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80話『舞い散る雪に紅を差し(1)』

 乾いた寒風が身に染みる朝、エルトゥラン軍はベルクの砦を出発した。

 歩兵八百と物資の輸送隊が列になって南へと道を行く。

 国境線のおしり岩を越えて、トラネウス王国の領内に入る。

 そこからわずか数百メートル先にあるのがセルアティの町だ。

 町の外には砦があり、国境防衛を務めとする部隊が駐屯している。


 セルアティの町を囲う防壁から離れてエルトゥラン軍が進む。

 余計な争いを避けるためにも町の中には立ち入らない。

 その行軍をセルアティの砦は静かに見守った。

 砦の門が開くことはなく、砦の防壁の上には板金鎧のトラネウス兵が何十人といたが、矢の一本も射られることはなかった。


 エルトゥラン軍が通り過ぎ、人影も遠く小粒になった頃だった。

 セルアティの砦から十騎の騎兵が外に出た。

 おそらく偵察だろう。

 行軍の足跡を追いかけていく。

 その日の砦の動きはほぼそれだけだった。


 日が変わって翌日。

 曇り空の下、セルアティの砦から軍勢が出てきた。

 およそ歩兵が百六十、騎兵は三十といったところか。

 どうやら先頭の馬の騎手が部隊の大将のようだ。


 ようやく動いたか。

 日が昇る前から俺はおしり岩の上に腰かけて待っていた。

 岩から飛び降りながら、俺は救聖装光を身にまとう。

 大きな岩を背にして、ベルクの砦に腕を振って合図する。

 砦の兵士が旗を振って応答してくれたのを見て、俺は岩の影から出た。

 用意していた投擲槍を右手に握り、助走をつけて敵の軍勢へと放った。


 凍えそうな空を引き裂いて超高速の槍が飛ぶ。

 さながら雷のように、槍の尖端が敵大将の板金鎧の背に吸い込まれた。

 鎧ごと胴を貫かれた衝撃で敵将が馬から落ちる。

 突然の出来事にセルアティの兵士たちは混乱を来した。


 そんな中、ベルクの砦から飛び出した騎兵隊が敵軍めがけて駆けていく。

 味方の騎兵隊を率いるのは百人隊長のダンキーとミューンだ。

 ミューン=ゲッティはマクール将軍を長とする近衛兵の副隊長である。

 王の近衛兵たる者、気高くあれを信条とする二十六歳の好青年だ。

 敵の夜襲からティアナートを逃がすために戦ったマクールの生死は現在不明であるが、敬慕する上官に代わって敵を討つべく燃えていた。


 ベルクの砦に残っていた騎兵二百がセルアティの部隊に襲いかかる。

 槍を構えての騎馬突撃に敵兵はなすすべもなく蹴散らされた。

 慌てふためいて砦に逃げ込めたのは半数がいいところだろう。

 セルアティの砦の門が閉じた後には、多数の敵兵が地べたに転がっていた。

 冬の寒空に呻き声がただよう。

 敵の負傷者はかなりの数に上った。


 奇襲は大成功と言っていいだろう。

 これで当分は背中を気にせず動ける。

 俺たちは悠々と行軍を開始した。

 その様子をセルアティの部隊は砦の上から眺めるしかなかった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 先行するドナンたちと合流して、トラネウス国内を進む。

