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83話『せめて幕引きくらい』

 敵軍の総大将である宰相ライムンドの戦死を境目に、形勢は大きく傾いた。

 東西を燃え上がる山林に挟まれた巣立ち口中央部の平原において、エルトゥラン軍は敵伏兵部隊を挟み撃ちにする。

 これに前線の危機を察し、防衛線から前に出たトラネウス軍の後衛部隊がエルトゥラン軍前衛の背を突きに動き、互いに部隊を挟み合う混戦と化した。


 ここにおいて勝敗を分けたのは実戦経験の差だった。

 獣人族を相手にしてきたエルトゥラン軍はこの手の戦いに慣れていた。

 前衛部隊は素早く戦力を前後に分け、背を突きに来た敵の後衛部隊を防ぐ。

 その間に、挟み込んだ敵の伏兵部隊を容赦なく噛み砕いた。

 その勢いはまさに烈火の如くで、阿鼻叫喚の中に屍の山を築いた。


 局地的な合戦としては、この時点で勝敗は決まったと言える。

 トラネウス軍の後衛を率いる部隊長は戦況が読める指揮官だったのだろう。

 伏兵部隊の救援を諦め、味方の屍に背を向け逃走を開始した。


 これに対し総大将ドナンは徹底的な追撃を命じる。

 悲鳴を上げ、散り散りになって逃げるトラネウス兵を容赦なく追い立てた。

 夕方を過ぎ、夜になっても敵兵を追いかけた。

 もはやトラネウス軍は壊滅状態であった。


 ドナン将軍率いるエルトゥラン軍は追撃戦の勢いのまま夜通し進軍。

 夜が明けた頃、軍はついにトラネウス王国の首都エルバロンへと到来した。


 曇天の空から降る大粒の雪は英霊たちの涙だろうか。

 まだ薄暗く冷え切った町に兵士たちの足音が響き渡る。

 何の騒ぎだと、コンクリート造りの集合住宅の窓から顔を出したエルバロンの住民たちは、外の様子にこれは何の夢かと目をこすったことだろう。

 隣国の軍隊が大通りを駆け抜けていく様に、我に返った住民たちは慌てて戸締りをし、家の中で息を潜めて震え上がった。


 町を十字に区切る大通りの中心で曲がり、東へと兵士たちが駆ける。

 その道の突き当たりにあるのがエルバロン王城だった。


 城壁の上の足場にはざっと百五十人ほどのトラネウス兵がいた。

 兵士の誰もが血と泥で身なりが汚れている。

 巣立ち口の戦いから戻ったその足で城の守りについたのだろう。

 押し寄せるエルトゥランの大軍にも臆さず、首に下げた笛を吹き鳴らした。

 緊急事態を告げる笛の音が寒空に響き渡る。

 間を置かず城壁の上から迎撃の矢が放たれた。


「援護を!」


 銀鎧の俺は先陣を切って前に出て、城壁の上へと鉤縄を放り投げた。

 城門が閉ざされているのなら、よじ登ってしまえばいい。

 味方の援護の矢が城壁の上の足場のトラネウス兵に襲いかかる。

 その間に、俺は駆け上がるように城壁を登った。

 味方も後に続いて次々と鉤縄を投げて登攀を試みる。


 俺は敵兵を無視し、登った勢いのまま城壁の向こう側に飛び降りた。

 普通なら大ケガをする高さだが、もう慣れっこだ。

 城門の内側にいたトラネウス兵は突然、落ちてきた鎧の俺に怯んだ。


「鎧の悪魔だ! 死ぬ気で当たれぇー!」


 ぼろぼろの格好をした将軍らしき男が叫ぶ。

 城門を閉ざす落とし格子の前に敵兵が五十人ほど集まっていた。

 城の敷地内には他に敵の姿は見られない。

 ならばと俺は槍を振り回して道をこじ開ける。


 落とし格子型の城門はそばに操作室があるのが通例だ。

 城壁の内部に作られたその部屋へと俺は駆け込んだ。

 部屋の中が無人で助かる。

 俺は城門を操作する巻き上げ機に手を伸ばした。

 力任せに、落とし格子と繋がる鎖をごりごりと巻き上げていく。


