第112話 秘めごとを隠して
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「メイちゃん、今大丈夫かな?」
コンコンと、部屋のドアで小気味良いリズムを響かせると、わたしはその奥にいる人物へと声を掛けた。
「ハトさん? 少し待っててねぇ」
わたしとアナさんとヒバリさんによるメイちゃんの本の中身を見てみよう作戦。
その作戦の内容は、メイちゃんを別の場所に連れて行って、部屋に誰もいなくなった隙に本を見るというもの。
これならメイちゃんにバレる事もない。まさしく完璧な作戦だネ。
そしてメイちゃんと仲の良いわたしが最初の役割を担うことになった。
少し良心が痛むけど、全力で頑張るぞ!
「お待たせぇ。ハトさんが私の部屋を尋ねるなんて珍しいわねぇ」
「う、うん。す、少しお話ししたい事があってネ。た、たた、立ち話もなんだから休憩室で話さない?」
「?」
唐突な訪問。そして内容が不透明すぎる要件にメイちゃんは小首を傾げていた。
このいくらなんでも怪しすぎる状況、廊下の角で様子を眺めているヒバリさんも「こりゃあアカンわ」と頭を抱えている。
――――うん、やっぱりわたしはこういうのは苦手だネ。
「えーとぉ、お話しなら私の部屋でも大丈夫よぉ」
「え。いやいやいやいやいや。そんな気を遣わないで大丈夫だヨ! た、ただメイちゃんと雑談したいと思っただけだからさ!」
「うーん? わかったわぁ、それじゃあ休憩室に行きましょう」
怪しまれながらもわたしはメイちゃんを誘い込むことに成功した。
この成果にアナさんは「ハトさんナイスです!」と親指を立ててくれた。
休憩室に移動したわたし達は各々の飲み物を手にしながら空いているテーブルへと腰を下ろした。
そしてメイちゃんはお水を一口飲んでぽつりと。
「それでぇ、ハトさんは何を企んでいるのかしらぁ?」
「え、ええ? ど、どういうことかなぁ?」
「そんなあからさまに吃っていたら『わたしは企んでいます』って言っているようなものよぉ」
――――まさかこんなに早くバレるとは思わなかった。
いや! でも知られているのは『企んでいることだけ』で肝心の内容はバレてない。
このまま時間を稼げばまだ行ける…………と思う!
「さ、さあねぇ。気になるなら当ててみてネ」
「あらぁ、そんなこと言うなんてハトさんも悪い子になったわねぇ。…………そうねぇ、こういうことをハトさんが一人でやるとは思えない。少なくとも誰かから誘われているわよねぇ」
「うぐっ!」
「そしてさっき私の部屋でお話ししようとした時に焦っていたことを考えるとぉ――――ハトさんが私をここまで連れ込み、残ったお仲間が私のお部屋で何か悪いことをしようとしているのかしらぁ?」
「………………」
その瞬間、完璧な作戦が無惨に瓦解する音が聞こえた。
まさか作戦のほとんどを当てられてしまうとは思ってもいなかった。
これが【天門台最高戦力】であるメイちゃんの実力の一端なのか。わたしはただただ口をあんぐりと開けながら絶句するしかなかった。
「ふふふ、どうやら正解のようねぇ。どうしてこんなことしたのかしらぁ?」
「誰かを誘い込んでみるのがスパイ映画みたいで、ちょっとだけ面白そうだと思ったんです…………」
「あらぁ、ハトさんも年頃の女の子なのねぇ。でーも、それで他の女性にイタズラしちゃだめよぉ」
「ご、ごめんなさい…………」
ばつが悪く俯くわたしに、メイちゃんは優しく、しかし確かな厳しさを言葉に乗せていた。
――――うん、怪我が治ったことでちょっとだけ調子に乗っちゃった。反省しないとネ。
「それでぇ、ハトさん達は私のお部屋で何をするつもりなのかしらぁ?」
「えーと、メイちゃんがいつも読んでいる本を見ようとしてるんだ。その本にメイちゃんの実力の秘訣があるんじゃないかと思って」
「え、それって――――」
瞬間、今までの優しげで暖かった眼差しが冷たく凍り付いた。
そして今にも表情の色すらも抜け落ちそうになろうとした、その瞬間――――
『きゃあぁぁぁぁぁぁ!』
黄色い叫びが木霊した。
この叫びに休憩室内にいた隊員達の中には戸惑いが生まれるが、わたしだけは違った。
何故ならこの叫び声を上げた人物を知っているからだ。
「アナさん?」