 事前に危険地帯と警戒していた湿地帯で敵と遭遇することはなかった。

 時間的にセルアティの部隊が追い付くこともできなかっただろうから、むしろここでの決戦は望むところだったが、そうは都合よくいかないものだ。


 行軍は順調に進んだ。

 敵からのゲリラ的な妨害もなく、寒さと疲れと戦う日々が過ぎていく。

 動きがあったのはベルクを離れて六日目のことだ。

 行軍中のエルトゥラン軍の下に使者が一騎やって来たのである。

 その者はトラネウス国王からの使者だと名乗った。


 大将であるドナンは行軍を止め、馬に乗ったまま使者と面会した。

 使者の男はドナンの前で跪いて、一通の封書を差し出してきた。

 馬上で書状を広げるドナンの隣に、俺は馬を寄せる。

 ドナンは読み終えたそれを無言で俺に渡してきた。


 ざっと目を通して、俺は内容に既視感を覚えた。

 前にリシュリーに見せてもらったものとほとんど変わりない。

 ティアナートはトラネウス王との講和に合意した。

 軍は主君の命令を聞き、ただちに撤退せよとある。


 破り捨ててやろうかと思ったが、俺はため息を吐いて留まった。

 ドナンに書状を返す。

 その際、目と目で気持ちが通じ合った気がした。

 口にしなくても怒りと闘志を共有できていた。


「使者殿、この場にて口頭で返事いたす。シルビス王に伝えられよ」


 ドナンは書状を元あったように封をし、手放した。

 封書がひらりと、地面に跪く使者の目の前に落ちる。


「その書状はお返しする。そして王にこう伝えられよ。民を想う心あるならば速やかに降伏なされるように、とな」


 使者は唖然とした表情をしたが、何も言わず頭を下げた。

 それから封書を懐にしまうと、馬に乗って去っていった。

 ドナンはため息を吐いて使者の背中を見送り、後ろの味方に振り返る。


「よし、行軍を再開する!」


 総大将の号令で、エルトゥラン軍は移動を始めた。

 首都エルバロンまであと二日の距離まで迫っていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その日は朝から冷え込みが厳しく、灰色の空からは時折、粉雪が降った。

