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75話『果たせなかった忠節』

 エルトゥラン王国の南国境の町ベルクに到着したのは黄昏時だった。

 俺は救聖装光の鎧をまとったまま、ベルクの砦に出向いた。

 門番の兵士はぎょっとしたが、すぐに俺とわかって中に入れてくれた。

 報告を受けてか、ドナンが砦の玄関広間まで急いでやってくる。


「シロガネ殿!」


 おそらくドナンは異常事態を察したのだろう。

 他の者の目のある広間で状況を問いただそうとはしなかった。

 さすがは経験豊富なエルトゥラン王国随一の将軍である。

 俺たちは砦の二階奥にある執務室に場所を移すことにした。


 砦の中はすでに薄暗い。

 十二畳ほどの広さの執務室に通されると、すでに燭台に火がともっていた。

 部屋の奥に仕事机があり、机上には読みかけの書状があった。

 その前に置かれた四人掛けの卓の椅子の一つをドナンが引いてくれる。

 俺はとりあえず兜だけ救聖装光を解除した。


「少しの間、鎧を着たままで失礼させてください。いま救聖装光を解除すると気を失うかもしれないので」

「承知いたしました。シロガネ殿の良いようになさってください」


 言いながら、ドナンは仕事机の方へと歩いた。

 ろうそくの火に照らされて影が揺れる。

 机上の書状を手に取ると、戻ってきて俺の対面の椅子に手をかけた。

 二人して席に着く。


「こちらは今日届いた陛下からの文です。シロガネ殿。まず状況をご説明いただけますか?」


 ドナンが書状を俺の前に置いた。

 昨日、シルビスとの二度目の会談の後すぐに書いて出したものである。

 国境の要所であるベルクに兵を集め、戦支度をせよと記したものだ。

 そんなものが届いた日に、王女陛下と行動を共にしているはずの俺が単身戻って来たとなれば、ドナンも不安な顔をしたくなるだろう。


「簡潔に言います。襲撃を受けて、ティアナートさんが捕虜になりました」

「なんですと!?」


 ドナンは目を剥いて驚嘆の声を上げた。


「他の同行者がどうなったかは把握できていません。俺は一人で逃げて来ました。申し訳ありません」


 さすがのドナンも言葉を失う。

 口を開けたまま、しばし視線をさまよわせた。


「あー、えー……順を追って説明していただいてもよろしいでしょうか」


 俺は事の詳細を話した。

 聞き終わった頃、ドナンは卓に肘をついた右手に額を押し付けていた。


「ティアナートさんは、私の代わりとしてシルビスを討てと言いました。俺はそうしたいと思っています。ドナンさんの意見を聞かせてください」


 ドナンは深く重たい息を吐いた。

 心労が顔に出ている。

 長い沈黙の後、ドナンは眉間にしわを寄せて面を上げた。


「率直に申し上げて、やるとしてもかなり厳しい戦いになります。短期決戦に持ち込めなければおそらく負けるでしょう。そして相手は決戦に乗ってこないだろうと考えます」

「なぜですか?」

「もう雪が降る季節です。向こうは城に籠っているだけでいい。春を待たず、我々は寒さと飢えで軍を退くことなるかと」


 ドナンは将軍だ。

 何百もの兵士の命を預かる立場にある。

 勝ち目が薄い戦いには消極的ということだろう。


 俺はすっと背筋を伸ばした。

 戦ってでもティアナートを取り戻すことは俺の中でもう決定事項だ。

 とはいえ俺だってみんなと一緒に玉砕したいわけじゃない。

 目の前の男は戦争の専門家だ。

 俺は彼との討論の中に勝機を見出さなければならない。


「冬でなければ戦えますか?」


 俺の雰囲気が変わったことをドナンは察したようだった。

 卓の上に指を組んだ両手を置いて、話に乗ってきてくれる。


「兵への負担は確実に減ります。ですが兵糧の問題はついて回ります。籠城に対して包囲陣を敷くにしても、先行きは不明瞭です。あまり時間をかけると向こうの同盟国エリッサが動く懸念もあります」

