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84話『光り輝く未来を願って』

 年が明け、季節は移ろう。

 春を告げる鳥が山里でさえずり始めた頃である。

 戦後の諸々を終え、俺たちはエルトゥランに帰ってきていた。


 空は澄んで青いが、まだ少し肌寒い。

 俺はティアナートとベルメッタの三人で、朝から山登りに出ていた。


 エルトゥラン王城のすぐそばには東側城壁と密接する山がある。

 山肌に岩が尖ったこの山は神門山と呼ばれていた。

 なぜそう呼ぶのかというと、山頂に神門なる建築物があるからだ。

 神門は石材を切り出して作られたもので、形としては鳥居に似ている。

 高さが五メートルはあろう大きなもので、巨人が通ることでも想定しているのかと思うような、見上げれば誰もが圧倒される歴史的建築物である。


 ちなみにエルトゥラン王国では正月に、この神門に参拝する風習がある。

 神門は人の世と神の御座とを繋ぐ門なのだとか。

 この門に祈りを捧げることで、遠くにおわす神々に感謝を伝えるらしい。

 俺が知るところの初詣と同じものと考えていいだろう。


 あまり足場の良くない山道を上って、俺たちは神門の前まで来た。

 ティアナートは巨大な門の前に立ち、背筋を伸ばして右手を左胸に当てた。

 エルトゥラン式の敬礼の姿勢で戦勝報告と感謝の黙祷を行う。

 彼女から二歩下がった位置で俺も同じように黙祷する。

 俺からまた二歩下がった位置にいるベルメッタも同様だ。


「昨年は本当に大変だった……今年こそはもう少し静かに、落ち着いた日々を送りたいものです」


 神門を見上げて、ティアナートが呟く。

 その時、不意に強い風が吹いた。

 彼女の長く伸びた金色の髪がたなびき煌めく。


 ここは山の上だから風の抜けがいいのだろう。

 地理学的にはそうなるが、今は都合のいい感じ方をしても面白そうだ。

 ここは神の御前なのだから突風も一つの神託かもしれない。

 お前の悩みや苦しみは吹き飛ばしてやった。

 だから肩の荷を軽くして行きなさい、みたいな。

 そんなメッセージだと思えば、少しは救われるかもしれない。


「それでは、行きましょう」


 神門のお参りを済ませ、俺は最後尾から二人についていく。

 道を下り始めたところ、先を行く二人が来た道とは違う横道へとそれた。

 また別の参拝所でもあるのかと思っていると、小さな若木を一本見つける。

 まだ腰くらいの高さしかない幼い木なのだが、何やら不思議な気配がする。

 ティアナートはその前で足を止め、俺の方へと向き直った。


「私の父と母のお墓です。一段落したらと思っていたのですが、ずいぶん遅くなってしまいました」


 ティアナートはベルメッタから花束を受け取り、若木の前に供える。

 樹木葬というやつだろうか。

 墓石の代わりに木を植える埋葬のことだ。


 俺は正常な方の右目を閉じ、灰色に濁ってぼやけた左目で若木を見てみる。

 不思議なもので視力が落ちた俺の左目は、実在するものが見えにくくなった代わりに、本来は見えないものがよく見えるようになっていた。


 若木のそばに薄っすらと浮かんだ二人の輪郭に、俺は微笑んだ。

 左に立つ優しそうな男性がティアナートのお父さんだろうか。

 隣に並んで立つ、気が強そうな女性はお母さんだと思う。

 墓前で膝をついて黙祷する娘の姿を、二人は穏やかな笑顔で見守っていた。


 俺は以前、ご両親の墓を探したことがあったが見つからないわけだ。

 町外れの共同墓地ではなく、別の場所に埋葬されていたのだから。


「山の上から、ずっと見守ってくれていたんですね」


 俺が言うと、ティアナートはそのままの姿勢で言葉を返してくる。


「絶えない揉め事に気が気でなかったでしょうけど」

「でも今は笑ってくれていると思いますよ」

「……そうだと嬉しい」


 ティアナートは立ち上がって、スカートの膝の汚れを払った。


「多くの人たちに助けられて、どうにか私は立っていられる。去っていった人たちに笑われないように。今を生きる人たちが笑って暮らせるように。私は女王として今まで以上に努めていかなければならない」