 偵察の騎兵がトラネウス軍の本隊と思しき集団を発見して帰ってくる。

 敵が待ち構えていたのはまさしく首都エルバロンへの玄関口だった。


 トラネウス王国は開けた平野の多い国であるのだが、敷かれた道路に沿って都へと向かっていくと、ふと野原の幅が狭くなる場所がある。

 国の者に『巣立ち口』の名で呼ばれるこの場所は東西に急傾斜の山林があり、さながら瓢箪のように間口が狭くなっていた。

 そこを抜ければエルバロンまでなだらかな平原が続く。

 つまり止めないと都まで素通しの最終防衛線というわけだ。

 この天然の関所を戦場に選ぶと考えたギルタの予想は的中したことになる。


 なお余談だが、巣立ち口の名は三百年前の建国戦争に由来するという。

 かつて人間族が獣人族との戦争を始めた際、この巣立ち口において反抗の狼煙を上げた。そのあと人間族が栄光を手にしたのは知っての通りである。

 それを雛鳥の巣立ちになぞらえて、巣立ち口の名が与えられたんだそうな。


 エルトゥラン軍がトラネウス軍と対峙したのは昼過ぎのことだった。

 エルトゥラン軍が北側、トラネウス軍は南側である。

 事前の報告通り、敵は巣立ち口の要所を固めるように陣取っていた。

 東山の麓から西山の麓までびっしりと柵が並び、通行を塞いでいる。

 人の背丈を超える高さのこの柵は、丸太を杭として地面に打ち込んだものに、交差するよう横木を縄でくくりつけたものである。

 馬を防ぐための柵だから馬防柵と呼ぶ。

 また柵のすぐ手前にはしっかりと堀まで掘られていた。

 それらの向こうにトラネウス軍の歩兵を六百ほど確認できた。


 しかし気になるのは敵軍に騎兵の姿が見られないことだ。

 アスカニオの騎兵隊が捕虜になったことと、アイネオスの決戦で騎兵に多数の犠牲を出したことから、トラネウスに騎兵の数が足りないのは確かだろう。

 馬防柵を並べたのも騎兵勝負を避けるためと考えられる。

 だが一騎もいないのは何か別の意図を感じる。

 そのことには我が軍の総大将ドナンも気付いたようだった。


「やはり兵を伏せていると見て間違いなさそうですな。事前の打ち合わせの通り、炙り火の計にて挑みましょう」


 隣で馬に乗る俺にも聞こえるように、ドナンは呟いた。

 それから味方に陣構えを命じる。


 まず歩兵六百が敵の幅に合わせて隊列を組んだ。

 それぞれ部隊の最前列の兵士は体が隠れるほど大きな木の盾を持っている。

 歩兵隊の中列は槍兵、後列は弓兵が主な構成である。

 これが前衛になる。


 次は後衛だ。

 残った歩兵の百人隊二組は大将であるドナンの下に集まった。

 指揮官をやられるとまずいのはアイネオスとの戦いの通りだ。

 守りを残しておくのは臆病ではない。


 後衛の右翼と左翼にはそれぞれ騎兵隊百騎が位置した。

 ダンキー隊が西側の右翼、ミューン隊が東側の左翼である。

 彼らの出番は歩兵隊が敵の馬防柵を排除してからだ。

 他にも敵の伏兵が出た場合には迎撃に動いてもらう。


 軍勢が配置を整えている間、敵は柵の向こうで沈黙を守っていた。

 わざわざ堀と障害物を山間いっぱいに並べて防衛線を引いたのだ。

 受けの態勢を崩してまで前には出てこない。

 だから俺たちも落ち着いて陣立てできるのだ。


「主殿」


 声に振り返ると、ギルタが馬に乗ってやってきた。

 他のエルトゥラン兵と同じように、服の上から鎖帷子を着込んでいる。

 頬当ての付いた兜を被り、短剣を収めた剣帯を腰の後ろに装着していた。

 身を守るための基本装備である。

 ただし前線の兵士のような槍や弓の主兵装は持っていない。


「ギルタさん。戦いが始まる前にどこか安全な場所まで離れてください」


 俺が言うと、ギルタはふっと微笑した。


「いえ、私はドナン将軍のそばで警護に当たります」

「えっでも」

「戦いに勝つのなら、大将のそばこそ一番安全な場所でしょう。敵地で一人離れる方がむしろ危険です」


 俺は顔を渋くする。

 ギルタの言葉は一理あると思うが、承服しかねる部分もある。

 俺にはライムンドが正面から消耗戦をしてくるとは思えないのだ。

 きっと何らかの奇襲で大将首を取りに来る。

 なぜならあの人は武将ではなく、暗殺者寄りの人だと思うからだ。

 彼の下で働いていたことのあるギルタなら、そのことに気付いているはずだ。

 となると、わかった上でドナンの護衛を買って出てくれたということか。

 軍人としては彼女の方が先輩だ。

 だったら信じよう。

 とにかく俺たちは勝たなければならないのだ。


「……わかりました。でもちゃんと自分の身は守ってくださいね。俺はシトリさんに泣かれたくないですから」

「もちろんです。あの子はあれで寂しがり屋ですから。私も主殿も揃って帰らなければなりません」


 そうありたいと思い、俺は頷いた。

 さて、陣構えも完了しようという頃である。

 草の野の向こう、馬防柵の脇から馬が出てきた。

 乗っているのは、戦場に不釣り合いな白い役人服の男である。

 遠目にもライムンドだろうとすぐにわかった。


 その後に続いてもう一頭、トラネウス兵に綱を引かれて馬が出てくる。

 その馬が乗せた人物の身なりに俺は目を見開いた。

 同時に多くのエルトゥラン兵が戸惑いの声を上げてざわつく。

 その者は紫色のドレスを着ており、頭には黄金のティアラをのせていた。

 馬が足を進める度にその人の長い金色の髪が揺れる。

 遠くからだとティアナートのように見えた。


 ライムンドの馬と紫ドレスの人の馬とが並ぶ。

 綿のような雪がちらつく空の下、ライムンドは大きな声で呼びかけてきた。


「エルトゥランから来た全ての兵に告げる! 再三の警告にも従わず、どうしてここまでやって来た! 陛下も君たちの不忠を悲しんでおられる。王の御前である! ただちに武装を解除し、跪き首を垂れよ!」