「させるかぁ!」


 追ってきた敵の兵士が短剣を構えて突っ込んでくる。

 部屋の中は狭く、槍を振る広さがない。

 俺は手はそのまま、相打ち上等で横蹴りを繰り出した。

 剣が足をかすめるが装甲が守ってくれた。

 狭さが功を奏して、蹴り飛ばした兵士が後続を巻き込みドミノ倒しに倒れる。

 その隙に俺は一気に巻き上げ機を動かした。


 外から味方の雄叫びが聞こえた。

 城門が開いたのだろう。

 よしと俺はつっかえ棒で巻き上げ機を固定する。


「貴様だけはぁ!」


 敵兵が下がったかと思うと、今度は先程の将軍が来た。

 決死の気迫を吐いての剣突撃である。

 俺は横壁に背中をぶつけるようにして半身になり、切っ先をかわした。

 すかさず右手で抜いたクナイで敵の太ももを刺す。

 敵将が痛みに動きを止めた隙に、俺は左の肘でそのあごを殴り抜いた。

 あご先への的確な打撃は意識を刈り取る。

 敵将は目の焦点を失い、ぐらりと体を傾けた。


「陛下っ……!」


 いかに屈強な男とて人体の摂理には抗えない。

 気力で俺の方に手を伸ばそうとしながら、敵将は崩れ落ちるように倒れた。

 俺は救聖装光の腹装甲を部分解除し、クナイを腹帯に戻す。

 そしてすぐに槍を手に部屋の外へと飛び出した。


 城門を抜けたエルトゥラン兵が城へと向かっていく。

 兵に続いて馬で入ってきたドナンが号令の声を上げる。


「城の扉を突き破れぇ! ダンキー隊とミューン隊は屋外の敵に備えよ!」


 エルバロン王城は外観がエルトゥラン王城とよく似ていた。

 重厚な玄関扉の直上部には二階バルコニーがある。

 一部のトラネウス兵が先回りして、城の玄関大扉の前に集まって人の盾となろうとしているが、殺到するエルトゥラン兵に今にも押し潰されそうだ。


 そんな光景をよそに俺は走って勢いをつけ、大扉そばの壁へと跳んだ。

 壁を蹴ってさらに飛び上がり、金属槍を思い切り壁に突き刺す。

 クナイも突き刺し足場を作り、バルコニーの立ち上がり壁に飛びついた。

 ぎりぎりでしがみつき這い登る。


「先に行きます!」


 俺はバルコニーの両開き窓を蹴り破り、城二階の廊下に乗り込んだ。

 廊下を走って角を直角に二度曲がると、階段前の踊り場に出る。

 トラネウス兵が二人いたが、目が合った時には俺は動いてた。

 すかさず放ったクナイが一人の太ももに刺さる。

 俺は獣の速さで距離を詰め、悲鳴を上げる間も与えず敵を槍で薙ぎ払った。


 この折り返し階段を下れば、城の正面玄関に繋がっているのだろう。

 玄関の大扉を強引に突破しようする音が響いてくる。

 そんな音が聞こえてくるほどに静かな城内だった。

 朝が早いから、というだけではない気がした。

 兵士のほとんどが外に出ており、城の中には残っていないのだろう。


 階段の反対側にあるのは玉座の間だ。

 赤いカーペットが敷かれた広間の奥に、俺は三つの人影を見つけた。

 待ちわびた昂揚感に包まれるのを感じながら、俺は奥へと進んだ。


 向かう先の正面、黄金で飾られた玉座にシルビスが座している。

 白に金の差し色を入れた衣装は国王だけが着ることを許されたものだ。

 その手には一本の槍が握られていた。


 玉座から少し離れた右脇にディドの姿があった。

 トラネウス王国では白色が最も尊いとされている。

 白のドレスは王妃の正装なのだろう。

 まるで泣き明かした後のような顔をしていた。


 ディドの隣に立つ紫ドレスの女性は、俺がずっと会いたかったその人だ。

 その長く伸びた金色の髪。凛として堂々たるその立ち姿。

 俺が知っているティアナートだ。

 生きていてくれて、無事でいてくれて本当に良かった。