 そして、くるりと振り返った彼女の顔は前向きで明るいものだった。

 未来を見ている顔、俺が好きな顔だ。


「ティアナートさん。一つ渡したいものがあるんですけど」

「なんでしょう?」


 俺は作務衣の懐に右手を入れて――その時である。


「シロガネ様!」


 ベルメッタが大声を出して、来た道を指さす。

 何をそんなに慌てているのかと俺は振り返り、即座に気持ちを切り替えた。


 フード付きの外套を纏った何者かが横道に入ってきている。

 目にかかった前髪の色は白だ。

 鞘に納めた剣を杖代わりにして、ぜぇはぁと息苦しそうに向かってくる。


 俺は二人に下がるよう、右腕を横に伸ばして合図した。

 それから前に出て、不審者を待ち受ける。

 外套の不審者は俺の前まで来て、かきあげるようにそのフードを外した。


「久しぶりだね……シロガネお兄さん……」


 ロタンである。

 いつものかわいらしい笑顔ではなく、痩せて病的な容貌をしていた。

 顔色は蒼白で、目は野犬のようにぎらついている。

 杖代わりの剣に体重を預けないと、まともに立っていられないようだった。


「ロタンさん。どうしてここに?」

「お兄さんに会いに来たんだよ……お礼参りはしないといけないでしょ……?」


 声を出すのも辛そうだ。

 何か呼吸器に問題を抱えているように見える。

 最後に相対した時、俺は彼の右胸を槍で貫いた。

 生きている方が不思議なほどの負傷である。

 不死身じみたロタンでもさすがに治癒しきらなかったのだろう。

 あるいは黒星辰剣が彼の再生力に一役買っていたのかもしれない。

 その黒星辰剣は今、俺が着た作務衣の下の腹帯に仕込んである。


「お父さんと……友達の仇だ……」


 ロタンは左手で鞘を握り、剣の柄に右手を添えた。

 俺はすかさず手の平を見せ、待ったをかける。


「待ってくださいロタンさん。剣を抜く前に少しだけ話をさせてください。ライムンドさんから言伝を預かっているんです」

「お父さんから……?」


 ロタンは眉間にしわを寄せた。

 そうだと俺は頷く。


「人生は楽しめ、と。ライムンドさんはその一言を俺に託したんです」

「……だったらどうだって言うのさ?」


 上目遣いでにらんでくる。

 俺は苦々しく奥歯を噛みしめる。

 たぶんロタンは、親の仇が吐く綺麗事なんて聞きたくないだろう。

 それでもできることなら、もうこれ以上の人死には避けたい。

 だから俺は言う。


「その剣を抜いたら、俺は貴方を殺さないといけなくなる。それはライムンドさんが望んでいることではないと思います。だから、やめてください」

「……こんな気分になったのは何年ぶりかなぁ?」


 ロタンは体が傾くほどに、首を横へと傾けた。


「大好きな人が酷い目に遭わされたら、すっごく気分が悪いでしょ? 我慢するほど胸の奥がどろどろに煮立って吐き気がするんだ。こんな気持ちを抱えたままじゃあ、なんにも楽しくないよねえ? お父さんの望みって言うなら、このまま僕に斬られてよ」


 そう言って、ロタンはいびつに笑う。

 戦争が終わったからといって、人の感情までリセットされるわけじゃない。

 恨みや憎しみは鎖のように繋がっていく。

 その一端を担った以上、俺は覚悟をしなければならない。

 受け入れて死ぬか、殺して断ち切るか。

 もしも道が二つに一つなら俺は……そう思い、作務衣の懐に手を入れる。


 しかし俺は腹帯に仕込んだ黒星辰剣を抜かなかった。

 山道を駆け上がってくる新たな乱入者の存在に気付いたからだ。


「ロタァーン!」


 横道に入ってきたのは、ロタンと同じように外套を纏った大男だ。

 その赤茶色と黒の混ざった毛むくじゃらな顔は獣人族の血のさせるものだ。

 目の前までやって来た友人を、ロタンは口を開けたままで迎えた。


「トトチト……? 死んだんじゃ……」

「ギリ間に合ったな。つか勝手に殺すんじゃねえよ。まぁそいつに助けられてなきゃ本当に死んでたけどよ」


 トトチトが顎をしゃくって、俺のことを言う。

 巣立ち口の戦いで俺は、倒れていたトトチトを山林の外まで引っ張り出した。

 ただし俺がやったのはそれだけで、その後はほったらかしだ。

 あの後、戦いは追撃戦から首都エルバロン突入まで止まらなかったため、俺がトトチトを助けたというのは正確ではない。


 山と一緒に焼かれずに済んだトトチトは目覚めた後、エルバロンに来た。

 駐留していたエルトゥラン軍に捕まったので、俺に会わせろと言ったところ、救世主様の知り合いの獣人扱いされて、傷の治療をしてもらえたのだという。

 そんな流れになったのも俺がイツラと王城奪還をやったという背景があるからなので、ほんの少しの欠片ほどは俺の功績なのかもしれない。


 トトチトは割り込むように俺とロタンの間に立った。

 ロタンは片目を閉じて、苛立った顔をする。


「どいてよ。何でトトチトが僕の邪魔をするのさ?」

「お前に死んでほしくないからに決まってんだろうが」


 トトチトは眉尻を下げて、諭すようにロタンに話しかける。


「仇を取りたいお前の気持ちはわかるよ。でもこいつはライムンドさんとサシでやり合って勝ったんだ。返り討ちに遭うってわかってたら止めるだろ。俺は親友に死んでほしくないんだ。だからずっとお前を探してた」