「エリッサが動いたと仮定して、両面を相手にするだけの戦力は?」

「現在の我が国にはありません。それと陛下の不在も問題です。私とリシュリーだけでは国政を維持できないでしょう。臨時の国王代理を立てることになると思うのですが……」


 そこでドナンは表情を渋くした。


「次点の王位継承権を持つのは陛下の伯母にあたるサリトラ様です。この御方は陛下のことをあまりよく思われていないようでして。サリトラ様が上に立たれた場合、戦争を継続できるかは……」


 サリトラ=ニンアンナはティアナートの父バニパルの姉である。

 マグウとバエトの反乱の後、サリトラはサルハドン監獄に収監された。

 理由はバエト=アルメリアを通じて賄賂を受け取っていたからだ。

 反乱の首謀者バエトにはトラネウス暗部と通じていた疑惑がある。

 反乱鎮圧後の調査においてサリトラは、トラネウス王国との繋がり及び、反乱への関与は否定したが、バエトからの賄賂については認めた。

 先王の後を引き継いだティアナートは伯母であるサリトラを有罪と認定。

 こうしてサリトラは王族の身でありながら監獄送りとなったのだった。


 サリトラは自分を監獄送りにしたティアナートを嫌悪しているとの噂だ。

 そういう人物がエルトゥラン王国の実権を握ったらどうなるか。

 少なくともティアナート奪還に熱を上げてはくれないだろう。


「ドナンさんとしてはどちらが好ましいんですか? 無理な戦争はせずサリトラさんに国を治めてもらうことと、犠牲を出してでもティアナートさんを取り戻すことと」

「それは……」


 ドナンは言いにくそうに口をつぐんだ。


「今は俺に気を使わないでください。俺はドナンさんのことを最高の将軍だと思っています。だから忌憚のない意見を聞かせてください」


 まっすぐに見つめる俺に、ドナンはわかったとばかりに頷いた。


「正直に申し上げますが、本当に判断が難しいのです。できることなら陛下をお助けしたい気持ちは私も同じです。ティアナート様のことは小さい頃から存じております。先王に頼まれて剣の稽古をつけたこともあるのです。しかし将軍の立場としては開戦は難しい。ろくに準備をする暇もなく敵の懐に飛び込むことになるのです。時間の猶予がないので取れる戦法も限られてしまう。それにもしも負けた場合、取り返しがつかなくなる可能性があります」


 エルトゥランもトラネウスもお互いすでにぼろぼろなのだ。

 敗北すればそのまま国を滅ぼされることまであり得る。

 しかもこちらはすでに君主を人質に取られており、戦うにしても相手は地の利がある自国で俺たちを迎え撃つことができる状況だ。

 まともに考えれば、もう負けているようにすら思えてくる。


「分が悪い……というか、勝算のない戦いなのが問題なんですよね? 勝ち目があるなら軍を動かせる。そういうことですよね?」

「何か良いお考えでも?」

「シルビスさんは籠城をしないと思います」


 ドナンはぴくりと眉を動かした。


「なぜそう言えるのです?」

「シルビスさんは結婚式を利用して戴冠しました。状況が状況だけに急いだのは確かでしょうが、あれはかなり強引だった。トラネウス王国がまだ一枚岩ではない証拠だと思います」


 ドナンは黙ったまま頷き、無言の相槌を打った。


「トラネウス国民はシルビスさんに期待していますが、まだ信頼はしていない。仮に首都まで攻め込まれた時、民を見捨てて籠城の選択肢が取れるのか。俺は取れないんじゃないかと考えます。民を見捨てたら、逆に民が王を見捨てるのではないでしょうか」

「ふーむ……」


 ドナンは考え込むようにあごに指をやった。

 アイネオスとの決戦の際、俺たちは籠城をしなかった。

 理屈の上では勝てる戦法であっても、それを実行できるかどうかは別なのだ。


「その考えは一理ありますが、希望的観測にも聞こえます。相手が都合よく動いてくれる前提で軍を動かすのは危険です。もし敵が兵を出してこなかったら、どうなさるおつもりでしょう」