 彼女を置いて一人で逃げてからの三週間、俺はずっと気が気じゃなかった。

 ようやく胸のつかえが下りて、心模様が晴れ渡るのを感じた。


『シロガネ、貴方が迎えに来るのを信じていました』


 俺の姿を見つけて浮かべた彼女の微笑みがそう言っているように感じられた。

 実際にティアナートが声に出したわけではない。

 とは言え、そんなに間違ってもいないと思う。


 ついに俺は玉座のシルビスの前まで来た。

 俺を見るシルビスの目は悲しい色をしていた。


「銀色の鎧の……お前が来たということは、ライムンドはもういないのだな」

「ええ、そうです」


 俺が答えると、シルビスは玉座から腰を上げた。

 握った槍を構えて、俺のことを強く睨みつけてくる。


「我が父アイネオスの仇。忠臣ライムンドの仇。国のため身命を捧げた全ての同胞の仇。私が取ってみせる!」


 気合を吐いて、シルビスは振り上げた槍を叩きつけてくる。

 鈍い風切り音を立てて迫る槍を、見てから俺は後方に跳び下がって避けた。

 そしてすぐさま左の手のひらをシルビスに向け、待ったをかけた。


「武器を下ろしてください。貴方では俺には勝てない」


 彼をバカにするわけではないが、武器を向けられれば命のやりとりになる。

 だからあえて俺はそう言った。

 先程の一撃で彼の腕前はわかった。

 はっきり言って、並の兵士にも劣る力量しかない。

 一国の王がそれでも向かってくる意図を知りたかったのだ。


「そんなことは関係ない! 私はトラネウス国王シルビス=ラランだ!」


 力任せの振り回しが来る。

 俺はあえて前に出て、槍の柄を左手で受け止めた。

 シルビスは苦い顔で掴まれた槍を引き戻そうとするが、俺の腕は動かない。


 俺は救聖装光の兜部分を解除し、素顔をティアナートに向けた。

 シルビスを今この場で討っていいのか、確認を取りたかったからだ。

 俺の気持ちを察してくれたのか、ティアナートは確かに頷いてみせた。


「ティアナート=ニンアンナが命じます。シルビス=ラランを討ち取りなさい」


 彼女はしっかりとそう宣言した。

 だがその言葉を聞いた瞬間、隣に立つディドが動いた。

 ティアナートを羽交い締めするようにして、喉元に短剣を突き付けたのだ。


「もうやめて! お願いだから、もうやめてよ……!」


 ディドが悲痛な声を上げる。

 ろくに握ったこともないだろう短剣は切っ先が震えていた。

 友人に刃を向けられて、ティアナートの表情が切なく曇る。

 俺は努めて穏やかに声をかける。


「ディドさん、剣を下ろしてください。そんな危ないことはしちゃいけない」

「うるさい! だったら今すぐあんたが死になさいよ!」


 怒りに面を歪めてディドが叫んだ。

 精神状態が不安定になっているのがわかる。

 最悪の場合は彼女を傷付けてでも止めなければならない。

 そう思い俺が神経を尖らせていると、シルビスが怒鳴り声を上げた。


「余計なことをするな! これは私の舞台だ! 君の出る幕ではない!」


 言葉を浴びせられて、ディドは固く口を結んだ。

 抑えきれない感情が彼女の唇を震わせている。

 少しの沈黙の後、短剣を握る彼女の腕がすっと下ろされた。


 彼ら二人が結婚式を挙げてまだ一か月と経っていない。

 それでもディドとシルビスの間には俺の知らない絆があるのだろう。

 そうでなければ人はそんなに辛そうな顔をしない。

 大切な人を想うからこその表情に思えた。


「シルビスさん、一つだけ聞かせてください」


 俺は受け止めていた彼の槍を手放し、問いかけた。


「貴方には別の選択肢があったはずだ。こうならない未来を貴方は選べたはずです。それなのにどうして貴方はこの道を選んでしまったんですか」


