッドへと戻ってお互いに顔を見合わせていた。
「それで、さっきまですごい泣いていたけど。…………シャーナちゃん、何があったか教えてくれる?」
「うん! あのねあのね、あのひとがうでにトゲトゲをさそうとしてきたの!」
シャーナちゃんは刺されそうになった右腕を抱きしめながら明確な拒否を示した。その奥では注射を看護師さんが「どうしましょう」と言うような苦笑いを浮かべてその場で立ち尽くしている。
「そうなんだね。でもどうしてあのトゲトゲを刺されるのが嫌なの?」
「いたいのやだ! あと…………トゲトゲをみるとあたまがきゅうってなる………………」
「頭が、きゅうって?」
「………………うん」
「そうなんだ、話してくれてありがとね」
両手で守るように頭を覆いながらシャーナちゃんは涙混じりに答えた。
頭が締め付けられるような感覚。理由はわからないけどシャーナちゃんはその感覚があるから注射を嫌がったようだ。
なら、わたしがやるべきことは━━━━彼女に寄り添ってあげること。
「お注射が怖いならさ、お姉ちゃんが一緒にいてあげるからさ。お注射、頑張ってみないかな」
「でも……………こわいよ」
「大丈夫、シャーナちゃんは強いから! あとはそうだね…………お注射頑張ったら明日は一緒に遊ぼうか!」
━━━━その言葉を聞いて、シャーナちゃんは勢いよく顔を見上げた。その瞳は期待で輝いている。
「ほんと!?」
「うんほんとだよ。だから、どうかな?」
「う、うん! シャーナ…………がんばる!」
身体は大きいけど心は幼い彼女は小さな決意をした。
そうしてシャーナちゃんはわたしの手をギュッと強く握り締め続けながらも注射を最後までやり切ったのだった。
━━━━偉いね、シャーナちゃんは。
「おねえちゃん、あしたはいっしょだよ」
「うん、約束だからネ」