「エルバロンの町を焼き払いましょう」

「焼き払う!?」


 ドナンが目を丸くして聞き直してくる。


「別に町の人を虐殺しようってわけじゃありません。アイネオスを討った男が都を破壊しようしていると噂を流すんです。出てこなければシルビスさんは我が身かわいさで戦わない臆病者になる。トラネウス国民は自分たちを守ってくれない王に愛想を尽かすでしょう。兵士の方が戦いたいと言い出すのではないでしょうか」


 家族の命と国王の命。

 二つを天秤にかけてなお新王に忠義を尽くす者がどれほどいるだろう。

 人間はもっとずっと利己的だ。

 まずは自分の生活を守る。そのうえで仕事に励む。

 それが普通の人間だと俺は思う。


「それでも数か月の我慢と籠られた場合は……?」


 ドナンは試すような視線を向けてくる。

 俺が口だけではないか覚悟を問うているのだろう。

 だから俺は目をそらさず返事する。


「その時は本当に焼き払うのみです。もちろん一般の人を巻き込むのは悪いことです。だからできる限り紳士的に退避勧告をしたい。ただしそのうえで妥協なしにやります。それでティアナートさんを取り戻せるなら俺は悪鬼羅刹と呼ばれてもいい。ベール伯シロガネの名においてエルバロンを焦土とします」


 ここで中途半端に退いても残るのは後悔だけだ。

 やると決めたら徹底的にやる。

 それで地獄に落ちるとしても、やり抜いてなら納得して落ちられる。

 中途半端だけはもうしたくないんだ。


「そこまでのお覚悟で……」


 ドナンはゆっくりと深呼吸した。

 思案するように目を閉じる。


 俺は一人身だ。会いに行ける家族もいない。

 だからこんな風にむちゃが言える。

 でもドナンには家族がいる。

 悩むのは当然だ。


 六十秒、百二十秒と時間が過ぎた頃だろうか。

 ふとドナンは呟くように言った。


「シロガネ殿が羨ましい」


 何のことかと俺が首を傾げると、ドナンは『失礼』と手の平を見せてきた。


「年を取るとつい守りに入ってしまう。私も若い頃は貴殿に負けぬほど情熱的だったはずなのですが……」


 自嘲するように小さく笑い、ドナンはふうと息を吐いた。


「シロガネ殿の柱は何ですか?」

「はしら?」

「ご存知の通り、私の生まれたダングリヌス家は軍人の家系です。その歴史はエルトゥラン王家と共にあった。王に忠誠を誓い、民に奉仕し、王国の繁栄に寄与する。それが私の家の生業でした」


 俺は黙って頷く。

 口を挟むのは話を聞いてからで良いだろう。


「私には悔やんでも悔やみきれない一つの後悔があります。先代のエルトゥラン王バニパル様をお救いできなかったことです」


 ドナンの顔が陰る。

 痛みを堪えるように、その拳を強く握った。


「バニパル様だけでなくカイ様までも。仕えるべき主を先に失うことは身を裂かれるほどの痛みです。ご両親を亡くされた悲しみの中、陛下は気丈に王の務めを果たされてきた。親代わりなどと不遜なことは申しません。せめて果たせなかった分まで忠節を尽くそうと考えていたはずですのに……」


 ドナンは握り拳で己の左胸をどんと叩いた。


「戦いましょう。泣き寝入りなどエルトゥラン男のすることではない。ドナン=ダングリヌス、喜んで汚名を被りましょう」

「百人力です……!」


 俺は嬉しくなって対面に右手を伸ばした。

 ドナンが俺の手を取り、固く握手をする。

 そして互いににやりと笑った。


「私は至急、文をしたため王城に使者を送ろうと思います。リシュリーにも色々と協力してもらわねばなりませぬゆえ。シロガネ殿は先にお休みになってください。湯と食事の用意をさせますので」

「いえ、このまま待っています。手紙、俺が今日の内に持っていきますから」


 ドナンは呆気に取られるも、すぐにやれやれと表情を緩めた。

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