 彼の選択を責めたいわけではない。

 自分の人生に決断できるのは自分だけだからだ。

 それでも聞かずにいられなかったのは知りたかったからだ。

 人生の伴侶を泣かせてもなお、彼にそうさせた理由と衝動をだ。


 シルビスは俺から離れると、右手に握った槍をまっすぐに立てた。

 そして自嘲するように笑った。


「選択肢か。そんなものが本当にあっただろうか? 君は必要なら喜んで母を人質に出せる人間か? 父の仇を前にしても、その死を飲み込める人間か? 捕らわれの兄弟を見捨てることができる人間か?」


 俺は言葉を返せなかった。

 明らかに俺はできない側の人間だからだ。

 ティアナートを取り戻すためにここまでやっている人間なのだから。


「私は私なりに最善を尽くしたつもりだよ。ただほんの少しだけ力が……いや、天運が微笑まなかった。それだけのことだ。そうだろう?」


 シルビスは再び槍を構えた。

 俺には彼がどんな風に悩んで行動したのか、その事情まではわからない。

 それでもぼんやりとだが共感はできた。

 シルビスは自分の信念に従い、守りたいもののために全力を尽くした。

 そのためにできることをしたと、そう言いたいのだろう。


「……わかりました」


 だったらもうこれ以上の問答は必要ない。

 何かを守りたくて戦っているのは俺も同じなのだ。

 だから俺は彼の意思を尊重する。

 その想いを最期まで貫き通してくれればいい。

 そう考え、俺は本気で槍を構えた。


 尖った穂先を向けられる恐怖に、シルビスが息を呑んだのがわかる。

 俺の槍についた赤黒い染みは先日の戦いでついた血の痕だ。

 目に見える死の形なのだ。

 だがそれでもシルビスは目をそらそうとはしなかった。

 深く息を吐き、彼は男の顔で呟いた。


「ディド。私のような男を愛してくれて、ありがとう」


 そして恐れをはねのけるように、シルビスは声を出して向かって来た。


「うおおお!!」


 叫びながら大きく踏み出し、槍を振り上げてくる。

 だが筋肉が強張っていて隙だらけだ。

 俺は素早く踏み込み、突きを放つ。

 槍は容赦なく、呆気なくシルビスの左胸を貫いた。

 おそらく即死だったと思う。

 シルビスの手からこぼれた槍が床の上に転がる。

 力を失ったシルビスは背中から倒れていき、そして胸から槍の先が抜けた。


「シルビスくん!」


 赤いカーペットの上に仰向けとなったシルビスに、ディドが駆け寄る。

 左胸から溢れ出した血が彼の白い衣装をじんわりと赤く染めていく。

 ディドは何度もその名を呼びながら、シルビスの体を揺すった。

 しかし反応はなく、シルビスの口が動くことはない。

 魂が抜けたような夫の顔に、ディドは俯き震えながら涙をこぼした。


「なんで……なんで……」


 繰り返すように呟く。

 俺もティアナートも、ただ立ち尽くすしかなかった。

 もはや慰めの声をかけられる立場ではないのだ。

 俺たちは彼女から見れば、夫を殺した仇になってしまったのだから。


「私たち、なんでこんな風に生まれちゃったんだろうね……」


 ディドはシルビスのまぶたを閉じてやり、その額を優しく撫でた。


「事のけじめとして死を全うすることも王たる者の務め。シルビスくんは最期までちゃんと王様の責任を果たしたんだよね? わかるよ。わかるけどさ、わかるけど……」


 真っ赤に染まったシルビスの左胸に、ディドは顔をうずめた。

 嗚咽の声が玉座の間に哀しく響く。

 その様はただただ辛く、痛ましいものだった。

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