第106話 火曜日、プライドの行き先
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その部屋に入って最初に感じたのは、異様なほどの『静かさ』だった。
わたしと同じような白を基調とした隊員用の個室。しかしそこには介護用アシストベッドが一台と、テーブルと椅子が一つずつ、そして壁に立て掛けるようにして置かれたアップライトピアノしかなかった。
――――まるでそれ以外に必要な物は無いとでも言うように。
「さ、何も無い部屋だけどゆっくりとくつろいでくれ」
「そうするネ。あ、自販機で買ったこれ一緒に飲も」
「ミルクティーか、ありがとう」
二人でテーブルに着いてミルクティーを飲んだ。
紅茶の風味とミルクのまろやかさ、そして砂糖の甘さが口の中に広がっていく。
――――これ飲んだのも、久しぶりだな。
懐かしさに包まれながら、わたしは久しぶりに感じる味に現を抜かすのだった。
そうしているときにふと、ヒトミちゃんの方を見ると、彼女は目を細めて笑みを作りながらわたしを見つめていた。
「どうしたの?」
「いや、懐かしいなあって思ったんだ。ハトが防衛部隊に居た時は、訓練の後にいつもそれを飲んでいたからな」
「訓練の後のミルクティーが美味しかったからネ。でも今はコーヒーも飲むヨ」
「そうか。ハトも色々変わったんだな」
かつてのわたし――――ヴィーナス討伐作戦より前のわたしは防衛部隊で【罠師】の役割を担っていた。
敵を星電器で拘束させ、味方をサポートする。まさしく地味な裏方だ。
だけど自分で言うのもなんだけど、防衛部隊でのわたしはそれなりに優秀だったと思う。
そのおかげで部隊のみんなとは仲が良く、今でもこうして気兼ねなくお話しがすることができているのだ。
「変わったと言えば、みんなの装備が変わっていたネ」
「ああ、それぞれの肌に合った武器を選んでいるらしい。そういえばその中のいくつかはハトがテスターをしていたな」
「ララちゃんの使っていた剣火鏡とアイラちゃんのミルキー・シールドだネ。エミちゃんは…………なんか変な煙を出すヤツ」
「崩解星雲と言うらしい。エミ自身が開発した科学兵器だ。アイツも昔から実験が好きだったからなぁ…………エミらしいよ」
「確かに笑っているエミちゃんを見てるとそれっぽい感じはするなぁ」
「それに目立ちたがり屋のララベルは剣を持って豪快に切り込んで行くし。真面目で堅実なアイラは盾で守りを固めている。各々の個性が装備という形で出て来ているって思ったものだよ…………本当にアイツらは変わらない」
そう言って防衛部隊のみんなについて話すヒトミちゃんからは、温かい紅茶のような思い出の香りが漂っていた。
――――とても嬉しそうで、寂しそうな香りが。
「相変わらず仲が良いんだネ。なんか羨ましい」
「みんな大学時代からの同期だからな。腐れ縁もここまで続けば感慨深いものだよ」
「………………」
ふと、わたしの中で黒く濁るような感情が湧き出る。
――――嫉妬。大切な人をまだ失っていないヒトミちゃんに、わたしは嫉妬したのだ。
その傷痕が無いことが。その痛みを知らないことが――――羨ましいと。
――――それでも。
「大切な思い出…………大切にしてネ」
そんな傷なんて、無い方が良い。
だからわたしは吐き出そうになった怨嗟を飲み込んで、心からの願いを吐き出した。
「…………ああ、そうだな」
わたしの言葉にヒトミちゃんは静かに頷くと。何かを考えるようにミルクティーを一口飲んだ。
「……………」
「……………」
そして凍るような沈黙が訪れた。
会話は途切れ、まるで標的を狙う狙撃手のように、お互いが相手の次の言葉を待ち続ける。
「はは、ハトは変わったな。前に比べて大人になった」
「え、そうかな…………?」