「トトチト……」


 ロタンは剣の柄から右手を離すと、もう立っていられないとばかりに、地面に膝と手をついた。


「でも、僕は……」


 うなだれるロタンにトトチトが寄り添い、その肩を優しく抱く。


「でかい休みが取れたらさ、色んなとこ旅してみようって言ってたろ? この世界はもっとずっと広いんだって、ライムンドさんも言ってた。一緒に見に行こうぜ。俺はお前と一緒に行きたいんだよ」

「…………」


 トトチトに脇の下から支えられて、ロタンは立ち上がった。

 もう俺のことを意識する気力はないようだった。

 ロタンを抱えながら、トトチトが俺の方を見てくる。


「じゃあな、シロガネ。もう二度と会わねえだろうけどな!」


 そう言って、彼らは背を向けた。

 道を戻っていく二人に、俺はもう一つ頼まれていた言伝を投げかけた。


「マリステラの教会のウラニアさんとメーニさんが言ってました! もっと気軽に帰ってこいって。忙しくても手紙くらい寄こせって!」


 その言葉がロタンに届いたかはわからない。

 二人が視界から消えるまで、俺はその場でじっと見送った。

 それから晴れた空を見上げて、ひとつ息を吐く。


 そんな俺の隣にティアナートがやって来た。

 こちらの顔を見て、何か言いたそうなのに黙ったままでいる。

 だから逆に俺が問いかけた。


「二人を帰したこと、甘いと思いますか?」


 ティアナートは『そうね』と頷いた。


「でも貴方の気持ちもわかる。もう人死には十分。穏便に事を済ませられるのなら、そうしたいのは私も同じ」


 何かを想うように、ティアナートは遠い目をする。

 その視線の遥か先には空と海とが交わる濃い青の水平線があった。


「けれども私たちは、必要な時には非情にならなければならない。それが上に立つ者の務め。シロガネ、貴方もその心構えだけは忘れないで」

「はい」


 言われなくてもそのつもりだった。

 もしまた同じようにロタンが武器を持って現れたら、何かよからぬ事を企んでいると知れたら、その時は躊躇なく俺が責任をもって対処する。

 でもどうかそんな事態にはならないでほしいと願うばかりだった。


「それはそれとして」


 ティアナートは俺の前に回ると、自身の動かない左腕の手首を掴み、はいと白手袋の左手を出してきた。


「私に渡したいものというのは?」

「あー、えーと……」


 俺が口ごもったのはすっかり気がそがれてしまったからだ。

 戦闘脳に切り替えた後すぐに、幸せ脳に切り替えることは難しい。


「すみません。また日をあらためて……」


 言いながら俺はおかしなことに気付いた。

 ティアナートはどうして左手を前に出しているのか。

 物を渡すという話なのに、どうして手の甲が上を向いているのか。

 ティアナートがどうしてそんなにわくわくした顔をしているのか。

 もしやと俺が顔を向けた途端、どうしてベルメッタが顔をそらしたのか。

 全てのことに合点がいった。


「ティアナートさん。わかっていて知らないふりをしていますよね?」


 俺がむーんとした顔をすると、ティアナートは楽しそうに笑った。


「仕方ないではないですか。文句があるならミスミスに言いなさい。仕事を完璧にするためと、私に寸法の確認をしに来たのですから」


 そういうわけかと苦笑しながら、俺は懐から小袋を取り出した。

 そしてその袋の中から、ミスミス姉弟に特注した指輪を取り出す。

 俺も男なのだから、こういうことはちゃんとした方がいいと思ったのだ。

 本当なら自分の手で鍛冶をして作りたかったくらいなのだが、動かない灰色の左腕ではさすがに無理だった。

 その代わりではないが、名前の刻印のところは手伝ってもらいながらも自分でやったので、許してほしいと思う。


「こういうのって、雰囲気が大事なんじゃないんですか?」

「父と母に生涯の伴侶を紹介する良い機会ではないですか。貴方が時と場所を選んで用意してくれたこと、私は感心したくらいです」


 ほらと急かされて、俺は指輪を彼女の左手の薬指にはめる。

 ティアナートはベルメッタを呼ぶと、同じ形の指輪を受け取った。

 俺はやれやれと思いながら左手を差し出し、指輪をはめてもらう。

 それはそれで悪い気はしない。

 そんな様子をベルメッタは横でニコニコしながら眺めていた。


「さ、こっちに来て」


 引っ張られるように、俺はティアナートと一緒に若木のお墓の前に立つ。

 俺は少し緊張して、姿勢を正した。


「お父様、お母様。私はこの人と結婚いたします。お二人のような良き夫婦になれるよう精進してまいりますので、どうか見守っていてください」


 ティアナートは右手を左胸に当てて、宣言するように堂々と言う。

 亡きご両親がどんな顔をしているかは、左目で見るまでもないだろう。

 俺は寄り添ってくれる人がいることに、心の底から温かくなるような嬉しさと安心感を感じながら、若木のお墓に深々と礼をした。


 そして、あらためて願う。

 俺たちの未来が光り輝くものでありますように、と。

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