 きょろきょろと周りの様子をうかがう味方の兵士が増えている。

 ティアナートが捕まっていることは兵士たちに告げてあるが、いざこうしてそれらしい脅しを受ければ、浮き足立つのも仕方ないことだろう。

 だから多少の動揺は想定の内だ。

 俺はそばのドナンに声をかける。


「俺が言い返してもいいですか?」

「お任せいたします」


 許可も出たことで、俺は馬から降りた。

 首から下げたペンダントを右手で押さえ、合言葉を心の中で唱える。

 透明結晶から放たれた光は一瞬の内に俺を銀色の全身鎧の騎士に変えた。

 俺は愛馬のスイの首元をぽんぽんと叩く。


「いい子にしててな」


 それから投擲槍を収めた筒を背中に袈裟かけ、頼みの金属槍を手に握る。

 スイをギルタに任せ、俺は兵士たちの並ぶ前衛へと歩き出した。


「通ります! 道を空けてください!」


 鎖帷子の兵士たちが、波が割れるように道を通してくれる。

 六百の兵士が立ち並ぶ列から俺はさらに前に出た。

 目に力を込めて、遠く向こうの馬上の人物をしっかりと見る。

 可能性はゼロに近いが、本人かどうかの確認だけはしておきたかった。


「……」


 馬上の紫ドレスの人物がティアナートではないと、すぐにわかった。

 ティアナートの髪は黄色系の明るい金色だ。

 紫ドレスの女性は金髪だが色が茶色に寄っている。

 体型はだいぶ違う。

 背丈が近い人を見つけてきたのは大したものだが、それだけだ。

 肩幅も、胸も、胴体の線も、手足の長さも似つかない。

 あと本人をまねて左腕をぶらりとさせているのはいいが、不安定な馬上で片手では怖いのか、手綱を握る右腕が力んでいるように思える。


 うろ覚えの人が見れば、遠目からなら似ていると感じるだろう。

 それでもむしろ、多少なりとも似た女性を用意できたことに感心する。

 ティアナートは会えば一目でその人とわかる華のある女性だ。

 この大人数を相手に少なからず当人だと信じさせたのなら大したものだろう。

 だがその嘘は今すぐ暴かせてもらう。


 俺は背負った筒から投擲槍を引き抜いた。

 助走で勢いをつけて、粉雪が舞う曇天の空へと投げ放つ。

 空を駆ける槍は猛禽の如く、遠く二頭の馬へと飛びかかった。

 その瞬間の馬上の反応はまさに正反対のものと言えた。


 鋭く尖った投擲槍が二頭の間の地面に突き刺さる。

 その光景をライムンドは涼しい顔で見送った。

 対して紫ドレスの女性は反射的にか両腕で顔を庇うようにした。

 その怯えは即座に馬にも伝わり、動揺した馬から振り落とされまいと、女性は馬の首に必死にしがみついたのだった。


 ティアナートにそんな動作は不可能だ。

 俺は確信を得て、救世主の役割を果たすべく鼓舞の声を上げる。


「見たか、あの怯えた姿を! 救世主として断言する。あれは陛下の偽者だ! 友よ恐れるな! 卑怯者を討つのに一切の迷いはいらない!」


 俺は左手に握った金属槍を敵陣へと向けて突き出した。

 タイミングを合わせるように、後ろから戦太鼓の音が鳴る。

 ドナンが攻撃開始の命令を下したのだ。


「おっしゃー! いくぞ、お前ら!」


 最前列の百人隊長の一人が荒っぽく声を上げる。

 応と答える兵士たちの顔は闘争心に溢れていた。

 エルトゥランの兵士の練度は世界一である。

 初めの一歩をためらう者などいなかった。


 歩兵六百が前進を始める。

 歩調を揃えて、短く草の生えた平野をざくざくと進む。

 まずは慌てず歩いて近付いていく。

 全力疾走は弓矢の射程に入った瞬間だ。


 じりじりと歩兵隊と敵の防衛線との距離が詰まっていく。

 張り詰めた空気に兵士たちも声を押し殺し、奇妙な静けさがあった。

 ふわふわと粉雪が空から落ち、濡れた草が靴を湿らせる。

 そしてその時が来た。

 弓鳴りの音と共に、馬防柵の向こうから一斉に矢が放たれる。


「突撃ぃー!!」


 空から矢が降ってくるよりも早く、歩兵隊は地面を蹴って駆け出した。

 かつて二つに分かたれたエルトゥラン王国とトラネウス王国。

 その趨勢を決する戦いが今、幕を開けた。

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