表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いのちのパン屋さん〜復活の三日目〜  作者: 地野千塩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/58

心の傷とパスクワの羊(2)

 放課後、歩美は教室に一人で残り、プリントを作っていた。正確にいえば作らされていた。担任に頼まれ、プロントをホッチキスで閉じていた。正直なところ面倒な作業ではあったが、手を動かしていると、最近の諸々の不調は忘れられていた。


 教室の窓からは、オレンジ色の日差しが差し込んでいた。少し眩しいぐらいだったが、もう夕方のようだ。他の生徒達ももう学校から帰っているようだが、歩美はあまり帰りたい気分ではない。親も仕事で家にいない。一人で夕飯を食べていると、虚しくなってくる。


『死ね、歩美なんて消えちゃえ!』


 その声は聞こえてくる事があり、手を動かそながらも歩美の表情は暗かった。


「あんた、なんなの?」


 思わず声に反応してしまった。こんな声に反応している自分は、客観的にみたらおかしい存在だろうが、うっかり反応してしまった。こんな事は初めてだったが、たぶん少し疲れていたのだろう。


 その声は数々の罵倒を繰り返しているだけで、会話は成立しなかった。ただ、ずっと声を聞いていると、自分の思考と混じり、どれが自分の考えなのか区別出来なくなってきた。


「私は死ぬべきなのか。いじめなんてしたから、当然?」


 そんな言葉も溢れてくる。本格的に疲れているらしい。


「あれ、歩美。残ってたの?」


 そこに友達の春歌が教室の入ってきた。いじめっ子だった自分にも何故か優しく接してくれて、洗礼にまで導いてくれた人物だ。見た目は典型的な優等生で真面目そうだ。実際、生徒会の仕事もしている。この時間まで残っているのは、その仕事をしていたせいだろう。


「歩美、どうしたの? 顔真っ青だよ」


 春歌は歩美の目の前の席に座る。なぜか視線は歩美の背後に向いていた。


「え、私の背後らへんの何かいる?」

「いるって言うか」


 春歌は困ったように眉根をよせ、その答えは言わなかった。真面目な優等生タイプだが、時々少し変わったところもあった。「うわ、ここ姦淫の悪霊がいる」と一人で呟いている事もあったが、どういう事なのかよくわからない。そういえば悪霊は聖書にも書かれているが、最近は諸々の体調不良で全く読めずにいた。なぜか聖書に手を伸ばそうとすると、強い吐き気が込み上げてきたり、祈ろうとすると電話が鳴ったり宅配業者が来たり、邪魔されているような感覚を覚えていた。


 春歌も同じクリスチャンという事もあり、この事について相談してみた。もちろん、兄にされた事などは決して口外できないが。


「あぁ、それは邪魔されてるわ」

「そんな事できるの?」

「悪霊側からしたら、今まで自分たちの仲間だったのに、急に抜けたわけでしょ? 再びそっちに連れ戻そうとするのは、よくある事だよ。ヤンキー仲間が突然優等生なったら焦るのと同じで。うちの親も牧師だから、そういう話はあるある」


 だからと言って、どうするべきなのかわからない。


「罪を犯している隣人がいたら裁かないでスルーしろっていう考もあるけど、私はそうは思わないんだよね」


 春歌は今度は真っ直ぐに歩美を見つめていた。


「え、私は罪なんてしてないから」

「本当に? 神様に隠し事しているのも罪だよ。もし、子供が怪我しているのに、黙って隠していたら親はどう思う? 早く言えって怒るでしょ?」


 確かに聖書では、神様は親、クリスチャンは子供のように表現されていた。実際、祈る時も「父なる神様」と呼びかける。


「別に裁いてるわけじゃないよ。歩美が心配になっただけ。大きなお世話だったら、ごめんね。今の時代はお節介も出来ないから、嫌だよね」


 春歌の気持ちはわかる。自分が悪役になってもいいから、耳の痛い事も言ってくれているのだろう。


「でも……」


 隠している心の傷をどうやって神様にいえばいいのかわからない。


「第一ペテロ二章になんて書いてあったか覚えてる?」


 そう言われても、最近は聖書を読んでいないから忘れていた。


「イエス様が十字架で受けた傷によって、あなたは癒されましたって書いてあるよ。歩美の心の傷も代わりに背負ってくれたよ」


 そう言われても、今の歩美は、すぐに頷く事ができなかった。


「神様は時間がないお方だから二千年前の十字架は、今でも信じれば有効。さっさと心にあるものは、神様に明け渡した方がいいよ」


 春歌の声も目も優しく、裁いている雰囲気はなかった。むしろ、自分の事を心配してくれる事は伝わってはくる。詳しく事情を話してなくても、今は全く笑えていないので、春歌を心配させていたのは事実もようだった。思えば、自分のようないじめっ子に春歌は一貫して優しかった。彼女の言う事は、嘘ではないと思ったりする。


「うーん、だったら歩美。福音ベーカリーに行ったら? 何かヒントが見つかるかもよ」

「福音ベーカリーか……」


 福音ベーカリーは、学校の近くの住宅街にあるパン屋だった。その店名通りクリスチャンが経営しているパン屋だった。小さなパン屋で、商品はどれもおいしく、時々春歌や光と一緒に食べに行く事も多かった。店員はよく変わり、今は橋本瑠偉という若い男性が経営しているようだった。寡黙なイケメンという雰囲気で、話し方も落ち着いた男だった。ただ、兄のことを思い出してからは、男と話すのも嫌で全く足を運んでいなかった。


「今はイースターで派手なパンとかあるみたいね」

「へえ」

「大丈夫よ。あそこの店員は、色気とかないしね」


 なぜか春歌は、そんな言葉を口にしていた。まるで、自分の気持ちを見透かされたようだが、気のせいと思いたい。確かにあそこのパン屋の店員は、なぜか性別不詳というか、色気はなかった。


「このプリントの仕事、代わりにやっておくし、歩美は早く帰った方がいいかもね」

「いいの?」

「うん、その前に一緒に祈ろうか」


 春歌としばらく一緒に祈っていた。祈っていると、あの声は全く聞こえなくなっていた。そういえば春歌といる時もあの声は聞こえない。


 何か関係があるのだろうか。もしかしたら、あの声の主は、悪魔か悪霊だろうか。そう思うと筋が通ってしまう。その正体がわかり、少しホッとはしてきた。祈りで何かヒントが与えられたのかもしれない。


「じゃあ、春歌。ありがとう」

「いや、いいのよ。気をつけてね」


 春歌と別れ、学校を後にする。空は青黒くなっている。もう夕方というより夜に近いのかもしれない。


 暗くなっていく空を見ながら、以前よりは心が軽くはなっていた。やはり、祈りの力はあるのかもしれない。そんな事を思いながら、今、心に抱えている事を神様に明け渡す必要も感じていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