「そうだよ。防衛部隊に居た頃とはすごい違いだ。私なんかよりも立派で…………強い」
「うん。まあ、色々あったから………ネ」
本当に、本当に色々あった。とても言葉で言い表せないほどに。
そうしてペットボトルの中のミルクティーが空になった。
だけど底に溜まった薄茶色のミルクがペットボトルの底でこびり付いていた。
――――まるで未だに昔の傷痕に執着し続けているわたしのように。
そんな顔を伏せたわたしを見て、ヒトミちゃんは誤魔化すようにふっ、と笑うように息を吐いた。
「そろそろお開きにしようか。だけど最後に一つだけ、質問させて欲しい」
「なにを聞きたいの?」
「――――今の私たちはあの【紅い十芒星】に勝てるか?」
――――それは今までの朗らかな雰囲気とは程遠い。重苦しく、もはや怨念とも言うべき圧力のある問いだった。
マーズ。それは今までニュー・トウキョウを守り続けた防衛部隊に対して明確な敗北を突き付けた存在。
それは同時に彼女達のプライドをこれでもかと打ち砕いたのだ。その苦痛と『晴らしたい』という思いは計り知れない。
「正直に言ってくれて良い。ハトの目から今の私たちはどう映っているのか教えて欲しいんだ」
故にわたしに質問したのだろう。三度も十芒星と戦ったわたしに。
――――ヒトミさんは真剣だ。ならわたしもそれに応えよう。
「…………無理だネ。今のままじゃ絶対に勝てない」
「理由を教えてくれ」
「決定的に『連携』が不足しているんだ。
防衛部隊はあくまでも『守り』に重きを置いた部隊。多数の敵に対して的確に対処するには充分な力はあるけど、強力な敵に対しては力不足なんだ」
「力不足…………だけど!」
「訓練を見て思った。ララベルさんの切り込み能力は確かに強力だヨ。でももし相手が十芒星となるとその行為は明確な『自殺行為』だ。
アイラさんとエミさん関してもそう。ミルキー・シールドで攻撃を防ぐのにも限界はある。そのためには陣光衛星のバリアとの連携が必要不可欠なんだ。でもあの訓練の時は二人とも各々のことで精一杯だった」
今の防衛部隊は個々の力をそれぞれ引き出す、まるで足し算のような戦い方だ。
七芒星や八芒星ならその戦い方でも充分だろう。
だけど――――十芒星を相手にするなら話は変わる。
「足し算の力だけじゃ足りない…………連携による掛け算の力が無いと十芒星は絶対に倒せない」
「………………ッ!」
思い当たるところがあるのか。ヒトミちゃんはだそうとした言葉を飲み込んで車椅子の肘掛けに手を置いた。
「続けてくれ。あとは何が足りない?」
「あとは…………明確な『火力』。ヒトミさんの天太芒炎鏡はジュリアちゃんの天太芒炎鏡とは違って射程はあるけど威力が低いよネ。
それでも七芒星や八芒星なら容易に撃ち貫けるけど、十芒星だと――――絶対に足りない。あの時の戦いでもマーズの注意を引くことはできてたけど、ダメージはそこまで与えてられなかった。――――でも」
「いや、いいよ。下手な慰めはいらない」
ヒトミちゃんはわたしの言葉を遮ると観念したかのように部屋の天井を仰いだ。
おそらく防衛部隊の【欠点】は元々わかっていたのだろう。しかしそれでもわたしという客観的な意見が欲しかったのだ。
決意を――――【プライド】の行き先を固めるために。
「今日はありがとう、またゆっくりと話そう」
「うん。…………頑張ってネ」
「もちろんだ。腕、お大事にな」
ヒトミちゃんとのお茶会を終えて、わたしは部屋を後にした。
そうして自室に向かっている時、ふと最後の会話を思い出す。
「…………負けたら、悔しいよネ」
プライド、執念――――『晴らしたい』。
今の彼女達の中でどんな思いを募らせているのかなんて、わたしに知るよしはない。
だけど、あの時に見たヒトミちゃんの眼は――――ギラギラに輝いていた。
そんな昂る気持ちを肌に感じながら、わたしの火曜日は過ぎていくのだった。