「…………お部屋に戻りましょうねぇ」
そうしてメイちゃんは呆れ気味に立ち上がると、足早に休憩室を後にする。
「ちょ、ちょっとメイちゃん!」
何が起きたかわからないけど、わたしもメイちゃんの後ろを付いていくのだった。
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メイちゃんの部屋を一言で現すなら【小さな図書館】だった。
入った瞬間に鼻をくすぐる本の香りが出迎え、壁に敷き詰められた茶色い本棚には布製のブックカバーを羽織った本達が入れられており。
そして部屋の端には、座り心地の良さそうなイス。そしてイスの隣にあるテーブルには大きなカップとタブレット端末が置かれていた。
本来ならシックな図書館を思わせる落ち着いたお部屋だったのだろう――――しかし今この部屋はまさしく惨状と化していた。
「はわ…………はわわ…………」
「きゅう…………こんなのあんまりや…………」
本棚にあったであろういくつかの本が落ち、その傍らでアナさん達がまるで陸に打ち上げられた魚のようにくねくねと動き回りながら床で悶えるように倒れていた。
そしてその手には開かれた本が握られており、彼女達がその本を読んでいたということを証明していた。
まさしく惨状――――死屍累々。それを見たメイちゃんは大きなため息を吐くしかなかった。
「二人とも、なんでこんなことに…………?」
「…………本を読んだからよぉ」
「え、本を読んだだけで?」
二人が何故こうなったのか。どれほどまでの事があるとこんなことになるのか。
わたしの中で湧き上がる疑問と興味が好奇心となって、手近にあった本に手を伸ばさせた。
「…………これ、ちょっと読んでみてもいいかな?」
「え、メイさんちょっと待っ…………」
一度湧き上がった好奇心が収まるはずもなく。
メイさんの静止の声も虚しく、わたしは拾った本へと目を通した――――通してしまった。
『ねぇ、電気を消して。私、貴方の顔を…………んっ』
『照れる君も可愛いね。でも今は僕と…………ね』
『…………いじわる。…………優しくしてよね』
有り体に言えばそれは小説だった。
しかしそこに書かれていたのは女性と男性による純朴な恋模様、――――そしてその先にある二人だけの【営み】だった。
そのありありとした描写に二人の艶やかな声が文字を通してありありと聞こえてくる。
「あ……あわわわ…………」
額を伝う汗、高なる心臓、そして紅潮する頬。
心の中のなにかが熱くなると同時にこれまでに感じたことのない感情が湧き上がってくる。
このままどうにかなってしまいそう――――
「はぁい、これは没収するわねぇ」
「あ…………」
――――その時、メイちゃんの手がわたしの心を引き戻した。
その表情は達観を通り越して悟りの境地に至っていた。
「ハトさん」
「は、はい」
「貴女は何も見なかったわよねぇ?」
「え…………?」
「なぁにぃもぉ、見なかったわよねぇ?」
「はい! わたしは何も見てなかったです!」
笑顔と共に発せられる肌が燃えるような感覚。そこには十芒星すらも凌駕する――――明確な死の恐怖があった。
そんな背後に忍び寄る死の気配にわたしの口は勝手に動き、身体は勝手に敬礼の姿勢を取っていた。
それを見たメイちゃんは優しげな笑顔のままうんうんと頷く。
「うん、よろしい。それじゃあもう行って良いわよぉ。そこの二人は私がなんとかしておくわぁ」
「わ、わかった! それじゃあネ!」
そうしてわたしは逃げるように部屋を後にする。
「さあ、二人とも起きてぇ」
「はわわ…………これがおとなの世界…………?」
「きゅう…………アカン、こんなんすけべすぎるわ…………」
部屋を出る直前、アナさんとヒバリさんを抱き起こすメイちゃんの姿が目に映った。
二人は大丈夫だろうか。そんなことを心配してもどうしようもない。
わたしは全てを忘れて、キャンディ・ショップへと歩いて行き、こうしてわたしの土曜日が過ぎて行くのだった。
――――ちなみに後日、二人にこの出来事についてそれとなく聞いたら、「な、なんのことかわからないです」や「知らん知らーん! ウチはなーんも見てないわ!」と言われてしまった。
――――メイちゃん恐るべし。さすが【天門台最高戦力】だネ。




